Fuwamoko Summer Date day

「あこちゃん、これっ!」
 甘い声がした方に顔を向けた瞬間、眼前にそれが突き付けられた。『花』という文字がどアップであこの瞳に映っている。
「なんですのよ一体!?」
 身を捩って少し距離を取れば、それがフライヤーであることはすぐに分かった。濃紺の紙の上に鮮やかな色でそのイベント名が示されている。
「納涼花火大会……?」
「そうっ! 行こうよ、一緒に!」
「一緒に、花火大会に?」
「うんっ!」
 きらきらした笑顔で言われて、あこの心の中もまるで花火が上がったみたいにぱぁっと明るくなった。きららと一緒に花火大会。屋台で買い食いして、花火に歓声をあげて。想像するだけでもウキウキしてくる。それを気取られないように、努めて落ち着いた声色で返事を返した。
「あらあら、まぁまぁ。これ、この近くの海浜公園であるんですのね」
「こっちに越してきてから、地域のお祭りとか行ったことなかったでしょ? さっきググったんだけど、結構大きなイベントっぽいんだよね。お忍びで行っちゃおうよ」
 考えてみれば夏祭りにはアイドルのお仕事として何度か言ったことはあるが、プライベートではあまり出かけたことはない。それなりに大きな規模であれば人ごみに紛れて『お忍び』できるかもしれなかった。改めてフライヤーの記載を確認したが、この日時なら仕事の後に二人一緒に行けそうだ。
「いいですわね。それに花火大会といえば、夏のデー……」
 言いかけて、あこはハッとしてそこで口をつぐんだ。
「デー?」
 きららが小首をかしげている。夏のデートの定番、なんて言葉にして伝えてしまえば、目の前の彼女がどんな反応をするか、そんなのわかり切っている。慌ててきららから視線を外してツンとしてみせた。
「にゃ、にゃんでもないですわっ!」
 きょとんとこちらを見つめていた紫の瞳は、すぐにからかうようないたずらっ子のそれになって、くすくすという笑いを伴った。
「なにを笑ってるんですの!」
「な~んでもなぁい! でも楽しもうね、花火大会デート♡」
「ちょっと、あなた分かってるんじゃないですの!」
「あこちゃんとデート♡ デート♡ 花火大会デートっ♡」
「大きな声で何度も言わないでくださる!?」
 あこはシャーッと八重歯を剝いているが、二人の間の空気はなんだか柔らかいものになっている。きららはそのことにも気がついているようで、嬉しそうに何度もデート♡と口にするのだった。

 花火大会といえば、着ていくのは浴衣。
 というのはあこの言葉だったが、きららもすぐに賛成した。せっかく二人で花火大会デートなのだ。素敵な装いで行ってみたいのはきららもあこも同じだ。きららは浴衣を持っておらず、あこも生家に置いてきていたので、せっかくだからこの際買おうということになった。
 それではどこで買うか。最初きららは通販で揃えるつもりだったが、あこは実店舗で買うと言って聞かなかった。こういうのはちゃんと見て買いませんと! そう言い切るあこに、あまりピンとこない様子だったきららも、あこが連れて行ってくれた老舗の呉服屋に店に足を踏み入れたら、すぐに理解した。
「わ~っ! 浴衣がすっごいいっぱいある~!」
 晴れ着や訪問着がメインの店ではあるが、季節柄、浴衣のスペースが広くなっているらしく、たくさんの色や柄が並んでいる。
「帯どめや小物もたくさんありますから、色々合わせながら選べますわ。ネットじゃすぐに確かめらせませんわよ」
「ほんとだ。すご~い! あこちゃん、これとか可愛くない!?」
 早速きららが手に取ったのはラベンダー色の可愛らしい浴衣だった。よく見れば小花模様が一面に散りばめられている。
「素敵な浴衣ですわね。合わせるならこのあたりの帯が合いますかしら?」
