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リク 准教の土とコンサルやってる利の続き


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 翌週の金曜日、正式な提案の打ち合わせが始まった。土井は会議室のプロジェクターでネットワーク構成図が映し出されるのを見つめていた。複雑に張り巡らされた回線、ファイアウォールの配置、DMZの構成。前世では人の動きを読んでいたが、今はデータの流れを追っている。
(まさか今生でこんな形で情報戦を見ることになるとは)
 土井が内心苦笑する中、利吉はレーザーポインターを使いながら、セキュリティホールになりうる箇所を指摘していく。
「ここのセグメント間の通信制御が甘いですね。ファイアウォールのルールが広すぎます」
 土井は画面を見つめながら、利吉の説明に耳を傾けた。専門用語の端々にほんのわずかな訛りが残っている。利吉の説明に、事務局長が難色を示す。
「セキュリティ上の必要性は分かりますが、研究室間のデータ共有は必須でして」
「そこは理解できます。ただ、最近の標的型攻撃は、まさにそういった『必要な通信』に紛れ込んできます」
 利吉がノートPCを操作し、実際のログデータを表示させた。不審な通信パターンが赤くハイライトされている。
「これは先月の他大学での事例です。正規の研究データ共有に見せかけて、マルウェアが拡散しました」
 説明しながら、利吉の指がキーボードを滑る。その手つきには無駄がない。土井はふと、前世で利吉が手裏剣を扱う時の正確さを思い出した。
「……ところで山田さん」
 土井は画面から目を離さずに尋ねた。
「この解析ツール、独特ですね。独自開発なんですか?」
「一部はそうです。既存のツールだと、日本特有の攻撃パターンに対応しきれないことがあって」
「日本特有、ですか」
「ええ。たとえば……」
 利吉が新しいウィンドウを開く。コードが流れるように表示される。
「標的型メールの日本語の巧妙さは、海外製のフィルターでは判定が難しいんです。敬語の使い方一つで、本物か偽物か見分けがつくこともありますし」
「なるほど。方言で見分けるみたいなものですね」
 土井の言葉に、利吉の手が一瞬止まった。
「方言……そうですね。確かに地域によって言葉遣いの癖がありますからね」
 ふと、利吉の語尾にわずかな揺らぎを感じた。完璧な標準語の中に、かすかに残る故郷の響き。音が上がりきらない、独特の抑えの癖。土井は資料をめくりながら、さりげなく話題を差し込んだ。
「山田さんは、東京のご出身なんですか?」
 利吉の瞬きがわずかに止まった。
「いえ、出身は山陰でして……分かりますか?」
「語尾が、少しだけ懐かしくて」
 会議室の空気がかすかに和らいだ。事務局長は書類に目を落とし、総務課長はメモを取っている。二人の意識が他に向いている今が、最も自然なタイミングだった。
「実は小学校まで鳥取にいたんです。中学からは東京なので、ほとんど方言を指摘されることはないんですが」
 利吉の声は、照れを含みながらもどこか嬉しさが滲んでいた。土井は頷く。
「鳥取というと……もしかして氷ノ山の方ですか?」
「え、分かるんですか?」
 素直な驚きが表情に現れる。まるで幼い頃の名前で呼ばれた時のような、無防備な反応。土井は微笑んだ。
「史学研究者の職業病でして。古道や峠道ばかり調べていると、土地の言葉の癖も覚えてしまう。氷ノ山周辺のさ行の発音は独特なんですよ」
 嘘ではなかった。都合の良い真実だけを差し出す。前世なら何重にも偽装を重ねただろうが、今はシンプルに一本の糸だけを見せる。利吉の目が懐かしそうに細められる。彼にとって、故郷は良き思い出の地らしい。
「そうでしたか……。なんだか懐かしいです。住んでいたのは麓だったんですが、祖父に連れられて登山にもよく行きました」
 利吉はそう言って小さく笑う。蛍光灯の無機質な光の中に、一瞬、温かな陽だまりが差したように見えた。土井の胸が締め付けられる。三十年間、夢でしか見ることのできなかった笑顔がそこにあった。
「氷ノ山なら、ネット環境も大変だったでしょう」
「ええ、なんとまだ当時ダイヤルアップで」
「山田さんの歳でダイヤルアップですか」
 土井は驚いたように言った。利吉が苦笑する。
「はい。東京の同級生なんかは知らない連中も多かったですよ。山の麓なんて、インフラ整備は本当に遅くて」
 利吉が苦笑しつつも懐かしそうに微笑む。土井の記憶にない、現代の利吉の姿がそこにあった。事務局長の咳払いで二人は本題に戻り、数字を確認し、学内ネットワーク構成の実地調査日程を決めていく。
 会議は滞りなく終了した。いくつかの挨拶のあと、ドアが閉まる。
(焦るな。欲を出すな)
 土井は自分に言い聞かせる。術は小さく、確実に積み重ねていくものだ。
 見送るために廊下を歩きながら、土井は利吉の歩調に合わせた。


