アメとムチは使いよう

 ふと肩口に重みを感じて、しかし録画していたバラエティ番組を真剣にチェックしていたHiMERUは4Kの液晶画面を睨んだまま動かなかった。
 燐音と桜河がゲスト出演したその番組は、司会を務めるベテラン芸人の手腕もあってか桜河のドスの利いたツッコミが冴え渡り、オンエア当時SNSを騒がせたことは記憶に新しい。HiMERUは忙しいスケジュールの合間にようやく取れた自分の時間を録画の視聴に使うと決めていた。『後学のため』というのは建前。『ユニットメンバーの仕事ぶりを見ておきたい』というのが建前その2。本音は『普段ちゃらけている恋人が真面目に仕事をする姿はそこそこ格好良いと思っているのでまあ見てやらんでもない』だったのだが、その当事者が大きな体躯を小さく丸めて自分を後ろからぎゅうぎゅう抱き締めているので、仮に彼が番組内でいい仕事をしていたとしてもさっぱり褒める気がなくなった。日頃は人の家でむかつくくらいのびのびと過ごしている癖に、これは一体どうしたことだろう。
「天城」
「……」
「あーまーぎ」
「……」
「チッ……燐音。いッ……た、なにすんだ」
 がぶり。うなじに歯を立てられた。聞こえない程度に舌を打ったはずだったが、人並み以上に目も耳も良いこの男には届いてしまっていたようだ。
 何かしらの嫌なことがあっただろうことは聞かずとも明白である。天城燐音は長男だ。兄だ。一般に長子は甘え下手だと聞いたことがある、弟妹と比べてどうしても我慢を強いられる場面が多く、早くに大人にならざるを得ない立場だからだろうか。彼もご多分に漏れず『そう』なのだろう、恐らく。それはこの短い付き合いの中でわかってきたことだ。
「……っ、ちょ、と、燐音」
 ちゅ、ちゅ、と彼の唇がうなじを幾度も掠める。先程噛んだことを申し訳ないとでも思っているのだろうか。詫びならそんな猫の親子の毛繕いみたいな方法じゃなくて、もっと別の形にしてほしいのだけれど。
 ――燐音は甘やかしてほしい時、ただ黙って恋人を抱き締めて一方的でささやかな触れ合いを求めてくる。そう、丁度今日のように。HiMERUは機嫌よく応じてやることもあれば、気に留めずやりたいようにやらせておく日もあれば、虫の居所が悪くて突っぱねる場合もある。そして今日のHiMERUは機嫌が良かった。何故なら今晩は気に入りのパティスリーで買ってきたケーキが冷蔵庫に控えているからだ。無論燐音のぶんとふたつ。
「――仕方ないひとですね。ちょっと待っていてください」
 よいしょ、と燐音の腕から抜け出したHiMERUはキッチンへ向かい食器棚の奥からロックグラスを取り出した。自分ではまるで使わないものの、時々ひとり静かに晩酌をしたがる彼のために置いているものだ。冷凍庫からロックアイスを、戸棚からウイスキーのボトルを引っ張り出して、大人げなくしょぼくれる彼のために酒を作ってやる。いつも彼がするように、手始めにグラスを冷やすことも忘れない。いつもとは立場が逆だがまあ良いだろう、今夜は特別に、HiMERUがあなたのご機嫌取りをしてあげましょう。
「いつまで拗ねているつもりなのですか」
「……ン~……」
「このHiMERUが忙しい中あなたのために時間を作って手間を掛けて差し上げているのですが?」
「……こんな時まで嫌味かよォ」
「――ふふ、冗談です。ほら、氷が溶けてしまいますよ」
 だからそろそろ機嫌を直してください、と。耳元にキスを落としてやれば、彼は唇が触れた場所をすごい速さで押さえて勢いよく顔を上げた。あまりの慌てぶりに思わず漏れ出た笑いを噛み殺す。今回の賭けは、HiMERUの勝ちだ。
「おめェは意外と甘やかし上手だよなァ」
「あなたほどではないのですよ」
 いつも我が儘を通してもらっている御礼に、たまに気が向いた時にだけ、そう、十回に一回くらいの確率でこうして甘い蜜を与えてやればいい。そうしてギャンブル同様癖になってしまえばいい。湧き上がる小さな優越感をケーキのお供に淹れた珈琲とともに飲み下しながら、HiMERUはひっそりと微笑むのだった。





(ワンライお題『ご機嫌取り/ドリンク』)

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