笑い皺の原因
先に体を起こしていた桐ケ谷を抱き枕代わりにして寝汚い彼女はもう一度、眠りの海に沈もうとする。だが、そんな彼女の眠りを妨げるようにレースのカーテンの隙間から朝を知らせる陽の光がベッドの上にいる二人を照らし出す。
「唯さーん、くすぐってぇんだけど?」
擽ったさに桐ケ谷は軽く身を攀じる、スウェットを身に纏った下半身とは違って上半身は何も身に纏っていない桐ケ谷。年齢からは考えられない引き締まった体型は年々、彼女の逆鱗に触れる。何で同じ物を食べているのに、と言われたって体質なのだから仕方ない。それに桐ケ谷は彼女の柔らかな体も嫌いでは無かった、変わらない物もあれば少しずつ変わっていく物もある。変化は悪いものではない、それに二十年以上一緒にいて寝室が別れていないのが円満の証拠だろう。
未だ眠気に抗えていない彼女は瞬きを数回繰り返しては目を細め、ボーッと桐ケ谷の顔を見つめている。夢と現実の区別がついていないのか、桐ケ谷の頬に手を伸ばして刻まれた皺を指でなぞる彼女。
「唯?」
「……あれ、桐ケ谷先輩。なんか、おじさんだ」
随分と懐かしい響きだ、と桐ケ谷は喉を鳴らして笑う。その懐かしい呼び名に引っ張られるように桐ケ谷も当時のように彼女を呼んでみる。
「あんたと何十年一緒だと思ってんだよ、朝日奈さん」
俺がおっさんならあんただっておばさんだろ、と思ってもいない事を口にする桐ケ谷。年齢だけを切り取れば彼女だっておばさんの部類に入る事は重々承知しているが、桐ケ谷にとって目の前の彼女はあと三十年経ったって女の子なのだ。桐ケ谷が初めて惚れて欲した女の子だ。
「……おばさん、じゃない」
「はいはい、おねーさんな」
「それに朝日奈でもないですよーだ」
ったく、唯が始めたんだろ、とその寝惚け面を指でピンと弾けば、当時と変わらない気の抜けるような彼女のへらりとした笑みが桐ケ谷に向けられる。
「えへへ、今は桐ケ谷唯なので」
「……あんたは変わんねぇな」
「へ?」
「勝てねぇって言ってんだよ、一生あんたには」
桐ケ谷は自身の顔に掛かる前髪を掻き上げながら、くしゃりと笑う。年々深く刻まれていく笑い皺の原因は彼女の存在だと胸を張って言えた。