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左手


 忍術学園の職員室。土井は山積みになった書類を抱え、棚から古い日誌を引っ張り出していた。片手で書類を抱え、もう片方の手で棚を探る。その動きを、部屋の隅で待っていた利吉は何気なく見ていた。
「……先生、もしかして左利きなんですか?」
 利吉の問いに土井は振り返って、少し驚いた顔をした。
「あれ? 分かる?」
「ええ……なんとなく動きが」
 土井は見つけ出した日誌を机に置きながら笑った。
「よく分かったね。元々は左利きなんだ。でももうほとんど右利きだよ」
「矯正されたんですね」
「幼い頃にね。日常生活は右利きだけど、咄嗟のときや無意識のときは左手になるかな」
 土井は何気なく答えて、書類の束と日誌を見比べ始めた。けれど、利吉がなんとも言えない顔をしているのに気づいた。少し考え込むような、それでいてどこか含みのある表情。
「どうしたんだ?」
 土井が尋ねると、利吉は周囲を見回した。部屋には二人しかいない。それを確認してから、利吉は土井に近づいた。耳元に口を寄せて小声で言う。
「……だからご自身で触ってくださいと言ったときには左手で触られるんですね」
 一瞬、土井は言葉の意味が理解できなかった。けれどその意味が脳に届いた途端、顔がみるみる真っ赤に染まる。
「な……、なっ……!」
 土井は思わず手に持っていた日誌の角で、利吉の頭をどついた。鈍い音が響いた。
「痛っ」
 利吉が頭を押さえた。けれど、その口元には笑みが浮かんでいた。
「何を言っているんだ君は!」
 土井が真っ赤な顔で小さく怒鳴った。利吉は涼しい顔で答える。
「いえ。腑に落ちました」
「腑に落ちなくていい! というか、そんなこと覚えてなくていい!」
「覚えますよ。大事なことでしょう」
 利吉が真顔で言った。土井は再び日誌を振り上げたが、利吉はさっと身を引いた。
「冗談です」
「冗談に聞こえない!」
「でも事実ですし」
「利吉くん!」
 土井の顔は相変わらず真っ赤だった。利吉は楽しそうに笑っている。
「……今後、そういうことをここで言ったら、出禁にするよ」
 土井が低い声で釘を刺すと、利吉は素直に頷いた。
「はい、気をつけます」
 けれどその顔には明らかに笑みが残っていた。土井は深く溜息をついて、再び書類に向かった。
 しばらく沈黙が続いた後、利吉がぽつりと言った。
「好きですよ、左手も右手も」
 土井は固まり、ゆっくりと利吉を見上げた。利吉は穏やかに微笑んでいる。土井はもう何も言えなくなった。
「……もう、帰って」
「はい、父上にも用事がありますので、これで失礼します」
 利吉は笑って部屋を出て行った。土井は一人残されて、顔を覆ったまま机に突っ伏した。
「……恥ずかしい」
 そう小さく呟いて、左手を握りしめた。