ブランク


「出来たら、その新しいに作った噺、私が自分で高座に掛けてみたいんです。」
「自分で高座に、てそれ……。」
「はいぃ。」と言って、紺色の練りきりの上に散った金箔みたいにキラキラしてる妹弟子が頷いた。
「そらええわ!」
「あ、草若兄さん!」
勢いで立ち上がったら、うっかり抹茶の入った黒い天目風の茶碗を倒しそうになって、慌てて茶碗を持ち直した。
そうか、良かったなあ若狭。
お前の作った落語をお前自身で演じてみい、そないせえ、と。オヤジなら、きっとそう言うたやろ。
「長いことブランクがありますし、稽古見てるのと稽古するのは違うてことも分かってるんですけど、もう入門したばかりの私とは違いますし、上下の付け方はまだ覚えてます。」
それに、と言って喜代美ちゃんは深呼吸でもするように間を置いて言った。「今度の噺、主人公を女の子にしてしもたんです。普段から、噺作ってる最中は、草々兄さんに、噺の内容に合わせた仕草をどうするか見てもろて、色々口出しはしたりさせて貰ったりもしてるんですけど、今度の噺は、お前の方が上手く出来るやろ、って草々兄さんに何度か言われてるうちに、なんや、段々その気になって来て、結局噺が出来上がったら、手放すのが惜しいような気持ちになってしまったんです。」
「そうかぁ。」
仮に主役が女の子やとしても、草々のことや、どないかして演じ切るやろ。
それでも、その話を完璧に演じられるとしたら、作ったこの子しかおらへんと思ったんやろうな。
「なんや、ワクワクするわ。草々から、若狭が、次の創作落語、主人公を女で書いてるて聞いてたからな。」
「ありがとうございます。」
これまで、草々が演じることを想定して作られた喜代美ちゃんの創作落語は、ずっと男主人公やった。『徒然亭若狭』として、喜代美ちゃんが自分で演じる話として作るならそれはないやろうというつくりやった。でも、ずっと喜代美ちゃんが演じるならどないな落語になるんやろ、聞いてみたい、とオレの方で勝手に期待してたんや。
「おかみさん業の方はええんか?」
「内弟子修行のラッシュもやっと落ち着いたし、小草々くんが筆頭弟子らしいになってきたでえ、復帰の後押ししてくれたんです。甘えてええんやろか、て思ったんやけど、もう一遍だけ、稽古再開しよかなって。」
「そら結構なことやがな。おめでとうさん。」
「ええんですか?」
って、それオレに言われてもな。
留め立てや咎める声が入るとしたら、喜代美ちゃんのあの頑固なお父ちゃんか、草原兄さん辺りやろう。
一度おかみさんに専念するて決めたからには、最後までそないせえ、て雷落とされるか分からん。せめて小草々とオレくらいは応援したらななあ。
そういえば、喜代美ちゃんがこないして話してくれてる、てことは草々のヤツは賛成なんか。珍しいなあ。
「日暮亭はどないするんや、て言うても、今年はいい人が来てくれてるもんな。」
「はい。」
日暮亭の裏方として新しく入った緑姉さんの親戚の若い子が、商業高校出で帳簿付けも手伝えるくらいに有能で、教えてみたら覚えるのも仕事も早い。
一去年の秋から正式に働いて貰えることになったとは聞いてたけど、それが巡り巡ってこんな風に話が転がっていくとは、誰も思わんかったんと違うんやろか。
「オチコちゃんはどないや。『おかあちゃんも、子どもの手をそろそろ離していかんとね~』とか言ってんのか?」
「それもありますねぇ。なんや草々兄さんや私が、勉強せえ、勉強せえ、て言えば言うほど、落語覚えてる方が楽しい~て宿題ほったらかしなんですもん。正平に説得して、て言っても、あの子の好きにさせたったらええがな、て言うだけで何の役にも立たへんし。」
「ほらあれ、エーコちゃんみたいに社長になる、て言うてたことあったやんか。あの子に説得してもらうのはどないや?」と言うと、喜代美ちゃんが大きなため息を吐いた。
「エーコ、あれで大学中退ですもん。あの、草々兄さんと別れる前の東京行きで。」
「ああ~、そういえばそやったか。」
「『本人に学ぶ気さえあれば、周りがやいやい言わんでもなるようになると思うよ。せめて高校まで頑張って、くらいしか私の口からは言えへんし。』て言われてしもたんで。」

――大阪にずっといてたら、大学は卒業出来たかもしれへんけど。あの道に進んで小浜戻って来るしかなくなったことも、今の私を作ってくれたんやと、今はそう思います。ビーコとも、表面だけ取り繕って付き合い続けてたら、こんな風にはなれへんかったやろうし。

