おすしパーティー
じっとりとした厚い雲の隙間から、太陽が顔をのぞかせている。風は湿気をはらみ、どことなく生温かい。照りつける日差しはまぶしく、十七時を回っているというのに日は高い。もう夏がすぐそこまで迫っていた。
今日は行事の関係でグラウンドと体育館が使えなかったため、野球部の練習はお休み。鉄平と露木は通学路を歩きながら話す。
「今日は鉄平さんのお誕生日ですね」
「うん。もう十七歳かあ……来年は、甲子園に行きたいな」
「先輩の応援をしっかりしましょうね」
鉄平は頭の後ろで腕組みをしながら、口を尖らせる。全国高校野球選手権神奈川大会を目前にしているが、二年生の二人は今年は補欠である。
しばらくそうやって話しながら歩いていると、飲食店などが立ち並ぶ繁華街に出た。露木は朝からずっと考えていたことを鉄平に提案してみる。
「プレゼントを渡したいので、今日はお店に寄って何か食べて帰りませんか?」
「えっ、いいのか。毎年ありがとう」
「私が鉄平さんにあげたいからいいのです。そうだ、そこのお店とかどうですか?」
露木はちょうど近くにあった喫茶店を指さした。
「うーん、そこでもいいんだけどお腹がすいたからお寿司がいい」
「あっ、いいですね。じゃあちょっといいお店の予約を取りましょう」
鉄平の好物と言えばお寿司。露木はスマホを開いて、常日頃からあらかじめチェックしておいたお寿司屋さんの情報を確認する。
「そんないい所じゃなくて、回転寿司にしよう」
「えっ、でも……」
お誕生日なのにいいのでしょうか。露木は考えるが、本人が希望しているのだからそれがいいのだろう。これまたすぐそばにあったチェーンの回転寿司屋に入る。お互い両親に夕飯はいらない旨を連絡している間に、テーブルを案内された。十七時半の店内はこれから混むであろう気配を漂わせながらも、まだまだ空いている。
セルフサービスのお冷とお手拭きを持ってきて、露木が注文の為に手早くスマホを操作する。
「何から頼みますか?」
「最初だしイカから行こうかな」
「あー、いいですね」
お寿司屋さんで最初に食べるネタで育ちが分かると言われている。味が淡いネタから始めて濃い味のネタへと進むのが理想的だ。
鉄平はお寿司が好きなことにくわえて家が裕福なので、自然とその順番を選んでいた。しかし一方で露木は悩む。
うーん、どうしても最初はサーモンが食べたいんですよね……。
露木はサイドメニューを頼みつつも、迷っていた。そんな露木の迷いを見透かしてか、鉄平が声をかける。
「大丈夫。高いお店だろうが回転寿司であろうが、お寿司は楽しむための料理。食べる順番なんか考えず、美味しく楽しくいただくことが一番大事なマナーだ」
「鉄平さん……!」
きらきらとした綺麗な笑顔だった。まぶしい。思わず露木は目を細めて頬を赤らめる。確かにそれも一理ある。食事で大切なのはその場に合う最低限の配慮とマナー、そして一緒に食べる人への気づかいだ。露木は遠慮なくサーモンを頼むことにした。
「せっかくですから、いっぱい頼んじゃいました」
「いいね」
しばらくして注文商品専用のレーンにお寿司が並ぶ。こはだ・サーモン・いくら・えんがわ・アジ・真鯛・アナゴ・ホタテ、そしてマグロといった定番のネタ。それにツナサラダやコーン、生ハムなどの回転寿司ならではのメニュー。
待っている間にお茶の粉を湯呑に入れてお湯を注いでおいた。手を合わせて二人でいただきます。
「おいしい!」
「放課後に食べる寿司は格別だな!」
ひとしきり食べて、お皿をテーブルに設置してある洗浄返却口に入れた。五枚ほど入れると、タブレットにアニメーションが映し出される。大きく映し出された「あたり」という文字と共に、テーブルの上の機械から丸いカプセルが出てくる。
「当たりましたね」
「おー、誕生日だからか? ついてる!」
露木が人の良さそうな顔で微笑んだ。しかし、もちろんこれは露木が小細工をしている。
タブレットからではなくスマホのアプリで注文することにより、当たる倍率が上がる裏技があるのだ。これは公式で認められている方法で、対象商品をスマホから注文すると五百五十円ごとに一回抽選ができるようになる。通常のお皿投入とスマホ注文による抽選は併用でき、通常は抽選の対象外であるサイドメニューやデザートも抽選対象になるので普通に食べるよりもかなり当たりやすくなるのだ。
「なんか嬉しいな」
鉄平は何となく露木が何かをしていることだけは分かる。だが、その気持ちが嬉しかった。
「鉄平さんの日ごろのおこないが良いからですよ」
