powered by 「arei」

消えたクラゲ

 水島に贈ったキーホルダーが、ある日カバンから外されていることに緑山は気が付いた。いつも横を歩いていると目に入ってくるクラゲのキーホルダー。いなくなったことにすぐ違和感を感じるほど、いつも堂々とそのカバンにぶら下がっていた。
「そういやさぁ。真麻ちゃんが昨日LINEで送ってきた写真ってあれ場所どこなん?」
 二人の少し前を歩く桶川が振り返りながら緑山に話しかける。危ないからちゃんと前を見て歩くように注意する水島の声を聞いて、緑山はいつも通りだと安心しながらも、同時に不安を募らせた。
「あれね、学校の近くの橋で撮ったやつ! 綺麗でしょ。夕焼け好きなんだよね私」
 緑山が通う中学校は線路沿いにある。そのため、帰り道にはいつも跨線橋を渡る必要がある。放送委員の仕事で帰りが少し遅くなる日は、跨線橋から見える夕日に息を呑む。
「へぇ~。景色良い所に学校あんのな。てか前から思ってたけど真麻ちゃんて写真撮るの上手いよね」
 そんなことないよと謙虚なふりをする緑山だが、正直なところ、緑山には写真を撮るのが得意という自覚がある。だからこそ、褒められたという事実が認められたへと直結して、上がった口角が戻せないほどに嬉しかった。
 三人は普段からよくグループLINEで写真を送り合っている。緑山はご飯の写真、桶川は友達と遊んだ時の写真、水島は風景の写真というように、自然と個性がばらけているのが三人らしいともいえる。
 緑山は二人と歩きながら、これまで送り合ってきた写真を頭の中で思い出す。
 桶川が送る写真は良い意味で人間らしい。きっとそれは、一緒にいる友達が自由に撮っているからこそ出る人間らしさなのだと、緑山は自分の中で納得する。テレビを見ながら欠伸している写真だったり、凍結してつるつるの道で転んで自分で爆笑しているところだったり。まわりから愛されているだけでなく、自分で自分のことを愛しているというのが安易に伝わってくる。それが好きで、緑山は桶川の送ってくる写真を楽しみにしていたりする。
 一方で、水島が送る写真は桶川とは対照的に、あまり人間らしさを感じなかった。水島が送る写真は大半が風景の写真である。空、花、海。そういった、まさに誰もが綺麗と思うものを偏りなく水島は送る。その様子が緑山にはどうも、「人間はこういうのを綺麗と感じるんでしょ」というように機械的に思えて仕方がなかった。拙さの無い綺麗な映りも人間らしさを削ぐ要素の一員であった。きれいな写真なのにどうにも何かが物足りない。
 水島が何を好きなのか、写真から見えてこないのだ。写真の中に生活が存在していない。それがいつも緑山の口角を下げる。
「写真撮るの上手いってマジで良いよな。俺、写真下手だからほとんど人に取ってもらってるし」
「それも桶川君らしくて良いじゃん。欲を言えば桶川君が自分で撮ったのも見てみたいけど」
 また今度ね、とスパッと言って桶川は自分で撮った写真を見せる恥じらいから逃げた。
 歩き続けて、ようやく目的地に着く。
 緑山と桶川が話しているその間、水島は軽く笑うだけで、何も話さなかった。緑山が水島と出会った時からそうだ。水島は三人以上の会話になると、会話を振られない限りはずっと口を噤んでいる。それが気になって仕方がない緑山に、いつものことだから気にしなくていいよと桶川は慣れたように言う。それでも気になるものは気になるのだから仕方がない。
 緑山は何度も居ないクラゲを見つめる。きっと些細な理由なのだと思う。気分転換とか、なんとか、そういう些細な理由。それでも気にしないということは緑山にはできなかった。そして、キーホルダーを外した理由を訊く勇気も緑山には無かった。


 夜、帰り道でも、緑山はキーホルダーのことが頭から離れずにいた。
 三人の中で水島だけ別の駅で帰るため、途中の道で分かれた。三人で歩く時、いつも緑山の隣は水島なのだが、今は桶川が隣を歩いてくれている。
 
