イカ玉
サラリーマンのお昼時間をちょっと過ぎても、どっと人が増えるでもない。
店員さんの威勢はええし、じゅうじゅうと鉄板の上でお好み焼きが焼ける音の合間に、一緒にいる人の話し声もちゃんとこっちの耳に届く。入れ替わり立ち替わりで行列の出来るお店にはならへんけど、ここのお好み焼き屋さんはそういう『ちょうどいい人の入り』がほんまにありがたい。
いつもならそうなんやけど……。
「喜代美ちゃん、どうしたんや、その顔? ほれほれ、ふっかふかのイカ玉やで~?」
「そうかて、私が『ミックス焼きそばがええかな~、塩焼きそばもええなぁ~。』て心の中で思って間ぁに、草若兄さんがさっと注文してしまったんやないですか……外食て、このゆっくり悩む時間が楽しいんですよ! そういうのはいくら草若兄さんでも、あきません。」
「喜代美ちゃん、この間ここのイカ玉美味しかったですね、て言うてたやん……。」
「あの日はあの日です。今日は今日で、食べたいものがあるやないですか!」
「え、ご、ごめん……そうは言ってもやで、腹減ったまんまで相談なんかしたら、なんや落ち込んでまうやん? あっ、やっぱオレも焼きそば食べたなって来た。塩焼きそば一人前追加で頼むわ!」
「草若兄さん、もう~!」
「え? やっぱ喜代美ちゃん、ミックス焼きそばが良かったんか?」
「そうやなくて!」
またですか?
また?
その道中の陽気なこと、なんて。やっぱり落語の中だけなんや、て私までくよくよしてしまうやないですか。
まあ、私かて?
これまでの人生で順ちゃんや奈津子さんに何度悩み相談室を開いてもろたか分からんくらいですけど、そういう浮世の因果が巡り巡って、この年で一回りも年上の男の人の悩み――しかも恋愛相談!――を聞くことになるやなんて……。今は人に甘えてるばかりでもええけど、いつかは苦労するでぇ、て十代の頃の私に、聞かせてあげたいくらいや。
「喜代美ちゃん、声、声デカいて。」草若兄さんがきょろきょろ辺りを見渡してる。
「あっ、すいません。」
ここかて、お客さん全くおらへんてことはないわけで。
うちやったら大きな声で話せるけど、いっつも小草々くんたちがいるし、と思うと、たまの外食ついでにて気持ちになってしまうのも分かるんですけど。こうも毎回毎回やと……。
「いっつもごめんなぁ、喜代美ちゃん。」
「いえ、別に。もう慣れてますさけ。」
草若兄さんのその顔でごめんなぁ、て言われると、なんやご飯のときくらい楽しく食べたいなぁとか考えてるのが心苦しくなってくるていうか。しおらしい草若兄さんの顔見てるうちに四草兄さんも参ってしまったんやろか。
これ、本人の前で口に出したらさすがに嫌みやろか……。
「あの~、草若兄さんが『なあきよみちゃん、どこどこに食べに行かんか~?』て私のこと誘うときって、大体四草兄さんの相談やないですか。」
「えっ……そうなんか?」
そこ、とぼけた顔しない!
「そうなんか、やないです! お好み焼きとか、パフェ食べに行かんか~、て食べ物の名前で誘ってくれはる時は、最近の話題のお店でお店の名前覚えてへんとか、ちょこっと混んでるとこに行きたいときのお誘いやないですか。そういう時て、ぼんやりした子育ての相談とか、何もないけど人となんか食べたいなあ~て気分の日が多いですやな。」とここまで言うと、草若兄さんが、えっ、何でそこまで分かんの、と言って固まってしまった。
「こないして、ちゃんとお店決まってるときは、あんま人おらへんいつものお店ていうか……ああ~、また何かあったんかな、て思ってしまうことが多くなって来たていうか……。」
こないだかて、なんや四草がおかしいねん、ていうから話聞いたら、四草兄さんが明らかに草若兄さんとどっかデートに行きたがってお誘いしてるのに、本人が気付いてなくて失敗した話を聞かされただけやったし。
まあ私かて、草々兄さんのこの辺りがうんざりなんですけど、ていくつも聞いて貰った後に『それ惚気やで。』とか言われてましたけど……。
「外れですか?」
逆に外れて欲しいんですけど、という顔をすると、草若兄さんが視線を逸らした。
「いや……うん、当たりですけどぉ。」
「やっぱり~!」
そうやないかと思ってたけど、今日も四草兄さん絡みの相談て……。
「もうこのイカ玉、草若兄さんの奢りでええですか?」
「まあそう言わんと聞いてや~、四草のヤツ今度こそ、ほんまにおかしいねん……。」
そら、草若兄さんみたいな、目を離したらす~ぐ泣いたり、オレはアカンヤツや、て一人決めして、いい年して自分探しにあっち行ったり、こっち行ったりしそうな人のことをほんまに好きになる、て、やっぱり覚悟がいるぅていうか、どんだけ聞いても大変過ぎますし、人生の色んなことを算段で乗り切るつもりでおったはずの四草兄さんが、ちょっとくらいおかしなってもしゃあないと思いますけど……。
「ソース焼きそばハマったるから、なっ♡」
なっ♡て言われても、簡単には誤魔化されませんからね、とは思ってるけど、結局奢りと言われて塩焼きそばを食べてる私です。
このお店、何食べてもほんまに美味しいなあ……。
「そんで、今日はどういう話なんですか?」
「いや、あいつどっか身体悪いんとちゃうかな、て思ってな。お父ちゃんも、もう手術出来へんほど悪うなるまで、オレになんも言わへんかったやろ。あいつ、なんでもかんでも師匠の真似しよるから、心配なんや。」
「ええ!?」
四草兄さんが、……てどんな鬼の攪乱ですか?
