2024/04/03 豆の日

「そういや、明後日は豆を持っていく日だから」

 一応伝えておいてくれ。と、ヴェルナーに言われたフェリは「豆の日?」と首をかしげた。
 魔王の討伐が終わり、諸所のものが片付き始めたころの話である。ツェアフェルト家が援助している孤児院の現状を報告するという建前で菓子を食べに来たフェリは、帰り際にアーネートさんに伝えてくれと言われたのだ。

「豆の日?」
「あぁ、|ツェアブルク《うち》の記念日みたいなものだな。領地でも領民に豆を配るんだが、王都でも所縁の貴族家や身元がしっかりしている関係者に豆を配るんだ」

 フェリの孤児院は身元がしっかりしている関係者になる。と言われて少しだけこそばよく――何しろ生まれてこの方、身元がしっかり、なんて言われたことなどないのだ!――思いながら「へぇ」と返した。

「何の豆?」
「乾燥させて日持ちがする豆だ。水に一晩漬けてから茹でてくれ」

 淡泊な味だから、スープに入れてもサラダに入れてもいい。潰してペースト状にしてもいいぞ。というヴェルナーにフェリは頷いた。





 ヴェルナーがその豆を見つけたのは魔王討伐後のことだった。はじめその豆は領内で油を搾るために使われており、またその搾りかすが家畜の餌になっていた。――ちなみにだが、もともとツェアフェルト領地内で広く作られているのは|レンズ豆《ひよこまめ》である。
 また、育てやすいものの数年でその土地では育たなくなってしまうため、農民がその土地を捨てなくてはいけないといういわゆる連作障害が出るものであったことを報告書を受けたヴェルナーはすぐに理解できた。
 そこでヴェルナーは数年かけて連作障害が起きない代替作物を見つけることを命じる。その植物の一つが小麦であったことは、ヴェルナーにとっても幸運だっただろう。ちなみに小麦も連作障害は認知されていたが、ごく一部で大麦を植えていたが、ほとんどが休耕地を作ることで対応していた。この辺りは人口と土地面積の関係だろう。
 他にも生石灰を輸入する関係で手に入れた貝殻を使っての肥料の改良――ちなみに大豆には効果はなかった――などを指示。ヴェルナー本人は提案だけして後は丸投げしたというだろうが、自領だけではなく魔王討伐中に開始された王都の果樹園などでも効果がみられるなど、王国においてその研究結果が食料自給率の向上させたのは、ヴェルナーが命じてから十年ほどたってからのことである。
 大豆に関しては味の向上や粒の大きさなどが数年で効果が出たため、またもともと彼の父が進めた豆の特産化を子であるヴェルナーがさらに推し進めたということもあり、改良された大豆が領主に献上された日を記念日として、領都で豆料理が供される日となった。
 その料理はヴェルナーの前世でいうところのミネストローネに近いものである。なお、トマトはヴェルナーが持ち込んだ貝殻が元になる肥料の恩恵を得た植物の一つだ。領都以外では乾燥した大豆が配られている。



 ヴァイン王国の近衛兵騎士団には、全国各地から猛者が集まっている。最低限、貴族出身であることは条件になっているものの、その出身地は様々だ。とくに今代の王であるヒュベルトゥスが王太子として軍部の実権を握った頃から派閥に関わらず実力者が採用される風潮が高まってきていた。
 そのおかげか、数度にわたる王都壊滅の危機も乗り越えることができたと言える。もちろんそこには各貴族家の騎士団、勇者マゼルの存在や英雄ヴェルナーの作戦も多く寄与してはいるが、それでも彼らが生き残り、王都を守りきれたのは彼ら自身の力があったからだろう。
 ともかく、そんなある意味で多国籍な近衛騎士団が多く集まっている食堂にて、まだ若手の一人が先輩に話しかけていた。

「先輩、確か結婚してましたよね?」
「おう」

 後輩が言うようにその人物は結婚している。子爵家の三男で本人は騎士ではあるもの爵位はなく、貴族街に近い場所にある家に週末になると帰っている。

「よければ、豆貰ってもらえませんか?」

 俺、寮暮らしなのと料理はからっきしなんで。と、後輩は言った。豆? と、先輩騎士が首をかしげ。ついでに彼の同期やら同じ隊の面々がその席に集まってくる。

「まてまて、何で豆?」
「あ、おれツェアブルク出身なんっすよ」
「おう、あの英雄殿の」
「典礼大臣殿の」

 現当主であるインゴの名前ではなく、一応武力で名が売れているヴェルナーの方が先に出るのは、近衛騎士だからだろう。後輩は自分の領主の名が先輩たちに伝わっているのが嬉しいのが「そうです」とうなずいた。

「それで、ここ数年なんですけど、領地の記念日で豆の日ってのが出来まして」

 若様が領地で栽培を確立させたとかなんとか。と、言うと先輩たちもへーほーと、あまり興味なさそうに言う。ここにいるのが文官家だったら「そこ詳しく」と身を乗り出したかもしれないが、彼らは良くも悪くも脳筋だった。

「ともかく、領都だと豆のスープが炊き出しされるんですけど、王都だと関係者にその豆を配るんですよ」

 もちろん身元が確かな関係者だけだが、男爵家の次男である彼もその一人なのだ。豆を配るだけではなく、豆料理を中心としたさまざまな料理が並ぶ立食パーティーも行われており、王都におけるツェアフェルト関係者の|社交場《情報収集の場》の一つになっているのだという。
 そして土産としてもらってきたのが、乾燥させた豆だという。

