竜探索の物語|《中》




 優しい潮風に、色鮮やかな草花が揺れる。
 ジュレー島上層の小さな丘の上。ジュレットでの聞き込みで『町を見下ろす大きな魔物の影を見た』という噂を聞き、シンクはこの場所へと訪れた。

 一見何も無いように見えるが……シンクは魔力の痕跡が残っていないか確認する為、眼鏡を外し周りを見渡す。すると霧のように薄く広がる魔力の中に、一際強い光を見つけた。
 急いで駆け寄り草花を掻き分けると、そこには一枚の鱗……海を思わせるこの青緑は間違いない、彼女のものだ。手を伸ばし触れようとすると、鱗は音もなく崩れ落ちてゆく。

 脆く儚いその光は、まるで泡沫のようだった。



****



 飛竜の峰で彼女の姿を見送ってから、既に幾つかの月日が経つ。

 地図には、ドラクロン山地から北に向かって一本の線が書き込まれていた。
 旅の方針はこれまでと何も変わらない。各地を巡りながらの聞き込み……地道な活動ではあるが、クラウンの言う通り『彼女を討伐しようとする冒険者達が現れる』という危険性を否定する事はできない。彼女の存在を公にせず探すべきだと判断した以上、慎重に動く必要があった。
 時折手に入る僅かな情報を頼りに、何度も大陸間を横断する。勿論、全ての情報が正しい訳ではない。関係のない魔物の討伐に駆り出されたり、情報料を支払ったのにも関わらず何も得られなかった日もあった。
 けれども数年間追い続けてきた甲斐があり、手がかりを得られる頻度は以前より多くなったように思えた。



 レンダーシア大陸での旅路で知り合った傭兵が、偶然目の当たりにした光景について語る。海の向こう……グランドタイタス号の航路の先へと飛び立つ大きな影を見たと。

「……しかし、不思議と『恐ろしい』とは感じませんでした。貴方がその竜を探している理由が、何となく分かった気がします」


 白い鎧に身を包んだオーガが、仕事の依頼先で耳にした噂を語る。高く連なる城壁の上で佇んでいた竜が、音もなく飛び立つ姿を目撃した者がいると。

「君が『守りたい人』と再会できる事を、心から願っていますよ」


 王都カミハルムイの門番が、大きな欠伸をしながら語る。それはまるでエルトナの御伽噺に登場する、竜宮からの使者のようであったと。

「その日は夜番明けだったけど、あまりにも綺麗だったから眠気なんてすっかり覚めちまったよ」


 ドルワーム王国の職人が、お得意先から伝え聞いた竜についての話題を語る。別れ際に彼から小さな革袋を受け取り、シンクは次の大陸を目指す。

「ほらよ、新作だ。今度こそ会えると良いな」


 オルフェア地方の小さな街の住民達が、元気いっぱいに西の空を指差す。この情報を得る為に悪戯をされたり喫茶店の手伝いをしたり、色々と振り回されたような気がするが……時にはこんな日があっても良いだろう。

「この街の住民の皆が、シンクさんの旅を応援している……そんな気がします♪」


 魔法戦士団に所属している幼馴染が、地名と日付が事細かに記載されたメモを差し出す。信頼できる相手だからこそ、余計な言葉は必要無かった。

「メシの奢りはまた今度で良いぜ」


 これまでの旅路で出逢い、不思議な縁で結ばれた人々から少しずつ情報を得る。
 頼れる『友人』から届いた手紙を読み、地図に書き込んだ複数の点を、一本の線で繋いだ。その時、シンクはようやく気付く。この数年間の旅路は、決して孤独なものではなかったのかもしれない……と。



****

 

 次にシンクが向かったのは、ジュレー島下層の大空洞。ジュレットの町を下り、ミューズ海岸から東へと抜ける道程だった。

 ウェナ諸島は大小様々な島で成り立っており、大陸間鉄道が通っていない地方へ赴く為には島と島を結ぶカヌーを利用する必要がある。
 大空洞の最奥部にある桟橋に辿り着き、ヴェリナード公認のカヌーに乗ったシンクは、舟首の先へと視線を向ける。蒸気で満ちた大空洞の視界は悪く、出口と思われる場所からぼんやりとした光が見えた。

 カヌーが陸を離れ暫く経つと、シンクは不意に声を掛けられる。

「お前さん、しばらく見ないうちに良い面構えになったじゃねえか」
「ええと……貴方は?」

 乗客はシンクの他に誰も居ない。渡し守と二人きりの船の上、戸惑いながらもシンクは顔を上げる。オールを漕いでいるのはウェディの老人……記憶にはない、皺の入った硬い顔つきの男だった。
 これまでの旅路で出逢った人々への感謝を忘れる事はなかったが、馬車の主や渡し守の顔を全て記憶している訳ではない。謝罪の為にシンクは口を開こうとするが、渡し守は首を横に振る。

「ヒトはどうしても忘れちまう生き物だ、覚えていなくても仕方ねえ。俺ァ、ちょっとばかしヒトの顔を覚えるのが得意な方でね。そこを買われてお国の仕事に就いてるって訳よ。お尋ねモンが通らねえかって見張りも兼ねてるのさ」

