軍師天鬼、利土を描く(3)
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その夜、利吉を下がらせた後も、天鬼は暫く机の前に座ったままでいた。目の前には先程まで二人で使っていた馴染みの絵師特製の原稿用紙と、女中から教わった「読者をにやにやさせる展開」の覚え書きがある。
『二人が互いを意識していると思わせるようなシチュエーションを作ることですね』
女中はそう言っていた。
何でもない一言を後になって思い出してしまう。触れた手を意識する。別れたあと一人になってから、今のは何だったんだろうと考えてしまう。
天鬼は先ほどまでの利鬼の態度を思い返した。近くへ寄っただけで妙に黙り込んだこと。目を合わせているうちにだんだん顔が赤くなったこと。こちらが「目を逸らされると追いたくなる」と言った時、一瞬酷く驚いた顔をしたこと。最後には「私の心臓がもちません」などと言っていた。
「……心臓」
天鬼は小さく呟いた。
何だったのだろう。あれは。
あの時の利鬼は、明らかにいつもと違っていた。別に具合が悪そうだったわけではない。ただ頬だけが妙に赤く、こちらの顔をまともに見ようとしなかった。
そう考えているうちに、何故か自分の胸の内まで少し落ち着かなくなってくる。別に嫌な感じではない。むしろ──何となく甘い。利鬼が自分を見て困ったような顔をしたことや、目を逸らしたあともう一度こちらを見た時のことを思い出すたび、胸の辺りが妙に柔らかくなる。
「…………」
天鬼は眉間に皺を寄せた。
──何だこれは。
自分まで女中の言う「意識している状態」とやらになっているのではないか?
いや、まさかと、天鬼は一度首を振った。これは単に参考資料として先ほどのやり取りを反芻しているだけだ。実際にどういう感情が生じるのかを分析するのも作品作りの一環であるからと──そういうことにした。
そう考えても、利鬼が顔を赤くしていたことを思い出すと何となく気分がよかった。
「……分からん」
天鬼は腕を組んだ。
恋愛というものは、どうにも理屈が通らない。それでもあれこれと考えているうちに一つ引っかかることが出てきた。
今回描くのは、山田利吉と土井半助の話である。
調べたところによれば、山田利吉は腕の立つフリーの忍者で、土井半助は忍術学園で教科担任を務める忍者だという。つまり、どちらも素人ではない。
特に土井半助だ。忍術学園の教科担任にまでなる人物であれば相応の実力があるはずである。忍術を教える以上、観察眼もなければ務まらない。相手の呼吸、視線、声音、仕草から考えを読むことも、忍者なら当然身につけているだろう。忍の本懐は人心誘導だ。人を欺くにはまず人の心を読まなくてはならない。
──ならば。
「……山田利吉の懸想に、本当に気づかないものだろうか」
天鬼はぽつりと言った。
山田利吉が土井半助を好きだという前提で描くなら、その好意は何かしら態度に出るはずだ。本人が隠しているつもりでも、まったく漏れないとは考えにくい。たとえば目を見る時間がわずかに長くなるだとか、相手のことだけ妙によく覚えているだとか、頼まれてもいないのに気を回すとか、他人より少し距離が近い、もしくは遠いとか──或いは、誰かと親しくしているのを見れば、理由も分からぬまま機嫌を悪くするとか。
「…………」
天鬼はそこで一度考えるのをやめた。
何故か途中から、山田利吉ではなく利鬼の姿が頭に浮かんできていた。別に深い意味はない。利鬼を資料にしているから。そういうことにして天鬼は先を考える。
もしも山田利吉が土井半助に対してそうした態度を取り続けていたなら、土井半助がまったく気づかないというのは少し不自然だと思う。気づいている──気づいていて、知らないふりをしていると考える方が自然だろう。
「……なるほど」
天鬼は少しばかり納得した。
それであれば、話としてもその方が面白い。山田利吉だけが一方的に片想いをしているつもりでいる。けれども土井半助は実のところその気持ちにかなり前から気づいている。ただし気づいていることを山田利吉には悟らせない。それが分かっているのは読者だけ、という絵図になる。
「……これは使えるな」
天鬼は筆を取り、さらさらと書きつける。
──土井半助は山田利吉の懸想に気づいている。
──しかし本人には言わない。
そこまで考えた瞬間、天鬼の中にまた先ほどの顔が浮かんだ。
目を逸らした利鬼。
赤くなった利鬼。
こちらが近づくと、困ったように黙り込む利鬼。
もし自分が、あれがどういう意味か知ったうえで、知らないふりをしていたとしたら。
「…………」
天鬼は何故か、少し楽しくなった。
これは……よくないのではないだろうか。
そう思う一方で、利鬼がどんな顔をするか見てみたいという気持ちもある。
天鬼はしばらく考え、やがて自分でも理由の分からない薄い笑みを浮かべながら新しい一行を書き加えた。
──読者には、土井半助も山田利吉を意識しているように見せる。
書いてから、また考える。
「……意識」
天鬼は筆を置いた。