 意外と心配性なのだろうか。緑山はふとそんなことを思う。階段を上る時、緑山が転んでも支えられるようにと、いつも数段斜め後ろを桶川は歩く。そんな心配しなくてもいいよ、子ども扱いしなくていいよと緑山が指摘したことは何度かあった。しかし返事は決まって「子ども扱いじゃないよ」で、辞める気は一切無さそうだった。
 駅のホームに繋がる階段を上る今も、桶川は緑山の斜め後ろのポジションを外さなかった。
 ホームに着くも、人は緑山と桶川以外に誰一人として存在しなかった。元々利用者の少ないこの路線は、夜の八時を過ぎれば人類が滅亡してしまったかのように閑散とする。
 何も音がしない真っ暗で寒いホーム。普段なら気にならないのに、今日はなんだか気持ちが落ち込んでくる。
「桶川君、あのさ……」
 言葉は続いてくれなかった。自分でも何が言いたいのか、上手く整理できていなかった。だがそれ以上に、吐き出す勇気がまだ無かった。
「ヤバ、レモングリーンティだって。どんな味だろ」
 ホームに設置された自動販売機をまじまじと眺めながら桶川は楽しそうに言う。
「買うの? 絶対変な味だって」
 ICカードをかざす桶川を緑山は不安そうな顔で見つめる。
「真麻ちゃんも好きなの選びなよ、奢るよ」
「ホント? じゃあ……ホットココアにする」
「押していいよ」
 ガコンという音と共にホットココアが落ちてくる。
 桶川から渡されたそれを両手で持つ。温かい。緑山はほんのりと幸福感を感じる。
 椅子に座って電車を待つ。電車が来るのは一五分後。長いなぁとため息を吐くと、それは白く可視化された。
「すごい」
「どう?」
「美味しくない」
 口ではそう言うわりになぜか楽しそうに笑う桶川。楽しそうならいいかと緑山もホットココアに口を付ける。
 少しの沈黙の後、桶川が静かな声で緑山に話しかける。
「そういやさっきなんか言いかけてなかった?」
 どもる緑山を急かすことなく傾聴する。
「ええっと……自分でも何が言いたいのか分かんないんだけど……」
 ホットココアを握りしめる。変わらず温かいままだ。
「水島君、って、私のこと好きじゃないのかな」
「そんなことないと思うけどね」
 桶川は美味しくないジュースを飲みながら、緑山の言葉に落ち着いて相槌を打つ。
「いろいろしてもらってるのにこんなこと思うのって終わってるって自分でも分かってるけど。ずっと不安で」
 言葉を連ねれば連ねるほど緑山の背中は丸くなっていった。
「水島君が何を考えてるのか分からない。私、水島君のこと何にも知らない。好きな食べ物って何だろう。仕事は何をしてるんだろう。返信の時間が不規則だけど、いつも何時に寝てるんだろう、家族はどんな人なんだろう、何で何も教えてくれないんだろう。こうやって考えてるのも私だけなのかな。水島君は生活の中で私のこと思い出すことってあるのかな。」 
 うん、と優しく相槌を打つだけで、桶川は特に何も言わない。それに甘えて緑山はたくさん話してしまう。
「桶川君のことは分かる。ラーメンとかカツ丼とかガッツリした食べ物が好きで、でも意外と甘いものも好きでラーメン屋行くといつも杏仁豆腐頼んでて。仕事は主に営業。眠気に弱くて夜はすぐ寝ちゃうから12時以降は返信無い。うん、やっぱり桶川君のことは分かる。」
「なんか、よく見てんのな。ありがとね」
 足を組んだりして少し落ち着かない様子の桶川は恥ずかしそうにしながらも感謝を述べた。
「水島君って私のことちゃんと好きなのかな。嫌われてるとは全く思ってないけど、好かれてる確証が持てない」
 震えた声でそう吐き出す緑山に目線を向けることなく桶川は話し始める。
「人間関係って、情報交換で成り立ってるもんだと思う。相手が一つ「これが好き」って言ったなら、自分も何が好きかを一つ提示するような感じで。だけどそれは『俺も情報共有するからお前も情報共有しろ』みたいなんではなくってさぁ。なんていうか、関係性を強くするのは『知りたいし知ってほしい』って感情と、それに伴う行動なんだよ」
 向かいのホームの屋根あたりを見つめながら桶川はゆっくり話す。考え事をする時、桶川は少し上を向いて話す癖がある。
 緑山は桶川の話をじっくり咀嚼する。今の桶川の話と水島のことがどう繋がるのか、イマイチピンと来なかった。
「真麻ちゃんはすでにその体制ができてる。でも水島は違う。知られるのが怖いから何も話さない。『知りたいけど知られたくない』が今の水島の状態。今の水島じゃ誰とも親しくなんてなれない。情報を明かさない人間が本当の意味での友人を手に入れることなんてできねぇんだよ」
 優しい声なのにどこか静かな怒りのような黒いものを感じた。ふと気になって、背中を伸ばし桶川の顔を横目で確認する。桶川の表情は変わらず微笑んだままだった。
「……なんで知られたくないの? 私のこと嫌いではない……んだよね?」
「そりゃもちろん」
 桶川君が言うならきっと本当なんだろう。緑山は心の中で九割の納得をする。一時的に不安が取り除かれていく。
 桶川が買った美味しくないジュースは気が付けば空っぽになっていた。
「飲むの早いね」
「家に外のゴミ持ち込みたくないんだよね」
 少し元気になった様子の緑山を見て桶川はひっそり安心する。
 電車の到着を知らせるアナウンスがホームに響き渡る。不安を少しホームに置き去りにして、二人は人の少ない電車に揺られていった。