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思露の倣い

 忍術学園というところは、案外うわさの花が咲きやすい場所である。
 誰が誰に恋をしているとか、どの先生が甘党だとか、どの生徒が夜中に抜け出そうとして叱られたとか──。
 そんな中でもひっそりと語られていたのが、「利吉さんが土井先生に懸想しているらしい」という噂だった。
 もっとも、表立って囃し立てる類のうわさではない。誰もがなんとなく察してはいるが、わざわざ口に出す者もいない。実際、ふたりの関係がどうというわけではないし、いつだって土井先生は涼しい顔で、或いは胃を痛めつつ授業に臨み、利吉は忍務の合間にふらりと現れては、父親に小言を言って去っていく。
 少し前までは、確かにそれだけだった。ただ──最近になってその『片恋』が、少々目立ってきた。

 忍の間では「知らぬふり」が最上の礼儀である。しかし学園の出入門を預かる事務員の青年は、些かここのところ心配なことがあった。
 なにしろ、ここしばらくの利吉ときたら、来ては手紙を置き、ろくに言葉もなく去っていく。「土井先生にこれを渡してほしい」と、どこか照れたような笑顔を残して。
 今日で五通目──いや六通目だろうか。けれども返事は一度も戻ってこない。封を受け取る土井の顔は穏やかで、彼は手紙を開ける様子もなく文箱の中に仕舞ってしまう。その箱の中身がもういっぱいになっているのを、事務員は知っていた。
(お気の毒に)
 そんな状況であるのに、利吉はといえばなぜか日に日に顔が明るくなっていく。風の匂いに春を見つけた雀のように、ひとりで楽しそうにしているのだ。
 事務員はついに、「これは、恋をこじらせておかしくなってしまったのでは」といらぬ心配し始めた──と、こういうわけである。

 昼下がり、帳簿を前にうんうん唸っていた事務員の様子に気づいて、上司の吉野先生が声をかけてきた。
「どうしたんです、そんな難しい顔をして」
「い、いえ、あの……その……」
 うっかり、心に溜めていた話をぽろりとこぼしてしまう。
 利吉さんが、どうも土井先生に手紙ばかり出していて、返事が一通もないんです、それでも嬉しそうで……云々。
 話を聞き終えた吉野先生は、少しの沈黙ののちに言った。
「……私は、何も聞きませんでした」
 そして感情の読めない顔で踵を返し、どこかへ去ってしまう。事務員はぽかんと口を開けて首を傾げた。

 その日の夕方、たまたま兄が用事で学園に立ち寄った。兄は既に家業を継いで家を切り盛りしていて、弟よりも随分と世慣れている。雑談のついでに、事務員はこの奇妙な手紙にまつわる話をした。名前を伏せて事の顛末を話すと、兄は思わずと言った様子で苦笑した。
「お前それは、『後朝の倣い』だな」
「きぬぎぬ……?」
「知らないのか。昔から、契ったあとは男が七通の文を送るんだ。七通目の手紙に女が返事を返せば、それが結婚の承諾になる。上流階級の作法だけどな」
「結婚……」
 事務員はまたも口をぽかんと開けた。
「まあ、五、六通というなら、あと一、二通か。浮かれているのというのなら、よほど初見えの感触がよかったんじゃないか?」
 そう言って兄はにやりと笑う。
「下手なことを言うと馬に蹴られるぞ。次に手紙を預かったら、次は返事を預かる番になるかもしれないな」
 事務員は赤くなった顔を思わず押さえた。

 翌朝、門の向こうから近づく気配があった。
 いつものように利吉が来て、「土井先生にこれを」と文を預けて去っていく。
 ──私は、何も聞きませんでした。
 昨日の吉野先生の言葉が頭をよぎる。なるほど。確かにこんなものは、知らぬふりをするのが一番外野は困らない。
 文を記録簿に挟み、事務員はさっさと教員長屋へと向かった。