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リク 利を一撃した土の後悔の話

──夢を見る。
何度も、何度も。同じ夢を。

 血の匂いがする。乾いた土に鉄の味が滲んでいく。砦の石壁の向こうには金色の月が出ていた。
 縛られた三人の子供がいた。それを己は切ろうとした。刀が振り下ろされる。そして利吉が、割って入った。
 夢の中の土井は、いつも同じように動く。妨害しようとする忍を、反射的に斬った。それだけだった。声を上げる暇もない。利吉の瞳が見開かれ、赤いものが舞う。
 その音の静けさがひどく恐ろしい。風のない場所で、世界が息を止めてしまったように。
 「利吉くん……!」
 叫んで、目が覚める。
 枕は濡れている。夜風が障子の隙間を抜けて、汗で着物が冷たく貼りつく。夢だと分かっているのに、掌の中はまだ震えていた。
 ──あれから、どれほどの夜を越えたのだろう。
 あの満月の日、土井は『天鬼』と呼ばれていた。
 白装束を着て剣を与えられ、忍術学園を敵だと吹き込まれて、敵の子を討てと命じられた。
 葛藤はあった。目の前にいたのは幼いが忍の子だった。選んで、剣を振るったのは自分だ。どんな理屈を並べても、あの子を切った手はこの手だった。
 利吉は、間に入った。最後に呼ばれた呼び名が思い出せない。彼の身体は風のように飛び込み、刃が肉を裂く感触を腕に残してくずおれた。
 止めようとしてくれた。
 守ろうとして、彼は切られた。
 ──命じた者が悪いのだ、と、誰もが言った。
 「土井先生のせいではありませんよ」と、そう言ってくれた。けれど、それがいちばん辛かった。あの子を斬ったのは自分だ。命令であろうとなかろうと、刃を握り、それを振り下ろし、肉を割いた感触が子供のものではなかったことに咄嗟に安堵したのは他ならぬこの掌だった。謝ることもできず、あの夜の血だけが未だに落ちない。
 利吉は生きていると聞いた。一命を取り留めたのだと。だが、会わない方がいいとも言われた。『今の姿を、あいつも見せたくないでしょうから』と、そう言われた。
 今どこで、どんなふうに生きているのかが、分からない。笑えるのか、歩けるのか。今でも傷が痛むのではないか。もしかしたらもう二度と忍業はできないのではないか。あれほどに父を超えることを目指して羽ばたいていた子の羽根を、自分は切り落としたのではないか。
 思えば思うほど、息が詰まる。喉の奥が焼けるように痛む。生きていると聞いても、それは救いにはならなかった。むしろ生きていてくれたことがいっそう辛い。謝る機会すら与えてはもらえなかった。
 ──どうして、止められなかった。
 掌を見つめる。そこにはまだべったりと、彼の血が貼り付いたままだった。あの夜の感触が骨の奥にこびりついている。彼の骨と、肉と、腱を切った。その感触が、振動が、病のように手のひらから全身を蝕み続けている。
 夢の中で、利吉は何も言わない。
 ただ、少し笑っている。
 いつものように、穏やかで、優しい顔で笑ってくれている。
 「……許してくれ……」
 何に許しを請うのだろう。許されたいわけでもないくせに、それでもその声は絞り出される。声に出しても、答えてくれる者はない。
 夜が明ける。今日も鳥が鳴き、世界は何事もなかったように回っている。だがあの日から、土井の時間はずっと止まっている。
 子供の頃から知っている。覚えている。何一つとして忘れたことはない。強くなりたいのだと言って、泥にまみれてなお彼は笑っていた。寒い日は同じ布団に入ってぬくもりを分けあった。時折過去を思い出して震えるこの手を、心配そうに握ってくれた。
 一人前の忍に育っていった姿が誇らしかった。それでもあの頃の顔をして会いに来てくれる素朴さが嬉しかった。自分の手で斬ったのだ。あの笑顔も、温もりも。
 死ねば楽になるだろうかと、何度も考えた。だが利吉が生きている限り、自分は死ねない。彼が苦しみながら生きているのであろう中で、自分が死ねるわけがない。

 ──生かされている。
 あの日も、今も、彼に守られて。
 そのことが、いちばんの罰だった。