「喜代美ちゃん、次にあいつと会ったら遠回しに体調のこと聞いといてくれへんか?」
「どんだけ悪そうなんですか? 布団から起きられへんとか? 高座いきたくないて言ったとかですか?」
「いや、あいつ、なんや食欲ないみたいやねん。」
なんやそのくらい……とは言えへんなあ。つわりの時、何にも食べられへんときとかあったし。今はこんな風に何でも好きなものが美味しく食べられるのがほんま有難いていうか。
はい、今日も美味しいイカ玉食べましょう、と言ってお皿に切り分けた。
「こないして、私らみたいに、外で何か食べてはるとか……。」
浮気……とは直接言ったらあかんやろなあ。そもそも、四草兄さんからみたら今の私と草若兄さんがご飯食べてるのも、浮気みたいに見えるかもしれへんけど、四草兄さんがいつもみたいに若手の落語家にうどん奢ってもらうのって、……うん、お口にチャックしよ。
「……ではないですよね……。四草兄さんて、おやつ食べても大体きつねうどんとかやし。お夕飯の時にはちゃんとお腹空かせてそうていうか。」
「それやねん。なんやあいつ、二枚載ってる御揚げさん、一枚いらんからていうて、オレの素うどんの上に乗せてみてな、『兄さん食べてええですよ』て。最初は何や腹でも壊したんかと思っててんけど……。」
「いつものきつねうどんの話ですか? その後は?」
「いや、普通やったけど、不調って徐々に出て来るていうやんか。」
「そうなんですか?」
「そうやで~。」
て、それだけ……!?
こっちがずっこけるとこですわ。
「それ、その日はなんで草若兄さんは素うどんやったんですか?」
「最近、揚げ玉と葱乗せれるとこに行くやん……。天ぷらうどんにしよかと思ってたんやけど、その店のは野菜天だけで海老入ってへんていうし、オレあんまかき揚げの海老てそんな好きとちゃうねん。腹減ってる時は何でもいいねんけど、」
「へえ~~。立ち食いそばて、そうなんですね。」
そういえば、こっち来たときも、内弟子修行終わったばかりの頃も全然お金なかったけど、うどんやったら寝床でも出してもろてたから、あんまりそういうお店に入ったことないなあ。
「店によってもちゃうみたいやけどな。四草に海老天うどんにしたらええて言われたんやけど、立ち食いでその値段やったら普通の店に入るわな~。」
「……それはなんか分かります。それで、四草兄さんが、素うどんの上にきつねさん乗せて、『僕のきつね食べてええですよ。食欲ないから。』て言ったんですか?」
なんや四草兄さんの物真似て難しいなあ。草原兄さんみたいに上手いこと出来へんし。
「いや、そこまではっきりとは言うてへんけどな。」と言いながら草若兄さんが、イカ玉の四分の一切れを、お箸で三つにも四つにも分けている。
「けど、それに近いことは言った、てことですやな。」
「そうやねん。健康ですとは口では言っててもなあ、気にはするやん? オレが言うのもなんやけど、あの四草がやで?」
「四草兄さん、いつも食い意地が人一倍ですもんねえ。まあ私らぁも、いい年ですけど。なんや、たまたまお腹減ってない日やったんやないですか?」
草若兄さんとご飯食べてるときに「たまたま」「お腹が空いてなくて」「きつねうどんの御揚げさんをあげる」?
それ、ほんまは逆やったんと違いますか?と口に出そうになったけど、草若兄さんの食べてるの素うどんやもんなあ。天ぷらそばならともかく……。
「……そういえば、あいつ、ただ言うてみただけです、て言うてたな。」
え、ええ~~~~~~~??
ちょっと待ってください、四草兄さん~~~~~~~!!!
そこでいつかの小草々くんの真似してどないするんですか、もうーーーーーー!!!
「結局きつねさん食べてたし、あれからそない言うこともないんやけど、なんや思いつめたような顔してたから気になってな。」
ここ全然気付いてませんから~~~~~~~!!!
頭の隅にちらっと、毎日見てるはずの眼鏡が見えて来た。小草々くんでさえ、今はもうちょっとなんとかなってるのに……なんでなんですか?
「あの、草若兄さん。」
「うん?」
「帰ったら、四草兄さんに、冬になったらまた蟹すき食べに行きたい、て言ったらええと思います。」
「そらええな。なんやデートの予定作っといた方が、この先の生活に張りが出るし。あいつの食欲も戻ってくるかも知れへんし。」
おおきに、喜代美ちゃんありがとう、て出会った頃よりずーーーっと可愛くなった顔で言われて、なんやため息が出そうになった。
四草兄さんも、苦労してるみたいやなあ……。
私やったら、草々兄さんに何を食べて欲しいかなあ。
明日のお昼、久しぶりにオムライス作ってみようかな。
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