How do we live? - デプ/ウル

 あーっと。
 どこかのスーパーヒーローがお得意だったよな、これ。セリフに商標登録はないから使ってもセーフ? 状況はサンフランソウキョウ向きじゃないし、ここは1927年のシカゴ。禁酒法とかアル・カポネとか、ようは『アンタッチャブル』を思い浮かべてくれれば大体正解だ。
 話を戻すけど、俺も今まさに「あーっと」な感じ。スローモーションで、背中に冷たいコンクリの壁を感じながら、マスクの内側でできる限り息を吸い込む。
「逃げろ!!」
 声の限り叫んで、俺に向かって駆けだそうとしていたローラを見る。サングラス越しの彼女の鋭い視線が一瞬見開いて、すぐに鋭く冷静になった。さすがだぜ、アンガーマネジメントを覚えた彼女はまず間違いなく次代最強のウルヴァリンだ。
「ウェイド!」
 俺の声に負けじと叫ぶ声が聞こえる。よそ見がないように両手で掴んだ銃口の向こうで、手を伸ばしたローガンがローラに突き飛ばされるのが見えた。ワォ、彼女の足元、踏み込みでひび入ってるよ。アダマンチウム同士がぶつかるとあんな音すんだね。衝撃波で顔の肉揺れそう。
 銃弾の雨を掻いくぐりながら、突き飛ばされた体を起こすローガンにさらにタックルをかますためにローラが走る。おい、全員こっちを向けよ。骨までむき出しのストリップショーを見逃すぞ。
 半透明でレトロな色合いのどこでもドア目掛けてローガンが突き飛ばされて、転がされる。背中から見事ホールインワンだ、よし。
「ウェイド」
 遠目にも、タイムドアに消えるローガンの口がそう呟いているのがわかった。手の中で爆ぜたイチモツのノックバックを感じながら、俺の頭の半分も爆ぜる。クソ、悲願だったアダマンチウムとの初セックスがこれかよ。



 ───と、悲劇的な別れの演出になったことは申し訳なかったけど、俺に非があるわけじゃないし、謝るつもりはない。こうして無事でいるんだし、大切な元ハンサムフェイスも一ヶ月かけて取り戻すことができた。おかえり、鏡を見るのが憂鬱な日々。
「ウェイド、無事でよかった」
「ただいまローラ」
 TVAの古臭くて退屈な床を恋しく思う日が来るとはね。本当に抱きしめてキスでもしたいくらいだったけど、ローラが両手を広げて出迎えてくれたからブーツの裏でスキンシップするだけに留めておく。タイムドアを超えた先で差し出された両手を握り返すと、腕を引かれたあとぎゅっと胸に硬い抱擁が投げ込まれる。力加減は、そうだね、きっとヒーリングファクター持ち向けだ。肋骨もかろうじて耐えてくれた。
「二人も無事でよかった」
 手を回して長い髪のかかった肩を叩く。逃げおおせたのはわかっていたけど、こうして腕の中で確かめられてこそ心から安心ができるってものだろう。別れの後、ろくに連絡も取れないまま一ヶ月を過ごしていたから余計だ。
「ローガンを助けてくれてありがとう」肩を抱きしめたまま小さい声で囁くと、胸から顔を離したローラが俺の顔を見た。「ダディはどんな感じ?」
「わかると思うけど」おっと、ここにきて声色に憤りの気配がする。「心の整理をつけてるところ。私も、かなり苦労した」
「心の整理っていうか、俺ちゃんが身辺整理を求められそうな感じなんだけど」
 軋む音を立てる腰骨を救うべく万力の勢いで締め付けてくる細腕をタップして、なんとか胴体のギロチン刑から逃れる。逃れた先にあったのは、サタンも裸足で逃げ出す形相で仁王立ちする闇堕ちクズリだ。ちょっと、到底ヒーローとして見せちゃあいけない顔じゃない? 周囲を取り囲むTVAも戦々恐々で三メートルを保って包囲されてるし。
「やばすぎ。今ならゴジラとキング・コングと並べてもあんたの方が怖いし多分にらめっこであのモンスターたちを負かす確信があるね。デルトロに映画化頼む?」
 一歩、また一歩とローガンが俺に対して距離を詰めてくるのに合わせて俺ちゃんの足もじりじり後退を続ける。どういうエネルギーが作用してるのかわかんないけど、マジで一歩が1トン級の振動を伴ってTVA全体を揺すってる。『パシフィック・リム』の香港で逃げ込んだシェルターの上を怪獣が歩いてるやつ、4DX再現したら今とまんま同じ揺れだろうな。
「あれが最善だった。わかってるだろ」
 言って、視界の端でローラがため息をつくのが見えた。正面からはモンスター第三勢力が四肢を使って全速力で駆け出す。近くにいたミニットメン──マジでこの名前について上層部ともう一回話合う必要があると思う──からタイムパッドを奪い取って、肩を串刺しにされながらドアへと転がり込んだ。
