自覚と無自覚
「レオナが風邪?」
ラギーから電話がかかってきたのは、休日のまだ早朝と言ってもいい時間だった。
いつものようにハーツラビュル寮のキッチンで料理をしていたトレイは、珍しい人物からの電話に首を傾げながら通話ボタンを押し、思いもよらない報告を聞かされた。
「そうなんスよ。昨日マジフト部の練習でグラウンド使ってたんスけど、俄雨が降ったでしょ。その時に濡れたのが原因っぽくて」
「そういえば降ってたな。すぐに乾かさなかったのか?」
「涼しくてちょうど良いって思っちゃいまして。でもその後に調子に乗って、みんなで水魔法や氷魔法使ったのはやりすぎだったスねえ」
トレイはラギーの言葉に苦笑する。その光景が目に浮かぶようだ。ナイトレイブンカレッジの生徒は『少しばかり』後先考えない部分がある。
「ラギーは大丈夫なのか?」
「おかげさまで。レオナさんは髪が長かったのが敗因だったっスね。俺らみたいに短いと勝手に乾くけど、レオナさんは濡れたままだったんで」
「なるほど」
トレイは電話越しに頷きながらラギーに聞いた。
「それで、俺に電話をかけてきた理由は?」
「レオナさんの看病を頼めないかな〜。と」
ラギーの言葉にトレイはパチリと目を瞬かせた。
「保健室で薬をもらってくればいいんじゃないか? すぐに効くぞ」
魔法というのは便利だ。処方箋さえあれば、すぐに効く薬が手に入る。
しかしラギーは電話越しにため息を吐いた。
「先生が出張でこの土日来れないらしいんスよ。レオナさんは寝てれば治るって街まで行く気がないみたいなんスけど、飯なんかは用意しなきゃならないじゃないでしょ? その時に呼ばれるのって絶対に俺っスよ。でもモストロでバイトなんで風邪っぴきのそばにいたくなくて」
「それで俺か」
「そうっス」
レオナとトレイの関係は、恋人という二文字で表される。何故と聞かれれば、その場の雰囲気に流された。としか言いようがない。
ただ流されたと気付いた後も、なんだかんだで続いているから不思議なものだ。
──けど、サバナクロー寮に行くのか。
遊びに行くならまだしも、最悪泊まることを考えると外泊許可証は必須だろう。いくらリドルに恋人となったことを知られていても──一年の問題児コンビのおかげで知られた際に、寮対抗マジフト大会のことを持ち出されて「本気かい、トレイ?」と呆れ半分で聞かれていたとしても──年下の幼馴染に恋人としてのレオナのことを告げるのは気恥ずかしい。
そう答えに窮したトレイだが、やっぱりダメっスか? とラギーが情けない声で聞いてきたので、思わず、わかったよ。と言ってしまった。
「良いんスか!?」
「まあ、乗りかかった船だ。今は一、二年に寮のパーティの手順を覚えてもらうために、寮長命令でパーティ準備に不参加になってて暇だからな」
「良かった〜」
「ただし」
トレイは冷蔵庫を開け、中身を確認しながらラギーに言った。
「サバナクロー寮に行くのは一時間くらい後になるが、それで良いな?」
一時間後。
トレイは認識阻害魔法を使ってレオナの部屋を訪れていた。ラギーのおかげか部屋の中は程よい室温となっている。リドルにサインをもらった宿泊許可証とクーラーボックスを棚の上に置き、トレイはベッドに向けて「レオナ」と呼びかけた。
シーツから見える耳がピクリと動く。起きているのか。と思いながら、トレイはレオナの顔を覗き込んだ。
「レオナ」
もう一度名前を呼ぶ。すると薄く瞼が開かれて、不機嫌そうな瞳と目が合った。眉根の皺を突いてやりたい気持ちを抑え込んで「喉は渇いてないか?」とトレイは聞いた。
「……ラギーはどうした」
掠れた声でレオナが言った。次いで二、三度咳をこぼす。どうやら喉から弱るタイプらしい。
「聞いてないのか? モストロでバイトだからって、俺がヘルプを頼まれたんだよ」
ラギーが置いていったらしきピッチャーからコップに水を注ぎ、上半身を起こしたレオナに手渡してやる。自慢の鬣は寝起きということを差し引いてもボサボサで、一挙一動が随分と鈍い。
それでもトレイを見つめる視線は揺らぐことなく、水もしっかりと飲めている。
「その様子ならすぐに治りそうだな。着替えはするか?」
「そっちの棚から出してくれ」
「分かった」
