リク土天双子 ~月影~
夕暮れの回廊。西日が障子の桟を斜めに切り、双子の影を二本、床板に並べていた。そこに柔らかな声が先に落ちる。
「今度利吉くんと茶屋に行くんだけど、天鬼も一緒にどうだ?」
半助は微笑んで、何でもない世間話のように言った。その口調は軽い。だが、軽さの中に測りの皿をそっと置くような重みがある。試す声音だ。天鬼は対照的に硬い声音で答える。
「遠慮する」
硬い返事には、刃を鞘に収めたままの鋭さがある。半助は「そうか、残念だな」と言って笑い、わざとらしくない距離で肩を並べた。並べば、同じ骨格が鏡のように重なる。人は二人を見紛うが、声と目の温度が違う。
「いい茶屋なんだ。わらび餅がほわっとしてて……利吉くんも甘いものは好きだから」
「知っている」
天鬼の横顔は揺れない。半助の言葉の端々に利吉という名が小石のように投げ込まれ、静かな水面にさざなみが広がる。それを眺めているのは半助自身だ。さざなみを確かめるための投石。天鬼はため息をつくかわりに、名を呼んだ。
「半助」
「ん? なんだ?」
「そんなことをしなくても、私はどこにも行かないよ」
半助の笑みがほんの少しだけ止まる。その止まり方が子どもの頃と同じで、天鬼は胸の内で苦笑した。柔らかさは嘘ではない。だがこの片割れは柔らかさの芯に、驚くほど頑丈な縄目を隠している。
「……そんなことって?」
「私に見せつけるために、あの子を連れ出す必要はない、ということだ」
天鬼は視線を動かさない。淡々としたそれは、言葉を重ねることを好まない男の声音でもある。半助はわずかに目を伏せ、「誤解だよ」と、やわらかく言う。彼のやわらかさは、指に絡む糸のように人をほどいてしまう。けれども天鬼は知っている。ほどけるのは相手であって、半助自身ではない。
「誤解、か。……半助、あの子がどういう目でお前を見ているか、お前も分かっているだろう」
回廊の端、二人の影が重なり合い、また離れる。半助は「私は」と言いかけて口をつぐんだ。言葉にした途端、安っぽくなる種類の正直がある。
「お前は私を繋ぎ止めたくて、彼を見せ札にしているだろう。そういうことはやめておけ」
「……そんなつもりは」
「ある。だが、責めてはいない。お前は私の半分だ。私が行かないと知っていても、お前は確かめたくなるんだろう。そういう生き方を私もしている」
半助が唇を結ぶ。やわらかな沈黙が降りる。二人の足元で、障子の影がゆっくりと伸びていく。
「天鬼」
今度は半助が呼ぶ番だった。柔い音はかすかに掠れて、どこか子供のようでもある。
「……私は、お前にいてほしいんだ」
「ああ、知っている」
「利吉くんを巻き込むつもりはなくて」
「巻き込んでいるだろう」
断定は硬い。半助のまつげが震える。その震えまでを愛おしそうに見てしまう自分を天鬼は少しだけ嫌う。この優しい半身を傷つけたいわけではない。ただ時折は戒める。元々ひとつであったものとして。
「私はどこにも行かない。お前が思っているよりずっと昔からそうだ。行きたいとも思わない」
言ってから、風が止んだ。
半助の目が、ほんの一拍揺れる。柔らかさの衣がひらりと裏返り、縫い目が露わになってそれを誤魔化すように彼は穏やかに笑った。けれど──天鬼には聞こえる。笑いの内側で、刃が鞘に吸い込まれる音がする。
(難儀なことだ)
半助の独占欲が向いている先は利吉ではない。天鬼だ。天鬼が利吉に興味を向けた、その気配を嗅ぎ取った半助がわざと利吉へ手を伸ばした。これはそれだけのこと。
(あの子犬は……きっと半助のことが好きなのだろうに)
気の毒に、と、天鬼は心中でつぶやく。まっすぐに懐き、まっすぐに傷つく類いの眼差し。半助に向けられたそれを見ていると、自分が加害に回っている錯覚すら覚える。天鬼は今度は溜め息をついた。
「……茶屋は、二人で行けばいい。お前はあの子に、きちんと優しくしてやれ。そうでなければ餌は与えるな。期待を与えたのなら手仕舞も本人の役目だ」
半助はしばし天鬼を見つめ、それから軽く肩を竦めた。
「わかった」
足音が一つ、また一つと重なって、回廊の端へ消える。並ぶ影は、今度は離れなかった。
その日の宵、半助は利吉を茶屋へ連れ出した。暖簾の向こうに見える、灯りに照らされた湯呑と緊張で背筋をのばす若い忍。半助は変わらぬ調子で笑い、茶の香を褒め、菓子を半分に割って利吉の皿に置く。半助は人の心にやさしく手を添えるが、ときにそのやさしさでそうやって人を縛る。
利吉はかすかに頬を染め、「ありがとうございます」と言う。半助はそれにやはりにこにこと応じる。その好意は、利吉に向けられている──ように見える。見せている。
茶屋の向かいの屋根の上、天鬼は風の流れに身を沿わせ、ふたりの影を遠くから眺めていた。半助の横顔がふっと緩む。利吉が言った何かに笑っている。その刹那、天鬼の胸中に、なにか別の重みが差し込む。
(半助も、楽しそうだ)
気の毒だ、と繰り返しながら、天鬼は知っている。半助は利吉の前で、笑うときは本当に笑っている。ならば──いつか本当に、半助の意識が利吉へと向く日が来るのかもしれない。
利吉のまっすぐさは、天鬼にとっては憎むに値しないものだ。むしろ護ってやりたい類の光。それに天鬼も惹かれた。もしその光が半助の方へ強く差すなら、影の位置が変わるだけのこと。それだけのこと。
「私は、どこにも行かないよ」
天鬼は夜気に言葉を沈めた。半助の耳には届かない独白。あの独占はこちらに向けられている限り、受け止める。受け止め続ける。
半助と利吉が歩きだす。足元に落ちる影が二重になる。そこにひっそりと寄り添う月影が、茶屋の向かいの屋根からかすかな確かさで伸びていた。