或る従者の独白

※館の構造を初め諸設定を思い切り捏造しております 
二次創作ってことで大目に見てください……すみません……すみません……
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 こつ、こつ、こつ。静寂に満たされた館に、一人分の靴音が響く。
 上質なシルクのカーテンを通して、朝のやわらかな陽光が控えめに廊下に降り注ぐ。しかし白と黒で構成されたこの世界において、朝を迎えてまもないこの時間は夜の名残をとどめて仄暗く、行儀良く並んだ趣味のいい調度品たちはいまだ薄闇のヴェールを纏っている。しかしそれは不安を想起するものではなく、靴音の主────リアム・シェイドにとってはもはや慣れ親しんだ光景であった。

 カーテンを一つ一つ開いて皓い光を取り込みながら廊下を進んでいくと、やがてキッチンの入口が見えて来る。覗き込めば無人であったが、代わりにふわりとパンの焼けた香りが鼻腔をくすぐった。見てみれば、既にテーブルには馴染んだ銀のクローシュが慎ましく置かれていて、もう一人の使用人であるリリスが朝の支度を済ませたのだと察する。
 ………また先を越されてしまったようだった。一体何時に起きているのか、リアムがどれだけ早起きをしても働き者の同僚はその先を行くのだ。
 キッチンに入り本日のメニューを確認しつつ、なんとはなしに馴染んだ壁紙を見遣る。くすんだグレーを彩るウィリアム・モリスの草花の愛らしさは大の男が仕事をするにはすこしくすぐったい。しかし、これも主人の趣味と思えば愛おしく思える己の浅ましさに思わず溜息が零れた。
 いまここでリリスが朝食の支度でもしていれば、彼女に挨拶をして、それ以上の余計なことを考えなくて済んだものを。………などと考えて、どうしようも無い懊悩に勝手に巻き込んでしまった同僚に心の中で詫びながらキッチン奥の扉のノブを捻った。
 開いた先は家事室だ。キッチンとは打って変わって質素で飾り気がないが、部屋の用途を考えればごく自然な佇まいである。日用品のストックが戸棚に行儀良く並び、一切の無駄なく整えられ、かすかに石鹸の香りのするこの部屋は、リアムの好む場所でもある。しかし、目的地はここではない。

 さて、家事室には3つの扉がある。ひとつは今しがた入ってきたキッチンと繋がる扉、向かって左手に見えるもうひとつは廊下に出る扉。そしてリアムが向かったのはそのどちらでもない残りのひとつ、部屋の隅にひっそり佇む館の裏手に出る通用口の扉だった。
 慣れた手つきで扉を開けば、心地よい葉擦れの音と、先刻より輪郭のはっきりした朝の光が出迎える。
 葉を茂らせる木々の隙間から覗く空に当然色彩はないが、石畳にゆらゆらとこぼれ落ちる陽気はあたたかく、今日が気持ちの良い晴天であることは明らかだ。あの方が起きる時間になってもどうか穏やかなままであってくれと祈りながら、リアムは物置小屋に立ち寄ってから、目的の場所へと迷いなく歩いていく。
 
 たどり着いた場所は、花々の咲き誇る美しい庭園であった。隙なく整えられたボックスウッドがつくる小径を進み、花々の様子を見つつ、慣れた手つきでハーブを摘む。昨晩は少しお疲れのようだったから、今朝淹れるブレンドは特にリラックスできるものを、と考えていたのだ。普段はドライハーブを使うが、今日のような気持ちのいい日にはフレッシュハーブで淹れるのも良いだろう。刺激は少ない方がいい。ならばペパーミントは避けて、代わりにレモンバームとカモミールを。ローズマリーは香りが強いが、少量であれば程よいアクセントになる。頭の中でレシピをなぞりながら、必要なだけを摘んでバスケットに収め、立ち上がってまた奥へ進む。こちらも大切な用事ではあったが、いっとう大事な目的はこの先にある。

 やがて、庭園の一角で立ち止まる。そこはこの館の管理の一切を担うリアムが、最も時間と心を割いて手入れをしていると言ってもいい場所​────薔薇園だった。
 幾重にもなる花弁を目一杯広げ、健気に咲くその様はいつ見ても美しく、そして可憐だ。複数の品種を植えているが、あいにく色の違いを愛でることは難しい。
 しかしその分、この目は日毎の花々の変化をよく拾った。慎ましい蕾を付けたと思えば、次の日には貴婦人のごとく華やかに咲き誇り存分に芳香を放つ。しかし少し世話を疎かにすれば、機嫌を損ねた令嬢のようにその棘を剥き出して、その美しさに相応しい魔性を見せつけてくるのだ。リアムは、この気まぐれな花を何よりも愛でていた。​
 一帯を見渡し、やがてそのうちの一輪に手を伸ばす。陽の光を透かし、まるで身のうちから輝くように煌めくいっとう美しい白い薔薇。傷をつけぬよう丁寧に摘んで、なめらかな花弁に浮かぶ朝露を指先でそっと払う。草花に貴賤などないけれど、一層丁重にこの花に触れてしまうのはきっと、花と同じ名を持つ己の主人を重ねてしまうからだろう。

 ローズ・ヴァハマン。この館の主。
 リアムの仕える御方であり、───焦がれ続けている想い人でもある。
 それが従者にあるまじき欲であり、叶わぬ恋だと言うことは承知の上だ。あの方のお傍に居られる、それだけで自分にとっては過ぎたる幸福だと、そう言い聞かせ続けている。
 それでも制御しきれない黒い感情であの方を穢してしまう前に、こうして代わりにこの花に注いで、託して、摘み取って。そして何食わぬ顔をして、美しく咲いたものですから、などと宣って彼女の部屋に飾るのだ。本当に欲深で、醜くて、救えない。

 澱みかけた思考を払って、またひとつ、溜息。
 眼前では変わらず、美しい薔薇が揺れていた。強いて変化をいうならば、日が先ほどより高くなって、その皎さがより増したくらいか。花から顔を上げれば自然と、視線はこの庭を最もよく眺められる一つの窓に吸い寄せられた。そこが誰の部屋かなど、考える必要もない。
 あの方はまだ、きっとお休みになられている。
自分のことを夢に見てほしいなど、贅沢を言うつもりはない。けれどせめて、どうか穏やかな夢を見られていますようにと祈ることくらいは許して欲しい。

(……その夢から連れ出すのもまた、自分なのだけれど)

 だからこそ、できる限り素晴らしい朝を設えるのだ。彼女の望む完璧な従者として。
 あの方が夢から覚めて一番に見るものが、他でもない自分であることに感じる優越をひた隠しながら。

 摘んだ薔薇をそっとバスケットに収めて、踵を返す。
 館を護る従者、リアム・シェイドの一日は、こうして始まるのだった。

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