リク 現パロ利土の出逢い
土井半助は三十五歳になっても、毎朝同じ夢で目を覚ます。
利吉が自分の腕の中で死んでいく夢だった。
血に染まった着物、冷たくなっていく体温、そして最後に呟かれる言葉。夢の内容は一字一句、寸分違わず同じだった。利吉の表情、声の震え、息が途絶える瞬間までが、三十年間変わることなく繰り返されてきた。
「また、あの夢か……」
土井は汗びっしょりになったシーツから身を起こし、枕元の時計を見る。午前四時三十二分。いつもと同じ時刻だった。
洗面所で冷たい水で顔を洗いながら、土井は鏡の中の自分を見つめた。目の下に隈ができている。もう何年も熟睡したことがない。
夢の中で利吉は毎回、同じように死んでいく。夢の中の結末は決して変わらない。まるで呪いのように、同じ光景が繰り返される。
五歳の頃から見続けているこの夢が、やがて前世の記憶だと土井が確信するようになったのは、大学生の頃だった。史学科に進んだのも、この夢の謎を解き明かしたいという思いからだった。
「土井先生、新発見がまた話題になっていますね」
土井が自分の研究室で資料整理をしていると、同学部の教授が声をかけてきた。今朝の新聞に、土井の最新論文に関する記事が掲載されていた。
「戦国時代の忍者集団の実態解明 新史料で組織構造が明らかに」
見出しを見るたび、土井は複雑な気持ちになる。確かにこれは「新発見」だが、実際には夢で見た記憶を裏付ける史料を探し当てただけなのだ。
「三十二歳で准教授昇進は異例でしたが、これだけの業績を上げれば当然ですね」
「いえ……運が良かっただけです」
土井は苦笑いを浮かべた。運というより、記憶だった。当時の細かな風俗、武具の扱い方、忍術の実際の運用方法──。現代の研究者たちが史料から推測するしかない事柄を、土井は体験として知っている。夢の中で見た記憶を頼りに寺や旧家や郷土資料を探し、史料を繋ぎ合わせていくと、面白いように記憶と一致する資料が見つかる。これまでに土井が学会で注目を浴びてきた研究は、すべて夢の中で見聞きしたものが足がかりとなったものだった。
その結果として土井は、都内の某大学で三十二歳で准教授となった。異例の早さでの出世だったが、土井にとってはすべて手段でしかない。学者としての地位を築き、研究資金を得て、全国の史料にアクセスできる環境を作る。史料を調べ、古文書を解読し、論文を書く──その過程で常に探していたのは、「山田利吉」や利吉が用いていた偽名を探すためだった。
土井の利吉探しは、年を追うごとに強迫的になっていた。
大学の研究室には、「山田利吉」という名前で検索した結果を印刷した紙が山積みになっている。電話帳、住民票、新聞記事、インターネットの検索結果。可能性のある人物は全てリストアップし、写真があるものは拡大コピーして壁に貼っている。土井は自分自身が土井半助という名で転生したことから、利吉もそうである可能性が高いという仮説を立てていた。
同僚たちは、土井が特定の武士の系譜を調べていると思っている。しかし実際には、現代に生きている利吉を探していた。
「土井先生、たまには休まれた方が」
研究室の院生が心配そうに声をかけてきた。土井はここ数日、大学に泊まり込んでいる。
「ああ、すまない。もう少しで見つかりそうなんだ」
「見つかるって、何がですか?」
「……重要な史料」
もしも他人が土井の検索履歴を見れば、明らかに異常性を感じるだろう。同じ名前を何十回、何百回と検索している。新しい情報がないか、新しく登録した人がいないか、執拗にチェックを続けている。
「これは……ストーカー行為なのかもしれない」
土井は自分でもそう思うことがある。まだ見ぬ相手に対する一方的な執着。会ったこともない現代の利吉に、勝手に前世の記憶を投影している。
前世では、土井は利吉にとって最初の師であり、兄のような存在だった。適切な距離感を保ち、彼の成長を見守る立場だった。それなのに今の自分は、利吉を見つけることだけに囚われている。
「おかしいんだろうな、私は……」