 その翌週、事前調査のために利吉と土井はキャンパスを歩いていた。外部ネットワークからの侵入経路を確認するため、Wi-Fiのアクセスポイントの配置を確認する必要があった。
「学内Wi-FiのSSIDが外から見えすぎですね。これだと攻撃者に情報を与えているようなものです」
 利吉がスマートフォンでWi-Fiスキャナーを動かしながら説明する。そんな中、二人は図書館の前を通りかかった。ちょうど銀杏の葉が黄金色に色づいている。風が吹くと、葉がはらはらと舞い落ちた。
「きれいですね」
 利吉が立ち止まって見上げた。
「ちょうど見頃です。氷ノ山の黄葉とは少し違いますが」
 土井の言葉に、利吉が振り返る。
「先生も氷ノ山をご存知なんですか」
「実は知人家族が氷ノ山に住んでいたことがあって、一時期お世話になっていました。あちらの銀杏は、もう少し色が淡いような」
「そうだったんですか。あの辺りに縁のある人は滅多に会わないのでなんだか嬉しいですね。紅葉は……場所によりますね。日当たりのいい場所だときれいに色づきますよ」
 二人は銀杏の下を歩きながら、スキャンを続けた。利吉の画面には次々とアクセスポイントの情報が表示されていく。
「この辺りは特に電波が強いですね。図書館の中からも繋げそうです」
「研究者には便利なんですが、セキュリティ的には……」
「正直、穴だらけです」
 利吉が苦笑した。その横顔に、銀杏の葉の影が落ちている。土井は一瞬、前世の秋の日を思い出した。忍術学園の職員室に訪れてくる、利吉と過ごした穏やかな時間。

 調査はつつがなく終了し、土井は利吉を見送った。社用車に乗り込む彼に声をかける。不自然でない程度の親しみを名に込めて。
「ではまた来週。お世話になります、山田さん」
「こちらこそ、よろしくお願いします。土井先生」
 ──土井先生。
 その響きが、予期せぬ場所で灯をともす。土井は頷くだけに留めた。感情を表に出せば、すぐに壊れてしまう気がした。


 その晩、利吉からメールが届いた。Wi-Fiの脆弱性診断結果が添付され、本文には改善提案が箇条書きされている。そして最後に、一行。
『銀杏の下でのスキャン、新鮮でした。氷ノ山とは違う秋ですが、悪くないです』
 土井は診断結果を確認してから返信した。承認事項については事務局長に明日持っていくことを記載し、最後に付け加える。
『違う秋も、それはそれで美しいものですね。来週もよろしくお願いします』
 送信してから、土井は窓の外を見た。研究室から見える銀杏の木が構内の街灯に照らされている。あの時代には決して見られなかった景色だ。それほどの奇跡の中に自分はいる。
 来週、また会える。利吉はきっとまた「土井先生」と呼ぶだろう。その響きだけで心が甘くなりそうになる。その甘えを、土井は理性で締め付ける。
(──焦るな)
 土井は静かにメールアプリを閉じた。急いではいけない。ゆっくりと、確実に。失った時を取り戻せるように。