夢の果てのララバイ - 魔師弟

 目の前で丸く盛り上がり、規則的に上下する羽毛布団。ピッコロはこの景色を、もう二日見ている。

「研究発表」
「そうなんです。合同の生態研究で新しい発見の可能性があったとかで……本人は大喜びでしたけど、本当にこんなの初めてってくらい忙しくなってしまって」
 ビーデルとパンと買い出しに出た先、なんとはなしに悟飯の様子を伺ったピッコロは首を傾げた。相変わらず学者業にいそしむ弟子が何をしているのかはよくわからない。本を読み知識を得るだけでは物足りず、自分で答えを探しに行く。それは真実の発見を目的としているようで、実際探求の過程に最たる喜びがあるように聞こえる。神の知見を内に秘しながら、研究者の悟飯が目指す先というのはピッコロには到底理解が及ばない域であった。
「何かよくわからんが、とにかくあいつが忙しいことはわかった」
「うん、そこだけわかってもらえれば大丈夫です」
「……で、悟飯は今どこに」
「昨日帰って来て、さんざんパンと遊んだあとに電池が切れたように寝ちゃいました。一晩だけじゃあ足りなかったみたいで」
「なに? 家にいるのか?」
「それはもう全力で眠ってますよ」
 驚愕に少しばかり大きい声が出たのを、腕のなかのパンがむずがって抗議する。広いモールを駆けまわり、甘いクレープでおなかをいっぱいにした幼少の悟飯の娘は、帰路につく前にうとうとと船をこぎ始めピッコロの腕に託されていた。
 最新の車に抱えていた山盛りの荷物を積み込むと、ビーデルはそっとパンを受け取りピッコロを促した。
「様子、見てきてもらえます?」
「お前はどうするんだ」
「一度パパのところに寄っていきます。パンがいると、悟飯くんも構いたくて無理しちゃうみたいで」
 それに、と車に乗り込み、パンをチャイルドシートに寝かせたビーデルはいたずらっぽくウィンクをした。
「放っとかれたことには少なからずいじけてるんです、私もパンも」
「……意趣返しか。良い意地の悪さだな」
「ふふふ。ただ”仕事に理解のあるいいお嫁さん”なんて、私は引き受けてあげないんだから」
「もっともなことだ」

 魔王と悪魔の微笑みを交わした後、身軽になったピッコロは早々と悟飯たちの住まう屋敷を訪れた。別れ際ビーデルが言い残した通り、二階のベッドルームの窓はカーテンこそひかれてはいたが鍵は開いたままで、指先ひとつで簡単に押し開く。
「……これはまだ起きそうにないな」
 話に聞いた通り、悟飯は師の訪れを一切感知せず全力で眠りについていた。大きな寝息を立てるでもなく、身じろぎのひとつもなく滾々と寝ているらしい。腹を空かせれば起きるだろう━━そう思って一度屋敷を後にしたピッコロは、その夜と翌日の朝と訪れ、そしてついにまた日が暮れた頃に「起こした方がいいのか?」と悩み始めた。
 疲れて眠っているというのだから療養の睡眠ということは明らかで、眠り過ぎて何か悪いことがあるということもないだろうが、やはり体は鈍るし腹も減るだろう。それでもこうも貪るように寝つく弟子というのも見慣れず、どこか言い知れぬ不安感がピッコロの胸を掻いた。
「……おい、悟飯」
 試しにかけた声は、やはりというか届いた様子がない。そもそもどこに顔と耳があるのか、それを探ろうとピッコロは羽毛を掴むがこれがなかなか動かず、底知れぬ眠りへの執着に別の不安感がピッコロを襲った。かろうじて見つかったふとんの隙間に手を差し入れれば、向いて見えた奥に黒い頭がうずまっている。大声で叱咤するのは容易だが、悟飯なりに根気の要った仕事だったのだろう、叩き起こすのにはさすがのピッコロも気が引ける。「おい」二三度揺さぶり、わずかに丸まりがうごめく。「起きろ悟飯、いつまで寝るつもりだ」反応はない。
「まったく……おい、もう起こしてやらないぞ」
 呟き、揺り動かす手にわずかばかり気を込める。すると、す、と一度静まった寝息が次にはううん、と呻きを上げた。
「悟飯」
「……ぅ、…………………いま、なんじ…………」
 あまりにか細いかすれ声は、ピッコロの耳にもやっと届くという拙さだった。ようやく目を覚ました悟飯に若干の安堵を覚えつつ、前後不覚な様子でもぞもぞと這いつくばるふとんのうごめきには呆れが勝った。
「日が暮れて30分というところだ。……お前いくらなんでも寝すぎなんじゃないのか」
「………………………」
 聞こえぬ返事に、よもやまた寝ついたかと思われたが長い沈黙を経て「はい……」とだけ応答がこぼれた。ピッコロは目を瞬き、床に膝をついてふとんをめくる。
 開ききらない目に、シーツのしわが圧されて模様のように赤くなった頬、何か言葉を発っそうとして何も言えないでまごつく口。ふとんのなかで揉まれてくちゃくちゃになった寝起きの顔に、ピッコロはいよいよ笑いがこみ上げて喉を震わせた。吹き出しそうになるのだけはなんとか堪え、声を震わせながら「腹は」とだけ聞く。
「だいじょ………ぅぶ…………………………………………すいませ、あと……………すいません、ごじかん…………………」
 一度起き上がろうとしたのか、うつぶせたまま膝をつき、わずかに腰が持ち上がる。肘を伸ばした腕が上体を持ち上げて、顔を上げる━━そこで悟飯は力尽き、重力に負けてべしゃりとマットレスに溶けて潰れてしまった。
 ぶは、と、そこでピッコロにも限界がきた。
「くくく、ははは! そんな寝汚いお前は孫も見たことがないだろう。なんてひどい面してやがる」
「……………………っころさ、………わらぅ……………………」
 なにがしかを呟き、次の瞬間にはまたすかーっと小気味よい寝息が立ち始める。ピッコロはこれにもひと笑いし、ようやく笑いを収めてから笑ったことを責めたであろう悟飯の背中をふとん越しに撫ぜた。
「ふん 功労賞だ、五時間で起こしてやろう」
 きっと目覚めれば腹が減ったと呻き、そしてビーデルとパンの行方に大わらわだ。そうしたらまた笑ってやろう、きっとまた情けなくて可笑しい姿が見れるだろうから。
 広いベッドの大きなヘッドボードに背をつき、安らかな寝顔を前に胡坐をかく。数時間後に見れる愉快な弟子の姿を想像して上がる口角をそのままに、ピッコロもまたつかの間の休息に寝息を立て始めた。


「━━━━………………………え? 現実?」
 そして五時間と経たずに目を覚ました悟飯は、空腹と液晶が告げる日時と目の前で眠りにつく師、そして夢かと思われた高らかな笑い声を思い出し、盛大に困惑するのだった。



@__graydawn

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