利鬼はもう自室へ戻っている。それなのにまだあの男の顔を思い出している。女中の言葉が、またも頭の中で繰り返された。
『別れたあと一人になってから、今のは何だったんだろうと考えてしまうとか』
「…………」
天鬼はしばらく無言で座っていた。
やがて、ものすごく怪訝そうな顔で呟いた。
「……これのことか?」
土井半助は、山田利吉の懸想に気づいている。
そしておそらく、嫌ってはいない。
むしろ──可愛いと思っているのではないか。
年下で、昔から親しくしていて、自分を慕ってくれていることが分かっている優秀な若者。そんな相手を可愛く思わない理由の方がない。
(利鬼も……少し似ている)
何かとこちらの世話を焼き、頼めば文句を言いながらもちゃんと付き合う。部下だから当然かもしれないが、それにしては言いたいことを言ってくるのできっと怖がられてはいない筈だ。今日はずいぶん顔を赤くしていたが、それすら思い返せば微笑ましい。
天鬼はそこで眉を寄せた。
……また利鬼のことを考えている。
だが今はぷろっとを考えている最中なのだから仕方がない。そういうことにしてまた先へ進む。
では──土井半助も山田利吉を可愛いと思っているとして。
「……気づいていないふりをする理由は……」
独り言が落ちた。
二人は恋仲ではない。山田利吉は土井半助に懸想している。土井半助はそれに気づいている。憎からず思っている相手にだ。であれば、何故そのままにしているのか。
天鬼は考えた。
身分か。年齢か。あるいは立場──。同じ忍だ。手練れであれば脛に傷などどちらもあろう。例えばおのれの過去により相手を危険に晒すかもと言える程にはおそらく立場に大した違いはない。そうしてあれこれとしばらく考えているうちに、天鬼は一つの違いに気づいた。
「……組織が違う」
土井半助は忍術学園の教師である。
対する山田利吉は、どこにも属さないフリーの忍者だ。もしかすると、同じ組織の者であれば話は簡単だったのかもしれない。
年少の者を目にかけてやり、技を教え、仕事を与え、その働きを上へ伝える。腕の立つ者であればなおさら引き立ててやることもできる。武士にとっての念弟というものも、ただ相手を可愛がるだけではなく、年長の者が後ろ盾となり、世話を焼き、立身の助けになる。そうした引き立てがあってこそ、関係を結ぶ意味もある。
これがもしも男女であれば、それとはまた別の道もある。所帯を持つことができる。妻として家へ迎え、相手の生活そのものを引き受けることができる。
だが──山田利吉にはどちらも当てはまらない。
忍術学園の人間ではない。土井半助がどれほど彼の腕を買っていたとしても、その評価を上げてやれる立場にはない。仕事を回すにも限度がある。自分の後輩として引き立ててやることもできない。そうかといって夫婦になれるわけでもない。
「……何もしてやれないのか」
天鬼は小さく呟いた。
それは、思っていたよりも寂しいことのように感じられた。
相手を可愛いと思う。だからできれば近くに置いておきたい。何かあれば助けてやりたいし、役に立ちたいとも思っている。だが──相手の気持ちを受け入れたところで、自分には相手に返してやれるものがない。ただ好きだと言って傍に置くだけになる。であれば応えないことにも納得がいく。
山田利吉には山田利吉の生き方がある。若く、腕もあり、どこにも縛られず好きな土地へ行ける。その男を自分の情だけで引き留めて、相手にとって何の得になるのだ。可愛いからこそ、縛らない。好かれていると知っているからこそ、気づかないふりをする。そう考えると妙に腑に落ちた。そして同時に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
「…………」
もし本当に土井半助がそう考えているのだとしたら──不器用な、真面目な男だと天鬼は思った。
相手を大切に思っているのに、その大切さゆえに手を伸ばさない。
欲しいと思っても欲しいとは言わず、自分の傍へ置くよりも、相手が自由でいる方を選ぶ。
「……馬鹿だな」
口にしてから、天鬼はしばらく黙っていた。
胸の中に何とも言えない切なさが残っていて、先ほど部屋を出ていった利鬼の背中まで思い出してしまう。
もしも自分があの男に対して何かを望んだとして──。
「…………」
そこで天鬼は、はっとした。
「いや待て」
何を考えている。
これは二次創作である。
山田利吉が土井半助を好きだというのも、土井半助がそれに気づいているというのも、今しがた自分で考えた設定にすぎない。危うく現実と妄想を混同するところだった。
「危なかった……」
なんと恐ろしい。女中の言う通り、二次創作というものは思った以上に人の心へ入り込んでくるらしい。
天鬼は一度大きく息を吐き、気持ちを切り替えるように原稿へと向き直った。
「さて」
土井半助は山田利吉の懸想に気づいている。
しかし、あえて応えない。
理由は、相手に何もしてやれないから。
「……うむ」
我ながらなかなかに情緒がある。
天鬼は満足げに頷き、続きを書き始めた。
その間も何故か頭の片隅には顔を赤くしていた利鬼の姿が残っていたが、それについては考えないことにした。