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精魂尽き果てるまでセックスをした後の俺は、疲労で重い身体と思考を奮い立たせて、バイブレーションが止まないスマホに手をかけた。
メッセージアプリには『いつまでコンビニ行ってるの?』『大丈夫?』『返事ください』などのメッセージが並び、その後は不在着信が何度も入っている。コンビニに行ってくると告げて出かけたきり暗くなっても何時間も帰ってこない息子に対するものとして至極当然の反応だった。
大丈夫そうなスタンプを返し、心配をかけないように更に通話をかける。すぐに繋がった。
『ちょっと! 大丈夫なん? 全然帰ってこないから……』
「ごめん、友達に会って盛り上がっちゃって公園で遊んでた」
『はあ……メッセージはもっと早く見て返してよ』
「ごめんごめんって。友達んち着いてから気づいてさ」
『友達んちって言った? 今人の家にお邪魔してるの?』
「そう。泊まって帰ると思う」
『ええ? 急にお世話になっちゃって悪いわね……親御さんに挨拶とか』
「いや、仕事が忙しくて遅くなるんだって。だからまた今度手土産持っていく」
『そう……? なら、まあ……迷惑かけないのよ』
「うん、うん。大丈夫。それじゃね」
通話を切る。これでなんとか誤魔化せただろう。
次に部屋のプラン変更の手続きを行う。休憩から宿泊へ。有金使って雨上リラを買うと言った俺からすると手痛い出費だが、これもしょうがない。出世払い、少し長引くかもな。
俺があたふたと諸々の対応をしている間、雨上リラはぐったりとベッドに横たわって起きているのか寝ているのか分からない状態だった。ただ細い身体がわずかに上下するのが分かって、縁起が悪い話だが死んでいないことだけは確かだった。近づいてみると、実は起きていたのか薄く目が開く。
「.雨上さん。宿泊に変えといたから、しんどかったら寝てていいよ。水飲む?」
「……うん……」
掠れた声で小さく頷いて、ひどく気怠げに身を起こす。俺が差し出したミネラルウォーターの蓋すら開けられなかったから、俺が代わりに開けて差し出した。
彼女は開けられたペットボトルを両手で持って、こく、こく、と水を飲んでいく。一口で飲む量が少なくてびっくりする。男子高校生なんて一度口をつけたら500mLペットボトルの半分は飲み干すというのに。4分の1ほど減ったところで満足したのか、サイドテーブルにペットボトルを置いた。それから瞬きをするのも億劫なようにゆっくりと目を閉じて開いて、おずおずと口を開く。
「……お風呂、入ってもいい?」
「あっ、う、うん。いいよ。……一人で入れる?」
「大丈夫……」
言ってから、風呂でも襲うつもりの人みたいだったなと気づく。そんなつもりではないのだが。でも弁明すると余計そういうことを考えている人になりそうだったのですんでのところで黙った。
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(>ゴムを着けている)
彼女の下肢は愛液でしとどに濡れていて、一度お湯で流してしまいたいのも頷ける。
バスルームへ向かう姿を見送った後は、スモークのかかったガラスの向こうでシャワーの音が雨と混じり合うのを聞きながら、俺はシーツを替えるのに苦戦していた。使用済みのゴムは捨てたとはいえ、シーツも汗や体液で濡れてこのままでは寝るに寝れない。
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(>ゴムを着けていない)
彼女の下肢は俺の精液と彼女の愛液が混ざり合って酷い有様だった。これは湯で流すだけでも苦労するだろう。
バスルームへ向かう姿を見送った後は、スモークのかかったガラスの向こうでシャワーの音が雨と混じり合うのを聞きながら、俺はシーツを替えるのに苦戦していた。溢れるのも構わずに一心不乱に交わった結果、シーツの上は汗と精液と愛液でまあ惨状と言ってよかった。
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結局替えのシーツが部屋の中に用意されているということはなく、フロントに連絡して替えてもらった。無人受付なのに従業員が居るの、当然とはいえ少しそわそわするな、と思った。
そんなこんなしているうちに彼女が身体を拭いて戻ってくる。汗まみれの制服やインナーを再び着るのは流石に嫌なのか、備え付けの丈の長いシャツワンピースのようなパジャマを着ていた。いつもと違う装いにどきりとする。
温まって血色はいいが、疲労の色が濃い浮かない顔でこちらを見やる彼女は、バスルームの扉を開け放して、「お次、どうぞ」と促す。その勧めに従って、俺もシャワーを浴びることにした。
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さっぱりして戻ってくると、雨上リラは横たえていた身を起こしてベッドの上で座り直す。どうやらこの間にくちゃくちゃになっていた制服を整えていたらしく、制服たちはハンガーにかかって大人しく佇んでいる。まめなことだ。俺は揃いのでかいパジャマを着て、なんとなくそわそわとしながら隣に腰掛ける。
「……あのさ」
口を開いた雨上リラの表情は、やはり浮かないものだった。
「好き、って……、……告白のつもり? それとも盛り上がるから言ってるだけ?」
「も、盛り上がるからって……んなわけないだろ。……告白のつもり……ですけど」