 キリリとクールな紺や、黄色のギンガムチェックの帯を示すときららは、いいね~と頷いたが、ふと視線を外した先にそれを見つけて飛びついた。
「きらら、帯はこれがいい!」
「あら、緑色。そっちも可愛いですわね」
「ふふっ、あこちゃんの色だよ~♡」
「にゃ、にゃにを言ってるんですの!」
「もう~、うれしいくせに♡」
「勝手に決めつけないでくださる!?」
 そうしていたら、ちょうどそこにいくつか浴衣を手に持った店員さんが通りかかって、失礼しますと二人の間を過ぎていった。さっきまで気にしていなかったが、自分たちはまるで普段家で二人で過ごしているような雰囲気で言い合っていたのではないか。そのことに気が付いてあこは急激に恥ずかしくなり、窘めるように言う。
「あんまり騒がしくしたらだめですわよ」
「だぁって、浴衣も可愛いし、あこちゃんも可愛いし~」
「はいはい。もう、こんなことしてたらわたくしが浴衣を選べないじゃないですの。あっちの方を見てきますから、あなたもさっさと合わせる帯どめや小物を見ていらっしゃいな」
 素っ気なく言って、今きららと見ていたのとは反対側の列にある浴衣を見ていくことにした。
 白地に朝顔柄は涼しげで夏にぴったり。黒地に白い牡丹柄の浴衣はシックで大人っぽくて素敵だ。しかしピンクの薔薇模様やブルーのタータンチェックといった和洋折衷な柄もすごくおしゃれで、目移りしてしまう。
「これなんか良いかもですわ――……」
 若草色に鮮やかなオレンジの芍薬模様の浴衣に触れたところで、いきなりメェ~っ! と言う声が割り込んできて、ずいっとそれらが押し付けられた。
「にゃ!? 何ですの!?」
「あこちゃんの浴衣はこれで~す! はいっ、どうぞ!」
「ええっ!? 勝手に決めつけないでと言ったそばから……! んん?」
 むっとしながらもその浴衣と帯を受け取ったあこは、それらを見てすぐに気が付いた。爽やかな水色の浴衣はよく見ればきららのと同じ柄の色違いであり、帯はきららのイメージカラーであるパープルだ。きららの浴衣のコーディネートとおそろいになるように選ばれたそれらを見て、自然と頬は熱くなった。
「へへ~んっ! ぴったりな浴衣でしょっ?さっすがきらら!」
「自信満々に言われるとムカつきますわね……まぁ可愛いコーデであることは事実ですし、仕方がないから着てあげてもいいですけれど」
「それで~、靴はこれね」
 きららは間髪入れずに革のブーツを差し出した。確か袴のコーナーに置いてあったように思うが、いつの間に持ってきていたのだろう。
「ブーツなんて暑くありませんこと?」
「さっき下駄を試着してたんだけど、足痛すぎなんだもん! あんなの履いたらいっぱい歩けないよ~。それにブーツの方がレトロ可愛いし」
 見ればきららはあこに差し出しているブーツの隣に、お揃いのデザインのホワイトブーツを置いている。二人でこれらを身に着けて並んで花火大会に出掛ける姿を想像して、完璧だなと思った。さっき自分が手に取りかけた浴衣も可愛いが、一緒に着るならこちらの方が絶対にいいだろう。素直にそれを言ってはやらないけれど。
「……まったく。嫌だって言っても絶対これがいいって言うんでしょう。仕方がないからあなたの言うコーデで華麗に装ってさしあげますわ」
「うんうん、一緒に可愛く着ようね~!」
 きららは動じない様子でほくほく笑う。
 その後は肌襦袢や腰紐などの小物や、可愛い帯どめに帯揚げ、バッグなども揃えて、二人とも機嫌よく店を後にした。

 いよいよ花火大会当日。
 仕事を終えて家に帰ってきたあこは、きららがいないことを訝しく思った。確か彼女の方が早く撮影が終わるのではなかったか。