「一晩水でふやかしてから、スープに入れてください」
「おう、嫁さんに渡してみるわ」
「領地だと若い緑のをサヤごと塩でゆでても美味いんっすけどねー」

 エールの肴にぴったりで、交流会でもあっという間になくなった。と、後輩が言う。そっちの方がよかったと、先輩たちがげらげらと笑った。
 気に入ったら購入はビアステッド系列店で買えるんで! と言った後輩に、「ちゃっかりしてんな」と先輩は返した。おそらく土産の一部はこうして他者に渡ることも考慮されているのだろう。
 さすがに大臣家は抜け目ねぇな。と、その時の先輩は自身の妻に豆を渡すまでそのことはすっかりと忘れていた。



「豆の日?」
「はい。ツェアフェルトの領地であるツェアブルクの記念日だそうです」

 午前中にメーリングが顔を出した近衛騎士団で聞いてきた話として自身の上司であるヒュベルトゥスに話題として提供した。

「あぁ、典礼大臣殿のところは豆が特産品だったからな」

 難民対策やその後の食糧危機でも何度も助けられた。と、魔王討伐中もそのあとも、様々な場面で助けられたことを思い出してうなずいた。続いて、芋づる式に思い出したとあることにフッとヒュベルトゥスの頬が緩んだ時だ。
 まるでその時を狙いすましたようにメーリングが「ヴェルナー卿が新しい豆の栽培法を確立させた日だそうです」と告げる。

「ぐっ」

 とっさに奥歯で頬の内側の肉を噛みしめ、吹き出さなかったのは奇跡だったかもしれない。そんな自分をニヤニヤと見つめている付き合いの長い友人をとっさに睨みつけ、何事かとこちらをうかがっている従士たちに何でもないというように目線で告げた。

「そうか、ヴェルナー卿が」
「はい。領地の特産品とはいえ、子爵は豆と縁がありますね」
「そう、だな」

 メーリングの言葉にうなずきながら、脳裏に描くのはまだ自分が王太子だったころのことだ。魔物に対して容赦のない殲滅作戦を提案し、実施していくヴェルナー卿に対して、騎士団長をはじめとして一部の官僚たちはそのことを不安視もしていた。
 もしその容赦のない作戦が人間に向けられたら。例え敵国、あるいは反逆者と言えどもただ殲滅してしまえば終わりということではない。残された者の心情もあるし、今自分たちが恐れているように、いつそれが自分自身に向けられるかもしれないという恐怖もある。
 ヴェルナーはまだ若い。身の丈に合わぬ野心に取り付かれるやもしれないし、功を求めるあまりさらに過激になっていくかもしれない。そんな危機感だった。
 ゆえに、ヴェルナー初の対人戦となるコルトレツィス侯爵家討伐戦ではいろいろと注文を付けたのだ。はたして、ヴェルナーはその期待に応えた。いやある意味で裏切ったともいえる。しかし、いい裏切りだった。
 砦攻略で詳しい状況報告を受けたセイファート将爵は呆れていたし、ヴェルナーが大量殺戮者になりかねないと危惧していた第一騎士団長のフィルスマイアーは目を白黒させていたし、彼の父であるインゴ卿はどこか遠い目をしていた。
 続く潜伏していたファルリッツ関係者をおびき寄せ、捕縛した作戦に至っては、セイファート将爵は遠慮なく噴き出し、第一、第二騎士団長揃って頭を抱え、インゴ卿は「無」の表情だった。
 まさか、腹をすかした馬が豆に食いつくのを利用して一方的に攻撃するなど、しかもそのあと腹がいっぱいになった馬がその場で寝てしまって途方に暮れたなどと。――さすがにそのまま書いてはいなかったが、ヒュベルトゥスの脳裏にはありありと困惑するヴェルナー及びその配下の者たちの顔が浮かんだ。
 考えようによってはとてつもなくえげつない、しかし何とも牧歌的な作戦は、しばらくヒュベルトゥスの腹筋を鍛えるのに役立ってくれた。困ったことと言えば捕らえたリュディガー第四王子に関することを聞くたび「豆に負けた王子」という言葉が脳裏によぎってしまい、ヒュベルトゥスにして表情筋を動かさないようにするのが大変であったぐらいだろう。――なお、遠慮なく笑っていたのが目の前の男なのだが。
 その後も、ヴェルナーの作戦はことごとくうまく嵌り、魔王討伐中の内乱――しかも背後に魔族が存在するということながら、その平定はごく短期間で終わらせることができたのだ。
 しかし、そこに来てまた豆である。しかも今度は生産力向上という、今までとはまったく、真逆ともいえる成果だ。

「ヴェルナー卿は引き出しが多いな」
「そうですね」

 満足そうに言うヒュベルトゥスの声が少しだけ震えていたことは、長い付き合いの友人たちにはばれていたものの、それをあえて口にするほど無粋ではなかったので、そのまま次の報告に移った。

「そのヴェルナー卿から豆と小麦、大麦の輪作についての報告があるそうです」
「メーリング……」

 話が終わってなかった。と、ヒュベルトゥスが向けた少しだけ恨みがましい視線をメーリングはニコリとその麗しき微笑みでもって叩き落としたのだった。

*

「あなた、あの豆のスープを食べた日はお通じがいいのよ」

 おかげで肌の調子もよくて。と、件の先輩が妻に乞われてツェアフェルトの豆のリピーターになるのは例の記念日よりしばらくしてのこと。またその妻の口から同じ騎士仲間の婦人たちの間で情報が広まり、王都でひそかに、しかし確実にツェアフェルトの大いなる豆こと「大豆」が浸透することになるのだが、それはまた別の話である。
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この時すでにヴェルナーはルーウェンの腹心ですが、ことが事なので陛下の方に報告が行くことになりました。

元ネタは煩悩さんのツイートより。
なんかこう、その他の話の方が多くなった……。
























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