棚から適当な服とタオルを出し、トレイは魔法でお湯の入った桶を準備した。
「汗をかいたままだと気持ち悪いだろ。背中だけでも拭かせてくれ」
言えば、レオナは下着ごと脱いだシャツを床に放り投げ、トレイに背中を見せた。今更、裸を見て照れるような仲でもない。トレイは鬣を除け、固く絞ったタオルで背中をサッと拭いてやる。
「前は自分で拭いてくれ」
一度洗ったタオルをもう一度絞って手渡せば、レオナは大人しく受け取った。
着替えを済ませたレオナに、トレイは洗濯物を籠に入れながら問いかける。
「食欲は? 一応、朝ごはん用に冷たいものも暖かいものも用意したんだが」
「何がある」
「にんじんの冷製スープとレモンゼリー。あったかいのはオートミールのミルク粥と、野菜とチキンのスープ。あとはサムさんに選んでもらった、マジフト部でも良く配られてる市販品のペットボトルの清涼飲料水と飲むゼリーに、カロリーバーが何本か」
レオナは考える素振りすら見せなかった。
「チキンスープとレモンゼリー。野菜はいらねえ。買ってきたものは枕元に置いておけ」
「そう言うと思った」
洗濯籠を横に置き、トレイは水魔法で手を洗うとクーラーボックスを開けた。
チキンスープを魔法で温め、飲みやすいようにカップに注ぎ、ゼリーはガラスの器に盛り付ける。ベッド脇に移動させたテーブルにそれらとカトラリーを並べ「おかわりが欲しかったら教えてくれ」とトレイは言った。
レオナは無言で食べ始める。スプーンを置かないところを見ると味に文句はないらしい。もしくは鼻が詰まっていて味が分からないのかもしれない。黙々とスプーンを動かす様は、食事を楽しむというより栄養補給という言葉が正しいように思えた。
──渇き、飢え。
この男がそれを感じなくなるのは、どんな時なのだろう。
あるいは。
もうそれを感じすぎて、満たされたとしても、分からないのかもしれない。
寮生達が『まんまる』になっても、異変に気付くことが出来なかったトレイのように。
「なんだ?」
じっと見つめていたからか、レオナが眉間に皺を寄せたままトレイに聞いた。トレイは「風邪をひいてる時に良く肉を食べられるなと思ってな」と肩をすくめた。
おまけにチキンスープに入っている肉はそれなりの大きさがあり、急なことだったのでハーツラビュル寮の冷凍庫で眠っていたものをそのままぶちこんでいる。圧力鍋は使ったが、筋は残っているだろう。自分で食べるならそれでも良いが、マスターシェフの授業ならば、ギリギリ合格点が取れるかどうかの出来だ。
やはり風邪で味が分からなくなっているんだな。とトレイが思っていれば「食べられない奴から死ぬからな」とスープを平らげたレオナはあっさりと言った。
トレイは小さく息を飲んだ。
薔薇の王国と、夕焼けの草原の違いを感じるのはこうした時だ。言葉に迷っていれば、レオナが空になったカップを差し出してくるので、それを受け取ってベッドから離れた。
レオナのそばを選んだ限り、こうした生まれ育ちの違いを感じることは避けられない。簡単には理解し得ない、一生分からないかもしれない違いを、それでもトレイは目を逸らさないと決めている。
レモンゼリーもすっかりと完食したレオナがあくびをした。
トレイとしては歯磨きをして欲しいが、今のレオナにとって眠ることは身体を癒すことだ。ここで無理に歯磨きをさせて眠気が吹き飛んでは意味がない。
水だけ飲んで貰い、こちらもサムの店で買った冷却シートをレオナの額に貼ってやる。そして氷を入れ直した氷嚢にレオナが頭を預けるのを見つめた。
やがて規則正しい寝息が聞こえてきたので、トレイはレオナが使った食器や洗濯物を片付ける為に立ち上がった。
昼食まではまだ時間はあるが、用事を済ませていれば時間はすぐに過ぎる。昼食は朝食とは別のものを用意したかった。レオナがカロリーバーなどで済ませてしまうかもしれないが、トレイが作りたいから作るのであって、相手が食べるかどうかは二の次だ。夢の中での言葉は真実で、そしてトレイはレオナ相手に遠慮しないと決めている。
次は適当な果物でシャーベットでも作るかと考えながら、トレイは洗濯籠を手に、サバナクロー寮のランドリールームへと足を向けた。
*