 ふとキラキラフォンを見てみれば、きららからメッセージが届いていた。
『今日は海浜公園の前で6時に待ち合わせだよっ! あこちゃん遅れないでね』
「どういうことですの?」
 よく分からなかったので電話をかけた。
『もしもしあこちゃん? どーしたの?』
「あなた、何か別の仕事が入りましたの?」
『え? 入ってないけど?』
「それならどうして待ち合わせなんて……家から一緒に行けばいいじゃないですの。今どこにいますの?」
『なーいしょっ!』
「にゃ!?」
『だってあこちゃん、今日はデートなんだよ!?』
「え、ええっと?」
『うちから一緒に出たら、デートっていうよりはお出かけでしょ。だから別々のところで、お互いばっちり可愛くしてそれから会うの!』
 きららの提案に胸がきゅんと高鳴った。言われてみればこうして二人で暮らすようになって、『待ち合わせ』といえば仕事終わりに落ち合うような時のことが多く、二人の休日が合った時にしているのも『お出かけ』ばかりだった。
「そういうことなら分かりましたわ」
『それじゃあまたあとでね~』
 電話が切れて、あこはふぅと息を吐きながらテーブルにキラキラフォンを置いた。
 まだ二人が別々の学園に通っている頃のことが自然に思い出される。二人で会う時にはかなり気合を入れてお洒落をしていったものだった。
 今回はもう既にお互いの浴衣がどんなものかは分かっているが、ヘアアレンジやメイクでもっと素敵なスタイルに仕上げることだってできるはずだ。『お互いばっちり可愛くして待ち合わせ』。あんなことを言うくらいだからきららは相当気合を入れて可愛い浴衣姿でやってくるに違いない。あこはグッと拳を握りしめた。
「久しぶりに腕が鳴りますわ!」
 そうと決めたら早く準備しなければ。時計を見ればそこまで時間は残されていない。
 まずはシャワーを浴びて日中の汗をさっと流し、それから肌着だけの状態でヘアアレンジを開始した。浴衣を着こんでしまった後に髪を結えば腕の上げ下げで着付けがよれてしまうかもしれない。だからヘアアレンジは最初にするのだ。
 ツヤツヤのオレンジブラウンの髪を丁寧にブラッシングして、いつもの髪型の猫耳のような部分はそのままに、長い髪を二つに分けて編み込みにしていく。うなじのあたりまで結ったらヘアゴムで結んで、そこから先は何か所かをヘアゴムで留めてぷくっとした丸みを作り、いわゆる玉ねぎお下げにした。最後に櫛を使って髪の表面を引き出してふんわりとさせたらできあがり。以前ファッション誌で見てから一度やってみたいと思っていた髪型だ。
 そして、引き出しの奥に入れていたものを取り出した。きららに内緒でこっそり買っておいたヘアアクセが二つ。この間、アクセサリーショップを通りかかった時に目に入って即買いした大きなリボンのヘアクリップだった。色は帯と同じパープルで、可愛いハートがついている。きっとコーデ全体を華やかにしてくれるだろう。猫耳部分の根元につけていく。
「これで……よし。ばっちり可愛くできましたわ!」
 きれいにメイクもしてから、次は浴衣の着付けに移る。
 実家にいた頃は年始に必ず着物を着ていたし、一人で浴衣を着るくらい簡単だった。さくさくと着付けを進めて、あっという間に完璧に装うことができた。最後にきららとお揃いのコロンを一振りして完成だ。鏡の前で自分の姿を確かめてあこはにんまりと笑った。可愛いヘアアレンジに、きららもびっくりするに違いない。
 それから、キラキラフォンやお財布、ハンカチなどをこの間呉服屋で買った全面が猫の顔のイラストになっている可愛すぎる巾着にいれて、忘れ物がないか確認してから家を出た。きららが選んでくれた革のブーツで通りを歩けばどんどん気持ちが高揚していった。きららは何と言ってくれるだろう?

