獣性の不道徳 - 飯P

 唐突に息を食まれ、それが口づけであると気づいたのは二三度口先をついばまれた後だった。翳る視界に何事かと目を剥いているうちに悟飯が離れ、その焦点の移ろいに迫っていた距離を知る。
「……不意をつくとはいい度胸だな」
「あは……つい、目についてしまって」
 何を、と尋ねることは叶わなかった。再び寄せられた顔が今度は眼前でとまり、目を縁取る毛が瞼をくすぐってくる。
「いやじゃなかったですか?」
 耳に触れた囁きは、すでに欲熱を帯びていた。膝に触れ肩に触れ、乗り上げた体重でひとを押しやって壁との間に封じられる。悟飯越しに見える窓の向こうには、ひときわ大きな月が極円の一部を雲に寄せていた。
 こうして悟飯を見上げるのは二度目だ。修行のように激しい殴打はなく、組手で競う手早さもない。労りに触れるのと同じ力で、張りあわせるよりも抗いがたい柔さで身を絡めとっていく。力には同じかそれ以上の力で対抗することを続けてきた己が、ぬるま湯へ誘われるようないつくしみに相対する術を知らないと知ったのがちょうど前の満月の夜だった。
「お前の悪い癖だな」
 口の端に繰り返される触れ合いが、だんだんと湿りを帯びて音を立て始める。吸いつき、陶然と吐き出される息の熱さに知らず背を駆けるものがある。思考を奪う甘いしびれにゆるくかぶりを振っても、じくじくと内側から湧く焦燥感は拭い去れない。ああ、忌まわしい。
「調子に乗ると、わかっていることを、聞く」
「だって、聞きたい。あなたの声で、どう感じてるのか」
 子どものような物言いをしやがる。これも悪い癖だ、それで人が耳を傾けると、もしかしたら計算づくなのかもしれないからこいつは侮れない。
「ねえピッコロさん」
 深く触れてくることはせず、薄い皮膚を刻むように降らせ肌に触れた一瞬に名前で乞う。すでに一度ゆるし、交えた情。悟飯はそれをまた律儀にも肯うことを待っているらしかった。頬に触れた手のひらがにわかに汗ばみながら撫でることをやめる気配はなく、時折いたずらに耳の縁に指先をかけた。情感のこもる接触に伝播するものがあるのか、かける息に、伝う肌にたちまち前の一夜の記憶が掻きたてられる。
「っ悟飯、くすぐるな、」
 唇を押しやる指が、口腔に押し入ったうごめきを想起させる。耳にかかる声が息を乱すほどの興奮を、荒ぐ息と息の交合が最中の熱を、下肢を圧しつぶす重みが引き連れるほどの法悦を。
 混乱の裡に終えた情事はこれまでにないほど身を引き絞り思考を散らかし、明けて何事もなく訪れる朝に安堵を覚えるほどだった。ひと波を越えて情痕すら間もなく拭い去れたというのに、身体の中心、胎の内側に刻まれたいっときの劣情はいつまでも癒えることなく、時を経るにつれ脈打つように与えられた果てを反芻してしまっていた。喉が渇けば水を求める程度の本能が、新たな飢えを覚えてしまった。
「あ、……悟飯、待て、……!」
 首筋をなぞる怖気は悟飯のぬくもりがして、やはり抗いようもなくぬるい。茹だる思考が求めてやまないのはもっと苛烈な昂ぶりで、だが、この先は二度と引き返せない平熱でもあるとわかっている。
「っは、ピッコロさん……」
 すっかり覆いかぶさった悟飯のひと声に、は、と息を飲む。視線の先でちらつく赤が、濡れたそれが招く悦楽を知っている。吸いつかれた舌先がたてる淫猥な水音で鼓膜を浸らせて、くらくらと眩暈がするほど熱い内側の温度を否応なく感知した。引き絞られる舌根がびりびりと、甘い電流が全身を撫でるのに鼻で鳴いて悦ぶ己の痴態すら鮮明で、恥じらいに身をやつしたひと月。夢にまで見たその交接が、今、ふたたび脳裏によみがえり遠ざかる呼吸の苦しさにさえ感応してしまう。
「待て………わからない 悟飯、っオレは」
「わからなくていいんです……ぼくが全部知ってますから」
「だめだ だめだ……こんな、……ッ」
 拍動が全身をゆさぶってひきつれるのを堪えようにも、骨が抜けたように全身に力が入らない。身動ぎひとつままならない、こんな腑抜けた姿を、みっともなく情けない姿を二度も晒して生き恥を重ねるのか。また身もだえる渇きに自分を失って、さみしさを己で慰めるむなしい日々を繰り返すのか。一度きりと交情を断ち、そうと告げに来たはずだった。覚えてしまった渇きは時間の経過が潤すと腹を決めて、お前の熱を思い出にすると。

「ピッコロさん」呼ばわる声の鋭さは、その真意を知ってなのか。「ひとつだけ教えてください」
 見上げればほど近く、かろうじて視認のできる距離で、昏く色を変えた双眸にほとばしる情炎にすら喉が鳴る。
「もう一度、あなたに触れてもいいですか」



@__graydawn

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