リク 利天で練り物を出されて絶体絶命な天鬼と「あーんしてくれたら食べますよ」な利
ここ数日は前線に目立った動きも見られず、それなりに平穏なドクタケの出城内。食事時の湯気の向こうで窓の外の秋雨がしとしとと軒をたたいている。膳に並んだ小鉢のひとつ、里芋と蒲鉾の炊き合わせを前に、天鬼は箸を止めたままじっと動かずにいた。
(これは……無理だ)
記憶などないはずなのに、練り物だけはどうしても受けつけない。表情は変わらない。変わらないが、彼は明らかに途方に暮れていた。周囲の忍たちは、小鉢ごと射殺しそうなほどじっと蒲鉾を見つめ続ける天鬼に気圧されて声もかけられずにいる。
困った。今日はいつもこういうときに助け船を出してくれる優しい風鬼がいない。誰か代わりに頼めそうな──いや、天鬼が練り物を食べられないことを察して天鬼の威厳と体裁を保ちつつこっそりと周囲に悟られないように食べてくれる気のきいた者はいないか──と、視線を巡らせると利吉がいた。天鬼は利吉をじっと見た。あの男ならば視線だけで何かを察して近付いて来るはずだ。
「天鬼殿? いかがされましたか」
果たして戦術は成功した。利吉は天鬼のただならぬ視線に気付き、まんまと近くへ来てくれた。これでこのまま眼下の本丸を落とさせねばならない。天鬼は小鉢の上で箸を泳がせてもう一度利吉を見た。助けを求めるときのように、眉尻がわずかに下がる。
「……利吉」
天鬼は低く呼ぶ。周囲の誰にも聞こえないほど小さな声で、しかし軍師としての威厳を保ったまま静かに言う。
「この小鉢、食べたくはないか」
利吉は咄嗟に笑いをこらえた。『食べてほしい』でも『助けてくれ』でもなく利吉が食べたがる構図を保とうとしている。子供のようなやり口に吹き出しそうになるのを耐えて声を潜める。
「またですか。せんせ……天鬼殿はほんとうに練り物がだめですね」
「またとは何だ。だが知っているのなら話が早い。これを食べろ。私には価値がない食べ物だ」
「そこまで言い切ります?」
「言い切る」
天鬼は箸先で蒲鉾をつつき、わざとらしく眉をしかめた。普段は行儀がいいのに、こういうときは本当に子供のようだ。利吉は卓の端に座っていた天鬼の斜向かいに座り、身を乗り出して周囲から天鬼の姿が見えないようにする。
「そうですね……。でしたら、『あーん』してくださったら食べますよ」
天鬼の肩がぴくりと動く。
「……は?」
「あーん、です。ほら、子どもに食べさせる時みたいに」
「な──」
赤い。みるみるうちに、耳まで真っ赤になる。その表情が愛らしくて利吉は笑う。
「ふざけるな。私はそういう……」
「嫌ですか?」
「嫌だ。そんな恥ずかしい真似を……だいいち、そんなことをして何の意味があるんだ」
「私が楽しいから、ですかね。大丈夫ですよ。……もっと恥ずかしいこともたくさんしているでしょう?」
「…………」
天鬼は赤くなったまま俯いた。苛めすぎただろうかと利吉は内心で少しだけ焦る。この人がどうあっても練り物を食べられないことは利吉にも分かっている。そろそろ意地悪せずに食べてやろうかと思ったその時──。
「……わかった」
「え」
天鬼は短く息を呑んだあと、観念したように背筋を正した。そして、耳まで真っ赤にしたまま、目を瞑って──。
「……あーん」
きちんと口を開けた。
歯並びのよい歯列の白の向こうに、赤い舌が躊躇うように微かに蠢く。見た光景が咄嗟に信じられなくて、利吉の脳が一瞬、空白になる。
「……え」
(え──、そっち……!?)
無垢。純粋。おぼこい。ありとあらゆる生娘に向けるような形容が頭に浮かぶ。からかったつもりが、かえって突きつけられた清潔な刃に、今度は利吉が真っ赤になった。
「ち、違……そうじゃなくて、私に──いやもういい、もう私が食べます!」
慌てて小鉢を引ったくると、利吉は中身をすべて自分の口に放り込んだ。そのまましばらく咀嚼して飲み込み、疲れたように「ご馳走さまでした……」と呟くと、天鬼は口を開けたまま胡乱げな顔をした。
「……里芋は食べたかったのだが」
(どこぞの姫かな?)
咄嗟に出そうになった突っ込みをきれいに隠す代わりに申し訳ございません、と笑顔で言う利吉に、天鬼は口を閉じ、わずかに咳払いした。
「……助かった」
「はい……またいつでもどうぞ」
「毎度は頼らぬ。いつもは風鬼殿がおられるからな。お前のように妙な条件も付けぬし」
「付けられてたまるか」
「うん?」
ぼそりと呟いた言葉に天鬼は再び胡乱げな顔をした。利吉はやはり笑顔で言う。
「いやなんでもないです。でしたら、たまにでいいですから。訓練帰りのご褒美に、一口くらいいただけませんか」
「……お前は妙なやつだな。練り物が好きなのか?」
「大好きです!」
「そ、そうか……」
語気強めに言う利吉に、天鬼は気圧されたようにそんなに言うなら……と承諾する。窓の外で雨脚が強まる。天鬼は茶をひと口含み、視線だけで礼を重ねた。
利吉は、へらりと喜んで見せながら残った焦りを笑顔に紛れさせる。頬の熱がまだ引かない。さっき見た天鬼の口の中を思い出してしまい、頭の中で必死で読経など繰り返す。
(ずるいなあ、お兄ちゃんは)
からかい半分で差し出した綿毛のような言葉が、思いがけずまっすぐに受け止められてしまう。これは仕込み甲斐が──もとい教え甲斐があるなと苦笑して、利吉は今夜もお部屋にお邪魔します、と囁いて天鬼を赤面させた。