 早めに待ち合わせ場所についたのでキラキラスタグラムを見ながら待っていることにした。きららのアカウントは今日の朝現場への移動中に撮ったであろう自撮りの投稿が最後だった。
「相変わらず写真がうまいですわね」
 スクロールして過去の投稿を見ていくが、どれもフォトジェニックな風景の中で楽しそうにしているきららで溢れている。そうしていたら、画面の上部にキラキラインの通知が表示されたのが目に入った。
『あこちゃん、もうすぐ着くよ!』
 見れば時計表示はその瞬間に6時ちょうどになった。
「もうすぐって、つまり遅刻じゃないですの! 遅れないでねってあの子の方から言ってきませんでしたっけ!?」
 そうしてきららは5分遅れで現れたのだが、ごめん~~と言いながら駆けてくる彼女の姿にあこは目を見張った。
 きららの浴衣の裾には、購入した時点では存在しなかったフリルがついている。襟部分にも同じフリルが見えている。また、手は白いレースの手袋に包まれていて、それに髪はいつものお団子ヘアースタイルではあったが、パールの粒のようなヘアアクセが散りばめられていて柔らかそうなフワフワのリボンがついていた。なんてファンシーでキュートな浴衣スタイルだろう。
「はぁ。まったくあなたは……」
 目の前で荒い息を吐いている彼女を上から下までまじまじと見る。どこからどう見ても可愛くて感嘆のため息をついていたら、きららは本当に遅れてごめんと平謝りした。
「せっかくのデートなのに5分短くなっちゃった~」
「ああもう、別にいいですわよ。その分帰りを遅くすればいいですし。というか浴衣のアレンジしましたのね」
「うん!」
 あこの言葉にきららはぱぁと顔を明るくして、それから調子よくポーズをとって見せた。
「えへへー♡この裾のところね、浴衣にフリルつけてみたんだ~! 布が余ったからつけ襟にもおんなじフリルつけて~」
「数日前から夜な夜な部屋にこもってたと思ったら、こういうことでしたのね。すごく合ってて可愛いですわ。あなたらしいコーデになりましたわね。それに浴衣、ちゃんと着れてますわね」
「頑張ったんだよ、えっへん! ……と言いたいとこだけど、実は着付けは美容院でしてもらったの。ヘアアレンジも美容師さんと相談しながらやってもらったんだ」
 えへへと笑ってぺろりと舌を出すきらら。さすがはプロに頼んだだけあってきれいに着こなせている。さっきあんなに走ってきたのに浴衣はそんなに乱れていなかった。自分ではできないと分かれば、ちゃんとプロに任せてクオリティを保とうとするところが彼女らしいなと思った。
「あこちゃんは自分で全部やったんでしょ? そのリボンも髪もめっちゃ可愛いね!」
 さらりと言われて一気に顔が熱くなるのが分かった。
「帯揚げと同系色のつめ可愛い~!すごいね、さっすがあこちゃん!」
 浴衣や髪だけでなく、昨夜から落ち着いたイエローに塗って準備していたネイルなど、細かいところにも気づいてくれて嬉しさがこみあげてくる。
「ま、まぁわたくしの手にかかれば、こ、このくらい当然ですわ……?」
 褒めてもらいたいと思ってドレスアップしたのに、いざ全部をくまなく褒めてもらえると、うまく嬉しいと言えない。けれど、きららはそんなあこのことをちゃんと分かってくれているようだった。
「ほんとにあこちゃん可愛いーよ♡それにきららも可愛い♡」
「ええ、同感ですわ」
 そうしていたらきららがキラキラフォンを取り出して、自分たちの浴衣姿をカメラに収めた。あこがびっくりしてなにか言う前に素早く角度を変えて何枚か撮影する。十分に撮り終えて満足そうにしているきららをあこは訝しそうにじーっと見た。
「あなた、それキラスタグラムにUPしませんわよね?」
