死なば諸共

 見つめられることも愛を受け取ることも仕事のうち。〝大好き〟と言われれば気持ちがいいし、〝君に夢中だ〟と言われれば狙い通り。
 だけどそれは、『HiMERU』が愛されるべきアイドルだからだ。
「……ッ、は、っ、はぁっ……!」
 俺は今猛烈に逃げている。何から? HiMERUの所属する『ユニット』のリーダー、天城燐音からである。

 キスをされた。パフォーマンスで。ファンサービスで。否。
 アンコールを終え段取り通りに捌けた下手ステージ袖で、奴は『俺』にキスをした。熱を帯びたターコイズブルーの瞳を不覚にも美しいと思ってしまった。同時に恐ろしいとも。
 舞台から降り、偶像から生身の人間に戻る瞬間を、天城は狙い澄ましていた。糖衣で幾重にも覆い隠した中身を見透かすような視線に身構えた時にはもう、奪われていた。

「ンな必死こいて逃げンなよ。俺っち傷つく」

 袖の暗がりを飛び出し、楽屋のある廊下を走り抜けた。角を曲がって階段を駆け上がる。この先は調光室だろうか。後方からゆったりと大股で歩いてくる男との距離は、なかなか開かない。
「何のつもりだっ……俺の弱みでも握ったつもりか⁉」
「こいつは心外だなァ。好きだと思ったからキスした、『おまえ』を知りたいと思った。それだけっしょ」
 目眩がしそうだ。〝好き〟だ? 日常的に浴びせられる音であるにもかかわらず、こいつの放つそれは全くもって異質だ。
 『HiMERU』が愛されるのは当たり前。では俺は? 俺自身が愛されることなどはじめから想定していないのだ。受け止め方がわからない。そもそもその言葉が本物かどうかも知り得ないのに。
「どうしたら信じてくれる?」
「っ、」
 踊り場で手首を捕らえられた。今振り返ってはいけない気がする。
「信じるも何も、俺は」
「あんたが望むなら這いつくばって首輪を付けたっていい」
 それが俺の気持ちの証明になるなら。
「……」
 怖いもの見たさとでも言うべきだろうか。俺は俯き加減のまま、髪の隙間から天城の顔を盗み見た。
 碧が、燃えていた。吃驚して咄嗟に手を振り払ってしまう。
「──駄目です」
「なんで?」
「生身の俺を知れば、誰も、あなたにだって、きっと愛して貰えない」
 この男の前ではどうしてか、死ぬ気で取り繕ったものが暴かれてしまう。俺は、曝け出すことがただ恐ろしいのだ。
 無意識に後ずさった背中がとん、と壁に触れた。人気のない階段。こんな場所に誘い込んだのは他でもない自分自身。思わず舌を打った。
「試してみねェか?」
 ふ、と口角を吊り上げて笑う天城は不安など微塵も感じていなさそうな口振りで宣う。
「齧ってみたら毒林檎でした、なァんてオチもあるかもしれねェな。でもふたりで試すなら? 言うほど怖いもんでもねェぜ? たぶんな」
 普段の俺ならば頷かなかっただろう。けれど意外にも静かに燃える碧の温度は、俺に火をつけるのには十分だった。

 暴いた中身が毒だったのか薬だったのか、どちらにせよいずれはっきりすること。今はこいつに騙されてやるのも悪くないだろう。
 悪巧みするみたいに笑って、俺は男の手を取った。





(台詞お題「お好みなら這いつくばって首輪も付けるぜ」)
(歌詞引用元『エメラルド』back number)

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