 過去にこのルートのカヌーを利用した事は何度かある。渡し守が嘘をついているようにも見えない。きっとその言葉は偽りのないものだろう。
 ガハハと陽気そうに笑ってみせる渡し守。そんな彼の表情は少し寂しそうにも見えた。

「お前さんが俺のカヌーに乗ったのはこれで三度目……本当はこうやってお客さんと話すこたあ滅多に無いんだけどな、つい声を掛けちまったや。ところで、一緒に旅をしていた嬢ちゃんは元気かい?」
「彼女は今……行方が分からないんです。だからこうして、旅をしながら探している最中で……」
「そうか。そりゃあ悪い事を訊いちまったなァ」

 いつも通りの『都合の悪くない』言葉を返すと、申し訳なさそうに背中のヒレを萎ませる渡し守。それに対しシンクは、どうか気にしないで欲しいと小さく呟く事しかできなかった。

「お前さんを初めて見かけた時は、まだ駆け出しの冒険者だった頃かな。一人で不安そうな顔して、新品の槍と旅具を大事そうに抱えてさァ」
「そこまでハッキリと覚えていらっしゃるんですね……」

 少し照れ臭さを感じながら、彼の言葉に耳ヒレを傾ける。
 きっと初めてレーンの村に向かった時の事だろう。ちょっと背伸びをしようと、自分の実力に見合わない魔物の討伐依頼を受け、不安を抱きながら舟に、馬車に揺られたのだ。そして、その先で出逢ったのが『彼女』だった。

「でもって、二度目は美人な嬢ちゃんが一緒だったモンだから、てっきり恋仲かと思ったのさ」
「はは、そんな関係じゃないですよ」
「でも、まだ諦めきれないって顔してンだよなァ。お前さん」
「…………」
「生憎、その日以降お前さんが探している嬢ちゃんを見かけた事はねえや。俺が非番のうちに向こうに渡ってりゃあ良いけどなあ。力になれなくてすまねえ」
「謝る事じゃないです。むしろ情報をくださった事、感謝します」
「……そうだ、力になれなかった代わりに一曲歌ってやろうじゃないか」
「歌、ですか?」
「応さ」

 老人が深く息を吸う。
 大空洞の中でこだまする漣の音、カヌーが滑らかに水面を掻き分けてゆく音、低く軋むオールの音、不規則に滴る水の音……そんな音を伴奏に、渡し守は芯のある力強い音を響かせた。


 ……傍にいるのが 叶わぬのなら
 紅い別れを 今歌おう。
 海に溶けゆく 刹那の時を。

 ……傍にいるのが 叶わぬのなら
 蒼い祈りを 今歌おう。
 空に溶けゆく 永遠《とわ》の想いを。

 干いては満ちる 海のように。
 廻りて巡る 星のように。

 再び逢える その日まで……。



「この歌は……」

 驚く事に、それはシンクにとって聴き覚えのある旋律だった。

「ここらの海では、ちょいと有名なやつだよ。沖に出た漁師の家族が、漁師の無事を願った事から生まれた歌だ」
「そうなんですか」
「生きていく為、大切な人と遠く離れなきゃいけない時はどうしてもある。だからこそ、互いにこれを歌う事によって必ず再会できるよう祈ったんだとさ。昔このカヌーに乗った四人組の冒険者が、仲睦まじく歌っていたのを、ふと思い出してなァ……」

 シンクはいつかの晩を思い出す。
 青白い浜の上、月に照らされた彼女が哀しげな旋律を口ずさむ。その背中を、ただ遠くから眺めている事しかできなかった……そんな夜が何度かあった。その時は上手く聴き取れず歌詞まで分からなかったが、きっとこの歌と同じもので間違いないだろう。
 果たして彼女は、この歌の意味を知っていたのだろうか。だとしたら、どのような気持ちで歌っていたのだろうか。

 考え込んでいると、ふと周りが明るくなるのを感じた。いつの間にやら大空洞を抜け、陽の下に照らされたようだ。シンクは西陽を受け煌めく水面に目を細めながら、再び舟首の先へと視線を向けた。
 柔らかな雲が浮かぶ蒼天の下、遠くに見える影が次第に大きくなる。ウェナ諸島の南東部に位置する自然豊かな島……次の目的地であるレーナム緑野だ。
 桟橋に着くと、渡し守はシンクの背中をばんと叩いた。

「頑張れよお。次に俺のカヌーに乗る時は、嬢ちゃんと一緒だと良いなァ」
「ありがとうございます。いつかきっと……」

 カヌーを降り、再び大地の感覚を踏み締める。まるで夢から現実に戻ったかのような感覚……シンクは昔からこれが苦手だったが、その日は不思議と悪くないと思えた。
 渡し守とはもっと話したい事があったが、きっと今はその時ではないのだろう。シンクは深々とお辞儀をし、踵を返す。

「嬢ちゃんが、また笑顔になれる日が来ると良いなァ……」 

 歩み始めたその瞬間、渡し守の独り言が聴こえたような気がした。
 かつての自分だったら、きっとその言葉を重荷と感じただろう。けれども、今は真っ直ぐに前を向いていられた。

 地図に書き込まれている次の『点』まであと少し。様々な人の、様々な想いを抱きながら、シンクは進み続けた。



《 to be continued 》

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