「え? するけど?」
「ちょっと!? 今日は久しぶりのデートなんじゃありませんの? 二人の写真はお仕事以外ではUPしないんじゃありませんでしたの?」
「うん? そうだよ? ほら、この写真はトリミングして~、きららの浴衣コーデだけ分かるようにして~」
 きららのしている手袋はつけたままでもキラキラフォンを操作できるらしい。レースをまとった指でいつもと変わらず素早く操作していく。元の写真のうち、きららの首元から下を上手く切り取り、あっという間にキラスタグラムに投稿してしまった。
「もうUPしたんですの?」
 あこも自身のキラキラフォンで確認したが、写真はばっちり投稿されていて、『浴衣着ちゃった~♡可愛いと思ったらいいねしてね♡』なんてキャプションがついている。
「ちょっと、ファンにわたくしたちがここにいること見つけられたらどうするんですの!」
 周りに目をやりながらあこは声を潜めて言った。気づけば日が暮れてきて、同じように花火大会にやって来た人がたくさん行き交っている。きららはトップアイドルだから、今自分たちのすぐそばを通り過ぎた人の中に、キラスタグラムをフォローしている人もいるのではないか。そんなあこの心配をよそにきららはカラリと笑った。
「だいじょうぶだよ~っ。背景とか移り込んでないからどこにいるか分かんないし~。それに人増えてきたから逆に紛れられるって! いけるいける!」
 ほら、行こうとレースの手袋を纏った手を差し伸べられて、心配は消えないままそれを握った。

 海浜公園の中を進んでいくとすぐに屋台が並んでいるのが見えた。ベビーカステラに焼きそば、たこ焼き、フルーツ飴。レインボーわたあめやチーズハットグなんていうのもある。おいしそうな匂いが漂ってきて一気にお腹が空いてきた。輪投げやくじ引きなど、遊べる屋台も気になったが、まずは腹ごしらえすることにして、二人でたこ焼きを頬張り、唐揚げを分け合った。
 無事にお腹を満たしてから、射的の屋台を見つけたので二人でやってみた。気合十分で挑んだあこは筋はいいものの、あとちょっとのところで当たらず、きららはバンバン倒していくつも景品を取った。悔しくなったあこは金魚すくいで実力を発揮し、水の中ですぐにポイを破いてしまったきららの横で次々に金魚を掬ったのだった。
 そんなこんなで屋台を楽しみつくし、今は屋台から少し離れた海の見える場所で花火の時間を待ちつつフルーツ飴を舐めている。きららはみかん、あこはいちご。つやつやの飴が街頭に照らされてピカピカ光っている。
「楽しいね~」
「ええ。来てみてよかったですわ」
「ね、あこちゃん……」
 きららがずいと顔を寄せてきて、あこの心臓は跳ねた。周りにちらほら人が行き来しているとはいえ、きららの瞳にはあこが、あこの瞳にはきららだけが映っている。少し落ち着いた夏の夜の空気の中、可愛く浴衣を着こなした可愛い恋人が至近距離にいて、平静でいられるはずもない。
「ど、どうしましたの」
「きらら、いちご飴も食べたいな~。あこちゃんちょっと食べさせて」
 あこの鼓動の速さを知ってか知らずか、きららの唇はいちごの飴に、つまりあこの唇の方まで近づいてくる。
「ちょ、ちょっと……!」
「食べちゃだめ? ね、きららのみかん飴も食べさせてあげるから……」
 見れば、彼女の丸い瞳は確信犯的にきらめいている。それで分かった。きららはあこの鼓動の速さに当然気が付いているし、きららの心音だってあこと同じように――……。
 微かに唇から漏れてくるきららの吐息があこの顔にかかる。その桃色の唇が飴ではなくであこのそれと重なりたいのであろうことはもう明白だった。このまま口づけてしまえば、どんな味がするだろう? いちご味、それともみかん味……?