恥ずかしくて俺は唇を尖らせる。彼女はその顔にくすりと笑って、けれど首を横に振った。
「だめだよ。アタシじゃ付き合えないよ」
「なんで。パパ活してるから?」
「……うん」
「やめらんないの」
「お金、ないから」
父子家庭だから、と言う気はないが、やはり経済状況が厳しいということなんだろうか。俺は困り果てて唸る。
そう言われたって、好きなものは好きだし、他の男に身体を売るような真似はしてほしくない。
「……他のバイトするのは?」
「他のバイト?」
「飲食とか、コンビニとか、色々あるだろ。うちの高校、事情があればバイトも可だぜ。先生も.雨上さんの家のこと知ってるだろうし、きっと許可してくれるって」
「…………」
「俺も一緒に頼みに行くよ。な?」
精一杯の俺の提案に、雨上リラは眉を下げて笑う。困ったように、申し訳ないようにこうして眉を下げて笑うのが癖なんだろうと、最近になって分かってきた。
「とりあえず、考えてみてよ。俺は本気だし、なんなら一緒にバイトするし」
「なんで。そっちはお金に困ってないでしょ」
「いや、出世払いするって言ったじゃん。自分で金を稼いでこそじゃない?」
「何それ」
ふ、と噴き出すように笑うのが愛おしい。大人びて見えていたけど、こいつも同い年のまだ子供のひとりなんだな、と思う。
大人の男たちの汚い欲望に使われて、いいわけがないんだ。
「いいよ、先生に聞いてみる……あんたまでバイトする必要はないよ」
「! やった……でも俺もバイトは申請してみるよ、だって自分で稼いでこそだしな」
「だからいいってそういうのは……」
八重歯の形が見える。やっぱり愛おしいという気持ちが湧いてきてたまらなくて、俺は彼女の肩を抱き寄せた。少し身体が震えたのが、手に伝わる。怖がらせてしまったかもしれないので、できるだけ優しくそっと抱きしめる。雨上リラの身体はすっぽりと俺の腕の中に収まってしまった。
「……好きだ」
「……、うん」
か細い声。でも、今度は、だめだと言わなかった。頷いてくれた。受け入れてくれたんだ。じわりと水が染みるように喜びが身の内を満たす。
そういえば、ちゃんと抱き締めるのは初めてな気がした。何回も身体を重ねたけど、案外ぎゅっと抱き締めるなんてことはしていなかった。行為に夢中になっていないときだからか、とにかく身体が薄くて骨まで細いのがいっそう際立って不安になる。華奢で頼りなく、青く小さな果実のような未成熟さすら覚えた。けれどホテルの備え付けのパジャマの薄い布越しに、胸の柔らかさや腰のくびれを感じると、やはりちゃんと成熟した機能を備えた女なのだと分かって、心臓が強く脈打つ。
「……ふふ。どきどきしてる」
「笑うなよ……」
「笑ってないよ」
「笑ったじゃん」
「あはは」
「ほらあ」
くだらない会話をして、笑い合う。なんて幸せな時間なんだろう。
ふと、耳元にかかる彼女の吐息が震えた。それは泣く直前にしゃくりあげているようにも聞こえた。
それを聞くとなんだか自分も悲しいのが移ったようになって、胸が痛かった。触れ合っているから、楽しいのも悲しいのも移ってしまうんだろうか。
少しだけ身を離して彼女の顔を見ると、唇を引き結んで目に涙を溜めている。ほら、やっぱり。
「なんで泣くの」
「わかんない」
「そう」
意味のない会話。でも俺は、それで何となく分かった気がした。うまく言葉にできないけど、楽しいから、悲しかったんだ。それだけだ。
もう一度抱き締めると、肩口にぽたぽたと温かい雫が落ちるのが感じられた。それから彼女はゆっくりと息を吸って、吐いて。わずかに俺の方に預けていた重心を戻して、ゆっくりと離れていった。また一人と一人の距離に戻る。俺は少しだけ寂しくなった。
「……疲れたから、もう眠いな……寝てもいい?」
「あ、うん。……俺、ソファの方で寝ようか」
「いいよ、一緒のベッドで。ソファじゃ寝心地悪いでしょ」
「そ、そう……」
いきなり添い寝になってしまった。なんてこった。男の理性が試される瞬間だと言いたいところだが、まあアホほど欲を発散した後だったのでざわついたのは気持ちだけで俺の息子はしんと静まり返っていた。よし。
言うが早いが、雨上リラはシーツの替えられた清潔なベッドの掛け布団を上げて中に潜り込んでいく。一言断って、俺も隣に入る。修学旅行とかで同じ部屋で寝ることはあれど、同じ一つのベッドで、それも異性と並んで眠るのは初めてだ。バスルームで同じ石鹸を使っているはずなのに、なんだか彼女の方がそこはかとなく甘い香りがする。これが女子高生の香りってことなのか?
横向きになって向かい合うと、さらりと重力に従って落ちる髪の細さや艶やかさ、伏せた目を守る睫毛の長さに目がいく。自分と全然違う生き物みたいだった。人間って本来、それぞれ違う生き物なのだから、当然のはずなんだけれど。
「……あのさ」
「え?! うん」
「ほんとに、疲れたから……普通に寝かせてね」
「え、うん……何かすると思ってる? もう金玉空っぽなんだけど」
「はは。ごめん」
どきどきはしていたので、少し後ろめたい気持ちになって視線を逸らす。こんなことなら先に添い寝しておけば動揺しなかったのだろうか、というような意味のない後悔をした。
次に視線を上げるときには、もう雨上リラの瞳は閉じられて、呼吸が静かになっていく途中だった。
「それじゃ……おやすみ……」
「うん……おやすみ」
就寝前の挨拶を交わして、俺も目を閉じる。
かすかに甘い香りを感じながら、すぐに眠りに落ちていった。
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