「そうか? ……あっ、同じキーホルダーが出た」
当たる確率を上げることはできても、ダブリは防げない。鉄平は少し考えて、露木にカプセルを渡した。
「一個あげる」
「でも悪いですよ……」
「せっかくだから、リンにもらってほしいんだ」
「そ、それなら…………」
露木はためらいながらも受け取った。世界的に有名なゲームのキャラクターとのコラボ商品だった。可愛い猫のような架空の生き物がお寿司のシャリの上に寝転がっている。
露木は大きな手のひらの上にそれを乗せてじっと見つめる。ほんのりと頬がピンク色に染まる。
「ありがとうございます」
鉄平はにこにこと微笑む露木を見た。じっと見た。ただ、何となく目が離せなかった。それがなぜなのか、鉄平にはよく分からない。
露木は鉄平に見つめられて、恥ずかしくなってしまって目をそらした。露木は鉄平に対する自分の気持ちが何なのかちゃんと分かっている。
「あ……えっと、じゃあ……私からも渡しますね。鉄平さん、お誕生日おめでとうございます」
露木はうつむいて、鞄からプレゼントの包みを取り出して渡す。鉄平はそれを受け取った。
「ありがとう。開けてもいいか?」
「どうぞ」
落ち着いた色のラッピングをそっと広げると、青い布が出てきた。鉄平が好きなスポーツブランドのタオルだった。
「ありがとう! ちょうどこういうのが欲しかったんだ」
「良かった……!」
漠然と欲しいなと思っていたものをピンポイントでもらったことで、鉄平はうきうきとしてしまう。だから、本音が出てしまった。
「誕生日にプレゼントをもらって……ううん、その前にリンと一緒においしいお寿司を食べたかったから、嬉しい」
「え!」
露木は目をぱちくりと開いた。前髪で隠れた方の目も開いた。頬が真っ赤になってしまうのを何とか見つからないようにペーパーナフキンで隠しながら、小さな声でつぶやく。
「で、でも回転寿司ですし……」
「? 何か関係あるか? 俺はリンと一緒なら、なんでもおいしい」
鉄平は照れくさそうな顔をして笑った。
「わ、私もです! だって……」
露木は多少食い気味に答える。どきどきと高鳴る心臓。真っ赤になった頬。困ったように下がる眉毛。汗ばむ背中。露木は自分の気持ちを思わず口に出そうとして、思いとどまった。唇を噛む。
伝えるつもりはない気持ちだ。
「だって……私たち、小学校からの友達じゃないですか!」
「リンとの付き合いも長いよなあ」
鉄平はそう言って腕組みをして頷いた。露木は少しだけほっとして、それからどうしようもなく悲しくなってしまって、じっくり選んだプレゼントを渡せた嬉しさもやってくる。心の中がぐちゃぐちゃ。でも、それを全然露木は顔に出さない。
「…………そうですね」
「あの時から今まで色々なことがあった……あ、やば! 家から電話!」
しみじみと今までのことを思い出している鉄平のスマホに、着信が入った。ざわざわとした喧騒。親子連れの声。店内放送。音楽。
露木は鉄平からさっきもらったキーホルダーを開封した。キャラクターもののそれは、既製品と比べるとやや作りが雑でいかにもオマケといった物だった。もらってもすぐどこかに行ってしまうようなそれを、露木は大事に握る。しばらくして鉄平の電話が終わった。
「ごめん! 誕生日のケーキがあるから二十時までに帰ってこいって電話だった」
スマホを見ると、時刻は十九時になった所だった。鉄平は慌ててテーブルの上のごみをまとめる。当たったカプセルなどを鞄に入れる。
「あれ? それ家のカギにつけるのか?」
「…………ええ、鉄平さんにもらったものですから」
「そっか。じゃあ俺もカギにつけようかな」
鉄平はそう言って、何となく家のカギにつけた。露木はそれをじっと見て、少しだけ微笑んで……すぐに平静を装う。
お勘定を済ませて店外に出た。鉄平の家族が車で迎えに来ているとのことで、駐車場でお別れ。点滅するハザードランプ。荷物を後部座席に乗せて、鉄平は露木に話しかける。
「ほんとに乗っていかなくていいのか? 危ないから送っていこうか?」
「ええ、私のうちはここから近いですから大丈夫です」
「……じゃあ、気を付けて! また明日!」
「さようなら」
鉄平がそのまま座席に乗り込んでドアを閉めた。暗いガラス窓越しに手を振る。露木はそれに手を振り返した。そして、駐車場から車が出て、道の端に消えていくまでずっと見ていた。
家のカギ、自転車のカギ、それからもらったキーホルダーのマスコット。露木はうつむいてそれを握りしめた。
高校二年生の夏のはじまりのことだった。