土井は頭を抱え、深く溜息を吐いた。けれどもあの夢を見るたびに、理性的な判断は吹き飛んでしまう。腕の中で冷たくなっていく利吉の感触。二度と失いたくないという衝動。それらが土井を突き動かしていた。
それは、いつもと変わらない水曜日の夜だった。
土井は大学の研究室で、新聞のデータベースを検索していた。「山田利吉」でのアラート設定を複数のニュースサイトに登録しているため、該当記事があると自動的にメールが届くようになっている。
『該当記事:1件』
心臓が早鐘を打った。土井は震える手でメールのリンクをクリックした。
『危機管理コンサルタント山田利吉氏、サイバー攻撃対策セミナーで講演』
記事には小さな写真が載っている。講壇に立つスーツ姿の男性。画質が悪くて詳細は見えないが、土井の直感が告げていた。
(これは利吉くんだ)
年齢:二十八歳
職業:ITセキュリティコンサルタント
勤務先:リスクソリューションズ株式会社
「利吉くん……」
土井は無意識に名前を呟いた。三十年間、毎晩のように夢で見続けた顔。その人が、現代の東京で生きている。すぐにその会社「リスクソリューションズ」のホームページを調べた。山田利吉の紹介ページがある。経歴、専門分野、顧客企業の一覧──。しかし写真はやはり小さく、詳細な表情までは読み取れない。
土井は震える手で会社の住所をメモした。幸い都内の会社だった。すぐにでも会いに行きたい衝動に駆られたが、理性の部分が止めていた。
いきなり会社に押しかけて、いったい自分は何を言うつもりなのか。「前世でお世話になりました」とでも言うのか。それでは完全に狂人扱いされてしまう。
土井は深呼吸をして、冷静になろうとした。三十年間探し続けた相手をついに見つけたのだ。失敗するわけにはいかない。慎重に、自然に、利吉と接触する方法を考えなければ。
その晩、土井は一睡もできなかった。興奮と不安で、心臓が激しく鼓動し続けていた。夢の中で何度も死んでいく利吉の顔が、まぶたの裏に浮かんでは消えていた。
翌日、山田利吉の会社のウェブサイトをさらに詳しく調べると、主な事業内容は企業のセキュリティコンサルティングだった。官公庁や大学も顧客として名を連ねている。
「そうだ……確か事務局長が……」
土井は呟いた。自分の勤める大学のセキュリティ見直しを提案すればいい。実際、最近は大学でもサイバー攻撃や情報漏洩への新たな対応が課題になっている。以前そのことを心配していた事務局長に相談すれば、外部コンサルタントに依頼することも可能だろう。
土井は事務局長の元を訪れた。
「情報セキュリティの見直しですか」
「ええ。他大学や大手企業でも個人情報の漏洩事件が相次いでいますし、うちも早めに対策を講じた方がいいかと」
「確かに、最近は研究データの管理も厳しくなってますからねえ。専門業者に依頼するとなると、予算の関係もありますが……」
「こちらの会社はどうでしょうか」
土井はさりげなく「リスクソリューションズ」のパンフレットを差し出した。事前に取り寄せていたものだ。
「ほう、実績もありますね。検討してみましょう」
一週間後、事務局から連絡があった。セキュリティ診断の見積もりを取ることになったという。
「来週の金曜日、先方の担当者が来学されます。以前土井先生が資料を取り寄せた際にお名前の出た山田さんがいらっしゃるそうですので、先生も同席していただけますか。研究職から見ての懸念事項などもお伺いできればと」
「はい、ぜひお願いします」
土井の声は震えていた。メールでの問い合わせ時、山田氏の記事を見かけてと書いておいたのだ。その時も見積の際には担当が彼になるという回答だった。三十年越しの再会がついに実現する。
金曜日、午後二時。土井は会議室で待っていた。事務局長と総務課長も同席している中、土井の心臓は破裂しそうなほど激しく鼓動していた。
「今日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます」
廊下から、事務員と話しているらしい聞き慣れた声が聞こえた。土井は息を止めた。この声も、夢の中で何千回も聞いた声だった。
ドアが開いた。
「リスクソリューションズの山田様がお見えになりました」