「クソッ、またここかよ! ようやく帰れたっていうのに、うんざりだ」
 背中にざらつく砂の感触がある。顎を上げればやっぱり、一ヶ月の短期ステイを受け付けてくれた地中に埋まりかけのヘリキャリアがあった。懐かしいね、ウルヴィ。俺たちが最初に殺し合った思い出の地だ。なんて言っても耳に入れちゃくれないだろうな。容赦なくご自慢のクローをギンギンにおっ勃てて乗り上げたローガンの目は、完全に瞳孔が開ききってる。
「お前を失いかけた」
 排気音みたいにローガンが呟く。
「俺だって、あのままじゃアンタとローラを失うとこだった」
 1927年のシカゴ。どうしてあの土地にアダマンチウムの弾が用意できたのかはわからずじまいだが、変異体が生んだアースで、その変異体によって積極的に破壊されつつあった世界だったからそんなこともあり得たのかも。でも今回は事前調査が入っていた簡単な捕縛作戦の予定だったからローラも同行させたっていうのに、最悪過ぎる巡り合わせだった。
 握った刀を砕いて右膝から下が吹き飛ばされたとき、それが二人にとって何よりの凶弾だとわかったとき、俺だけが助からないエンディングが目指すべきゴールになった。稀少さと時代柄大量生産の難しさを踏んで、弾数が限定されること、そして射出に耐え得る銃も限られるだろうって推測は当たり、俺ちゃんが抑えた一丁以外には弾の控えはなく、賭けには大勝。ただし顔半分を持っていかれて俺は大敗。意識が吹き飛んだあと気がついたら懐かしの虚無でヘリキャリアをベッドに砂風にさらされていて、欠けた足と顔が戻るのを眺めながらTVAの迎えを待つことになった。それが一ヶ月前に起きたこと。二時間前に迎えに来てくれたポンコツボケカスTVAが言うことには、俺ちゃんが虚無にいたのは状況を見ていた職員くんが咄嗟にドアをご用意してくれたかららしい。これ以上ヒーリングファクター耐久実験みたいなことにならなかったことには感謝するけど、よりによって虚無? って文句はつけてもいいよな。もっと他にあっただろ、滅びる前のアスガルドとか、アポロが監督官やってるネヴァロとか、メビウスが働いてたボートショップとか。おかげでタイムオーラが全然追えなくて一ヶ月もかかった挙句、迎えに来て早々「ローガンがブチギレててヤバいから助けてください」って。労われよ、R指定映画興行収入のチャンピオンだぞ。
「謝らないからな」
「謝れとは言ってないだろ」
「でも謝ってほしそうだ。それ以外に六本爪が俺の肩をケバブにする理由があんの? 他にどうすればあんたを宥められる? セクシーなジョークはソールド・アウトだぞ、こっちは足無し顔無しでサバイバルして疲弊してんだよわかんだろ」
 爪が肩から抜けて、凶器の収まった拳が俺の顔の横に置かれた。どう考えたって厳しい状況に在ったのは一人孤独に生き延びた俺だってのに、目の前の男はまるでそれ以上にひどい場所で『時計仕掛けのオレンジ』だけを観て生きてきたみたいな顔をしてる。髭は辛うじて「ウルヴァリン」の輪郭をしてるけど、目の下の隈は深海みたいな色で落ちくぼんでるし、白目はニューヨークの下水道で見つかった白骨死体色。いつも俺を誘う───肯定されたことはないけど───うっすい唇の状態は、こんなのに欲情できるやつがいたらいよいよネクロフィリアを疑うべきだって感じ。つまり今の俺ね。
「約束しろ。次また俺が死にそうなタイミングには、助けるな。一緒にくたばれ」
 胸の上に崩れた猫耳ヘアーがうずくまる。スーツ越しにも吐き出される息が感じられて、心臓の表面が熱を持った。
「残されるのはもう御免だ、残されるくらいなら救われたくなんかない」
 マドンナが流れたあの瞬間、俺の中に流れ込んできた記憶の濁流が脳裏をよぎる。
 断片的で朧なそれは不明瞭で、でも痛くて苦しい喪失の感覚にははっきりと覚えがあった。心が砕けて、失せて、埋まらない空虚さに、己の無力さに途方もなく向き合い続ける茫漠とした日々。ローガンがあの時何を考えていたのかまでは知らない。俺は、俺以外にも同じ虚しさを知ってるやつがいたんだって……安心した。
「────ハ! やだね」
「………何だと」
 顔を上げたローガンに思わず噴き出しそうになって、なんとか堪える。白骨死体がびしょびしょなうえ、瞼はびたびた、鼻先は俺のスーツの跡が残って真っ赤っかだ。鼻水つけられてねえ?