別れる直前にそないな風に言ってたな。
あの子の人生にオレはおらんのかもしれへんな、て。そのことにふっと気が付いて。
あの時は傷付いたと思ってたけど、その傷の痛みもいつの間にか癒えてた。
子育てっちゅうのは、ほんまにえらいこっちゃで。
目の前の子どもで人生が手一杯で、若い頃みたいに、自分の気持ちに酔うてる暇もあれへん。
まあ、なんでもええからくれ、て物好きも今はひとりいてるけど。


「なあ若狭、その復帰公演、オレもなんやお楽しみゲストで呼んでくれへんか?」
「……すいません、草若兄さん。実は先約が……。」
「ゲストはどれだけおってもええやろ。賑やかしや。」
「それが、もう三人もいてはって。」
「三人て、誰や。草々の弟子やったら、もう四人もおるやろ。二人だけいうのはちょっと可哀想とちゃうか?」と言うと、ちゃいます、と喜代美ちゃんが慌てて手を振った。
「最初、草々兄さんに、出来たら創作落語の会にしたい、て相談したら、尊建兄さんに声掛けたらええんと違うか、て言ってくれなったんで、もしやるとしても、日暮亭で何かあったときのために、寝床寄席とかがええんと違うかな、と思って、尊建兄さんにこの先の予定、聞いてみたんです。そしたら、草々兄さんから柳眉兄さんにも話が行ってて、柳眉兄さんからは、『創作落語やのうて、ちりとてちんにしたらどうや、最初は古典、それから創作。順番をそないするなら私が出てあげます。』て言われてしもて。」
「えっ、柳眉も……?」
「順番どっちにしても尊建兄さんか柳眉兄さんが怒らはるやろうし、二本立てするのも無理です~、て相談したら、『あいつらにばかり任せておけるか! 夫婦なんやからお前の復活の会にオレが出んでどうするんや。オレが創作と古典やるからお前は好きな方選んでとにかく早う稽古せえ!』て草々兄さんが言い出してえ……こうなったら三人一緒に出てもらう以外にないかと。」
「三国志全員て……。」
それ喜代美ちゃんが前座になるヤツと違うか、と思ったのが顔に出てたんか、「やっぱり草若兄さんもそない思います?」と妹弟子の頃に良く見た不安そうな顔で、喜代美ちゃんが言った。
「オレまだ何も言うてへんぞ。」
「草若兄さん、今の自分の顔、鏡で見てください。『三国志が全員出たら、若狭が前座やんけ。』てそない書いてありますさけ。」
妙に白けた顔で言われてしもうた。
す、すまんな、今日はわりかし素直な草若ちゃんで……。
「……お見それしました、若狭姉さん。」
へへえ、とお辞儀はしたけど、いやいやいやいや。
「それつまり、オレはそこには出れんて話か?」
「ですから、もう私が前座で普通に日暮亭でやったらええんと違いますか、て。」
台詞被ってしもうた。
「おい~~~~~~! 可愛い妹弟子の復帰公演やで? 喜代美ちゃんが主役でのうてどないすんねん!」
「すいません……。けどぉ、ドリフターズのわたしがビートルズの兄さんたちを前座にさせるわけには……。」
あかん、おかみさん歴長いからか、興行主の顔が発動してるわ。
「そしたらオレが、」
いや、流石にそこにオレが出たら、芋づる式に四草が『僕も混ぜてください』ていっちょ噛みしたがるやろうし、草原兄さん無視するわけにもいかんから、草若弟子の会も併せてやったらええんと違うか、てなるやろ。
あかんわ、これ。
どないする、どうしましょう、と言い合って目の前の和菓子を一口食べた。
甘いなあ、練りきり。
その代わり、昔試したときよりもずっと、お抹茶の味がええもんに思える。苦いばかりと違うのやな。
「この練りきり、月が替わるから今日で最後なんやそうです。間に合って良かったあ。」
「来月に来たら、また別の和菓子が出るんか?」
「はいぃ。このお店でのうても、和菓子は季節ごとに違うものが出ますさけ。草若兄さんさえ良ければまた付き合ってください。」
「ええで~。」
あ、……ええこと考えた。
「復帰公演、創作と古典で二日に分けて連日か、同じ日の昼と夜にしたらええんとちゃうか? 柳眉もそない言うてたんやろ。」
「えっ、」
えっ、てなんやねん。
「それってつまり、お稽古、二つ同時にするんですか?」
なるほどな、そっちの心配か。
「そら若狭、『入門したときの私と違う』んやろ? 自分でさっき言うとったやんか。」
「そない言いましたけど、そういう意味とは違いますさけ~~~~! 無理です、無理!」
おお、久しぶりに聞いたな、喜代美ちゃんの『無理です、どないしよ~!』。
「復帰公演なら、なるべく派手にやったらええがな。……大丈夫やって、皆がちゃんとついてるから。」
「……ほうですか?」
「ほうやで~。」と小梅師匠の声真似をして請け合ったら、喜代美ちゃんが「わたし、頑張ります。」と言って背筋を伸ばした。

そうやで。
どーんと人生のど真ん中、そないして歩いていったらええがな。
そのために頼んない兄貴が四人もおるんやからな。

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