レオナが夕食後の眠りから覚めたのは、まだ日が昇る前のことだった。寝る前まで身体を覆っていた熱っぽさはなく、頭の中にかかっていた靄も晴れている。喉の痛みはわずかに残っているが、それもすぐに無くなりそうだ。
用をたすためにベッドから抜け出し、レオナは一度伸びをする。昼間も何度かベッドを抜け出したが、その時に感じた怠さはない。
汗でベタつく服を魔法で替えた際、部屋の隅に明かりが付いているのに気が付いた。近寄ればソファーでトレイが眠っている。レオナは己の見つけたものに僅かに驚いた後、やはり魔法で読書灯の明かりを消し、タオルケットをかけてやる。
トレイの膝の上にはレオナの蔵書が乗っていた。それを読んでいるうちに眠ってしまったのだろう。
寮に帰らなかったのか。とレオナはひとつ息を吐く。他人の気配に気付かなかったのは久しぶりだ。いつもレオナのそばをうろちょろしているラギーでさえ、部屋に入ってくれば目が覚める。起きる必要がないと判断し、そのまま二度寝することや、起こされても寝たふりをすることは多々あるが、自分の縄張りにトレイがいても、見つけるまで気が付かないとは思わなかった。
風邪のせいで鼻が効いていなかった。と言えばそれまでだが、そうでないことはレオナももう分かっている。
再度小さく息を吐き、レオナは部屋の外へ出た。用をたした後、歯を磨く。トレイが気にしていたのは知っていた。夕飯の後には我慢できなくなったのか、歯磨き用に水の張った桶まで用意されていたのだ。そこまで介護させる気はないと起きて歯を磨いたが、面倒で普段よりもずっとおざなりなものとなっていた。磨き終えた後。ついでにうっすらと生えていた髭に刃を当てる。肌の色のおかげで目立たないが、指で触れれば気にはなる。
すっかりと身支度を整えて、レオナはもう一度眠る為にベッドへと戻った。
その際、ソファで寝ていたトレイを回収して、同じベッドに寝かせることは忘れなかった。
疲れているのか、あるいは一度寝入ったら朝まで起きないタイプなのか、トレイが起きる気配はない。思えばこの部屋で一緒にベッドを共にしても、外泊がリドルに見つかると面倒だから。と用が終われば帰ってしまうのがトレイだった。
そのくせ、風邪をひいたレオナの面倒を甲斐甲斐しくみるようなことはする。
トレイに病人食を作りたいという欲があったとしても、外泊する必要はなかったはずだ。レオナの世話を頼んだというラギーも、トレイがここまでするとは思っていなかっただろう。
レオナはひとつため息をついた。
以前から、トレイはレオナが彼に対する執着を見せると驚くことがあった。
まるでレオナが自分のような者に興味を抱くなんておかしいだろう? とでも言うように。
あからさまなレオナの態度を素直に受け取ればよいものを、正解をトレイ自身の中で塗り替えようとする。
しかしトレイがどれだけ塗り替えようとしても、レオナの意思は変わらない。
過去に美術館を共に見て回った時のように、ビリヤードに誘った時のように。
トレイを選んだのはレオナであって、他の誰でもない。
レオナはそっとトレイの頬を撫でた。
以前、この男は本命のついでであった。レオナにとってはハーツラビュル寮こそが狙うべき本命の獲物であって、さらにいえば計画を実行したのもラギーであってレオナではない。
しかし今度はトレイ自身を、他でもないレオナの手で傷付ければ、彼はこの執着を自覚するだろうか。
そう考えて、レオナは自嘲する。己の考えが、子供じみたわがままとは分かっていた。
分かっていて、レオナはトレイの眼鏡を砂にした。
サラサラと、とけるようにベッドへ落ちた砂は、レオナの魔法で風に乗って窓の外へと飛んでいった。
僅かに太陽の光が部屋の中に差し込み始めている。
もう数時間もすれば、トレイは目覚め、そして驚くだろう。それがレオナに抱きしめられて眠っていることにか、あるいは眼鏡がなくなっていることにかは分からないが、どちらにせよレオナはもう、眼鏡をなくした男を今日一日徹底的に世話してやろうと決めていた。
あと数時間もせずに己を叩き起こすだろう悲鳴を楽しみにしながら、レオナはトレイを抱きしめて、心地よい眠りの中へと沈んでいった。
powered by 小説執筆ツール「arei」