「決めた。これからも俺ちゃんはアンタにどれだけ八つ裂きにされてもウルヴァリンを、ローガンを救う」
 アダマンチウムの下から体を引き抜くのは至難の業だけど、俺ちゃんならできる。胴から背中に回した手で対角線上に肩に手を置いて、腰を捩りながら体制を覆す。下目に驚いたローたんがギッと音を立てて眦を吊り上げるのを見るのと同時、赤ちゃんナイフを顔の真横に突き立てて黙らせる。
「残されて救われない? バカ言うな、ローラがいるだろ。あの子こそ救われて残されるなんて経験、二度と味あわせちゃならない」
 彼女のことを考えなかったわけじゃないんだろう、ローガンは俺が言ったことにさほど動揺は見せなかった。一本爪でナイフを折った後俺の胸倉を掴んで引きずり落とそうとしてくる。ぶ厚い胴体に脚を回してホールドすると転がることは諦めて、上体を腹と背の力だけで持ち上げやがる。
「ならお前が生きればいい。お前がすべてを賭けて救った世界で」
「アンタと! 救った世界だ」
 頭突きがくる、とわかって体を反らして背中に回る。滑りこんだ後ろから首に回そうとした腕を取られ、ヤバイ、と思った次の瞬間にはぶん投げられて背中から地面に落っこちた。受け身じゃ逃しきれなった衝撃が呼吸を詰まらせて、気道が吐く息と吸う息で溺れる。咽て眩む視界にローガンのボロボロの靴が踏み込んで、次ぎに何をされるよりも早く足払いを仕掛けてなぎ倒した。ぐっ、と呻いたローガンのただ白いだけのくせにやたらホットに見えるシャツの胸倉を掴んで、ダガーを顎に突きつける。同時に俺のホルスターから抜かれた銃が、俺のこめかみに銃口を定めた。
「譲らないからな」
「俺だって」
「一緒に生きるべきか死ぬべきか、それが問題なんだろうけど」
 向かい合った俺とローガンの顔に陰が差して、俺たちは傍らを見上げた。サングラスをおでこの上に引っかけたローラが、イラついた表情で腕を組んで立っていた。彼女の後ろには、開きっぱなしのタイムドアが待っている。
「それ以上やる気なら"仲直り用"の車を用意するよ、どれだけやり合っても壊れないやつ。それで手早く納めてくれる? それか私とアルとメリーが待ってるホームに二人で戻って、みんなでチミチャンガ食べるか」
 どっちがいい? と問われるまでもなく、俺ちゃんの愛らしい胃袋がマンドラゴラの如く悲鳴を上げた。二人で腕を下ろして、いつだったかのように砂埃にまみれた全身を見下ろして肩を竦める。いつの間にか頭に上っていた熱が引いてくると、急速にすべてがアホらしく思えてきた。クソ、なんで全身ぴったりスーツのまま賢者タイムを迎えなきゃならないんだ。限界生活ののちの一戦はマジで全身に来る。年齢の影響だとはあんまり思いたくない。
 虚脱感に足を投げ出して立ち上がるエネルギーを溜めていたら、ローガンが手を貸してくれた。
「食うか」
「うん……ヘリキャリアに残ってるのがチョコバーばっかりで、この一ヶ月チョコバー生活だったんだ。しばらくチョコバーは包装の切れ端も見たくない。肉に飢え過ぎて迎えに来た隊員グリルして食べようかと思ったくらい」
「やめといて正解だね。ローガン力作のチミチャンガ、お腹いっぱい食べたくない?」
 並んで歩くローラが言って、してやったりの顔をした。待てよ、ローガン力作……? その言葉につい隣を見ると、ローガンがローラの名前を囁き声で叫んで、それが真実なんだとわかる。そして俺ちゃんの灰色の脳細胞がきらめき、さっとローラの腕をとって早足でタイムドアへと歩き出した。
「ローラ、一二の三で走るんだ。それでタイムドアに飛び込んで、ローガン置いて帰ろう。このままだと俺だけ食わせてもらえなッダァー! おい待て暴虐クズリ!!」
「お前に食わせるのはやめる」
「やだやだ、ローたんのチミチャンガは全部俺の! コラッ本気で走んな300ポンド! タイムドア壊すなよ! ローラ早く!」
「人を体重で揶揄するのはやめるべき」
「それは本当にごめん。反省する。待てオーストラリア産ターミネーター!」
「あとタイムパッドは私が持ってる」
 二人で地面を蹴って飛び上がった先で、オレンジのドアが消える。そっか、ストレンジのマジカルサークルじゃないから消えて移動することもあるよね。俺たちのプリンセスって本当に悪戯好きだ。着地も受け身も考えない俺たちの前に待ち受けていたのは、砂に曇った鋼鉄製だろうヘリキャリアの天井で、思わず二人で口をそろえる。

「「あーっと」」

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