事務員に案内され、彼が入ってきた瞬間──土井は時間が止まったように感じた。
(利吉くん……)
そこにいたのは、確実に利吉だった。顔立ちは現代風に洗練されているが、背格好、立ち方、所作。何よりも醸し出す雰囲気が、紛れもなく山田利吉のものだった。
「土井です」
ほかの面々に続き、立ち上がって挨拶する際、土井の声は震えていた。三十年間、夢でしか会えなかった相手がいま目の前にいる。
利吉は丁寧にお辞儀をして名刺を差し出した。受け取るその瞬間、二人の目が合う。土井は息を殺して利吉の瞳を見つめた。彼が気づいてくれることを期待した。
しかし、利吉の表情は全く変わらなかった。
礼儀正しく、しかし完全に初対面の相手として土井を見ている。その視線には懐かしさも、特別な感情も込められていない。
「よろしくお願いします」
利吉は自然な笑顔で言った。ビジネスパートナーに向ける、適切な距離感を保った笑顔。
土井は名刺を受け取りながら、胸の奥が引き裂けるような痛みを感じた。
利吉は自分のことを、全く覚えていない。
会議は順調に進んだ。利吉は情報セキュリティについての専門業者として、大学側の質問に的確に答えていく。土井はその様子を見つめながら、複雑な感情に支配されていた。
話し方、資料をめくる手つき、考え込む時の表情──。すべてが記憶の中の利吉そのものだった。けれども同時に、決定的に違うことがあった。利吉は土井を完全に他人として扱っていた。
「土井先生は、どちらの分野がご専門なのでしょうか」
利吉が質問した時、土井は一瞬返答に詰まった。それでもどうにか笑顔を取り繕って答える。
「日本史……特に戦国時代です」
「そうなんですね。私も歴史は好きなんです。特に戦国時代には興味があって」
よくある会話だ。それでも土井はその言葉に期待した。もしかしたら、何かの記憶が残っているのかもしれない。
「どの辺りがお好きですか?」
「織田信長から豊臣秀吉の頃でしょうか。激動の時代を生きた人々の生き様にはやはり魅力を感じます」
「忍者なんかはどうですか?」
土井は思わず質問した。利吉は少し笑った。
「忍者ですか。子供の頃は憧れましたけど……実際は地味な情報活動が主な仕事だったんでしょうね。私の今の仕事と似てるかもしれません」
その笑い方も、記憶の中の利吉そのものだった。けれどもそこにそれ以上の繋がりは感じられない。利吉にとって忍者は、あくまで歴史上の存在でしかなかった。
会議が終わり、利吉は丁寧に挨拶をして帰っていった。
「良い方でしたね。サービスも価格面も悪くないですし」
事務局長が言った。来週、正式な提案書を持参してもらうことになったという話を、土井は窓から見える利吉の後姿を見送りながらぼんやりと聞いていた。利吉が乗り込んだ車が大学の門を出ていく。リスクソリューションズの社用車が小さくなっていく。
彼が生きている。それだけで、土井の胸は締め付けられるような喜びに満たされた。前世では救えなかった彼が、こうして現代を生きて歩いている。三十年間探し続けた相手を見つけた。とは言え利吉は自分のことを全く知らない。自分はこれからどうすればいいのだろう。
その晩、土井は自分のアパートで一人、利吉の名刺を眺めていた。
──山田利吉。
活字で印刷された名前を指でなぞる。三十年間、この名前を探し続けてきた。そして今日、ついに再会できたのだ。けれども、現実は土井が想像していたものとは全く違っていた。正直なところを言えば土井は、運命的な再会をほんの少し期待していた。お互いが前世を思い出し、失われた時間を取り戻すような、そんな劇的な再会になるのではないかと。しかし現実の利吉の態度は、全くの他人のそれだった。前世の記憶を持っているのは自分だけなのだ。
土井は冷蔵庫からビールを取り出し、一口飲んだ。苦い味が口に広がる。
どうすればいいのだろうか。せっかく彼を見つけたのに、ただのビジネス上の関係で終わってしまうのだろうか。それは絶対に嫌だった。
土井は利吉の名刺を机の上に置き、深いため息をついた。
記憶を一人で抱え続ける孤独が、重く胸にのしかかっていた。