 その時。
「あーー!」
 そう言う声がして、振り向けば小学生の子たち数人がこちらを指差していた。
「にゃ!? なんですのあの子たち!?」
 そう言っている間にも、子どもたちはきららとあこの方をめがけて駆けてくる。
「ちょっときらら!? キラスタの写真で特定されてしまったんじゃありませんの!?」
「えっ! そんなわけないと思うけど……!」
 近づいてくる子たちは、ほらやっぱりあの人だよ浴衣の、などと言っている。
「でも、浴衣を覚えられてるみたいですわ!?」
「ほんとだね!?」
 その場から逃れようかとも思ったが、それより先に周りを取り囲まれてしまった。
「見つけた~!」
「ほんとだ、間違いないよ!」
「あ、あの、みなさま、わたくしたち今日はプライベートですから、ここにいるのはご内密にしていただきたくて……!」
 そんな言葉は彼らには届いていないようで、みんな嬉しそうにはしゃいでいる。そしてそのうちの一人の、つぶらな瞳の男の子があこに向かって言った。
「ねぇ、金魚すくいの人!」
「はい……?」
 訝しそうに眉間に皺を寄せたあこに、子どもたちは矢継ぎ早に言った。
 さっきものすごくいっぱい金魚を掬ってた人だよね? あのね、金魚すくいのおじさんがお姉さんが掬ったあと、破れやすいポイしか渡してくれなくなったの。金魚すくいのお姉さん、薄いポイでもさっきみたいに掬える? 掬ってみて! わたし金魚飼いたいんだ~! 僕も!
「ええっと、この後花火がありますし……」
「まだちょっとは時間あるよ。行ってあげたら? 金魚すくいのおねーさん」
「ちょっときららまで……! まったく、仕方ありませんわねぇっ!!」
 そんなわけで再び金魚すくいの屋台に行ったあこは、破れやすくなったポイでも問題なくどんどん金魚を掬っていった。子どもたちに言われるがままに散々掬いまくって、ヒーローのように称えられる頃にはもう花火が始まる時間になっていた。
 本当にありがとうございました~! と言って手を振る子どもたちを見送ってから、あこははぁ~と大きく息をついた。
「まったく、どうなることかと思いましたわ」
 ずっと傍らであこと子どもたちを見守ってくれていたきららが、さっきよりは一歩距離を縮めて微笑む。
「でもあこちゃん、金魚掬ってるのめっちゃかっこよかったよ」
「そうですかしら」
「うんうん。きららだったら一匹も無理だっただろうし。やっぱりねこちゃんだから、お魚を捕まえるのが得意ってことな――……」
 きららの言葉に重なるように、ひゅーという音がし始めた。あこちゃん、これって! と呼びかけたきららの声は途中でドンという音にかき消される。あこもハッとして振り向いて、二人で同時に空に視線を移した。
 エメラルドグリーンとラベンダーパープル、異なる色の二人の瞳に、同じ金色の色彩が弾けたのが映った。そこから立て続けに様々な色や形の花火がうち上がっていく。しばらく間隔が空いたと思えばまた立て続けに空が彩られて、二人でじっと花火に見入った。大きく円状に弾けて広がっていく赤、丸く開いてから流れ落ちていく金色、ピンクのハートに、連続して打ちあがっていく青、緑、紫に白。
「すっご~い!!!!」
「ええ! 素晴らしいですわ!!」
 気が付けば辺りには人が増えている。ちょうど屋台の屋根の上に花火がばっちり見える位置というのもあって、こちらにたくさん人が移動してきたらしい。右からも左からも押されてよろけそうになったところで、レースの手袋があこの手をぎゅっと握った。見ればきららはこちらを見て微笑んでいる。それから唇が動いて、何か言葉を発したらしい。
「……きらら? なんて言ったんですの?」
 花火の弾ける音と、それに呼応して周囲の人がざわめく声とで、彼女の声を聞き取るのは容易ではない。きららはくすくす笑っていて、やがてちょっと呆れたような顔をして、あこの肩をぎゅっと抱きしめた。甘くて柔らかい声がようやくあこの鼓膜を震わせる。
「あこちゃん、だいすき」
 そう聞こえた次の瞬間には、唇にふわりと熱い感触があった。クライマックスの花火がいっせいに上がって、空はまるで昼間のような明るさになる。しがみついてくるきららをあこの方からも抱きしめ返した。
 忙しい二人が365日のうち、こうして一緒にいる時間は短くて、まるで花火みたいだ。綺麗に打ちあがってはすぐに消えてしまう。でもたとえ一緒にいられない日でも、心の中には今日のこの景色がずっとある。いつだって今この瞬間の気持ちを思い出すことができると思った。
 それから、きっと来年もこの花火を一緒に見に来るだろう。二人とも同時にそんなことを思ったのだった。

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