高収入求人サイトのトラックがきみの聖書を一枚めくる
「二人とも、本当にありがとう……帰り気をつけてね」
「おう。お大事に」
「じゃねー」
目の前でドアが閉まり、きちんと施錠される音を確認して、少し安心する。
千尋がインフルエンザにかかり、撮り溜めした動画があるからと更新をスタッフに任せ、Ez Mode全員で少し早い冬休みに入っていた。
今日はりょうたんを誘い、千尋の見舞いに来た。……が、普段より三割増しくらいに眉尻を下げた千尋の前でもダルそうな態度を隠さなかったりょうたんが気になり、隣で歩きスマホをしている奴を軽く睨む。
「お前さあ、お大事にくらい言えよ」
「え? 言っただろ、多分。つかさー、わざわざ見舞いに行かなくても生存確認できてるんだからいいじゃん」
「お前はオレが声かけねーと来ねぇだろ」
他の二人はともかく、コイツは休みが早まった途端派手に遊びまくっている。どうせクリスマスが近いとかなんとかなんだろうけど、女にする気遣いを少しはメンバーにも回してほしいものだ。
「感染ったらどーすんの」
「そりゃそうだけど……一人暮らしでインフルはしんどいだろ。お前千尋と仲悪いんだからこういうときに恩売っとけよ。年上なんだから」
りょうたんは画面から顔を上げて、心底鬱陶しそうにオレを見た。
「あーマジでウザいわ」
よく通った鼻筋。の、鼻根に皺が寄る。
「うじゃめは本当にチーくんのママだよなー。この前もコラボ相手にイカサマしてたし」
「イカサマじゃねーよ。つか、ママって何」
スマホをコートのポケットにしまったりょうたんは、前髪とマスクで覆われて目元しか見えないというのに、意地の悪さが伝わってくる表情を浮かべた。
「知らねぇの? なんかみんな言ってるから、うじゃめがママだって」
「みんな? ……あ、お前、またエゴサしただろ!」
エゴサ禁止だって言ったのに。駅が近づいてきて、人通りが多くなってきた。
「なんでオレだけエゴサ禁止なんだよ。差別じゃん差別」
悪びれてないどころか開き直っているりょうたんの長い脚が、落葉を巻き込みながら進む。分厚いスニーカーのソールが黄色の破片を踏み荒らしてさくさくと音を立てた。
「お前が病むからだよ……」
これは本当にそうだ。何を言われても無敵なチェダーと違い、同じくらい炎上しがちなのにりょうたんはメンタルが不安定だ。メンタルが安定しないと遅刻が増えたり撮影を休んだりするし、そういうことばかりしているからアンチに目をつけられるのだし。言ったところで勝手に繰り返すだろうけど、少し前にエゴサ禁止を言い渡していた。
呆れながら隣に追いつくと、鉄壁のような前髪を揺らし、りょうたんも勢いよくオレを見た。目と目で気持ちが通じ合うみたいなことはなく、普通に、汚い言葉で言い返そうとしている顔だった。
一触即発のオレたちの間に、ひら、と小さなものが舞った。
雪が降ってきたのだった。
思わず立ち止まって見上げた空は白っぽく、星なんて一つも見えないのにやけに明るい。
少しずつ降ってくる量が増えていく。りょうたんも空を見た。
周囲を忙しく行き交う人たちは、気づいていないのか、気づいているうえで気にも留めないのか、そうしているのはオレたちだけだった。
りょうたんの長い睫毛に半透明の薄いかけらがやわらかく乗って、すぐに溶けて消える。
「なあ、天一行かねー?」
濡れた睫毛をまたたかせ、りょうたんが唐突に言った。
夕飯の時間にちょうどいいことを思い出す。千尋とも玄関先で話しただけだから、ずっと外にいた身体は冷えている。今ラーメンを食ったらさぞ美味いことだろう。
「いいけど、どっかで手洗ってからな」
「おー」
りょうたんの言葉の強い引力に従い、二人でスマホを取り出して近くのラーメン屋を調べる。
りょうたんがときどき発揮する、こういう単純さというか愚かしい感じのところが、付き合っていて気楽でもあり、なかなか踏み込めないところでもあると思う。致命的に。
それでも、今はそれが心地よく、何かから自由になれた夜が始まるという予感があった。
店の見当をつけて、既に別のアプリでなんかのチャットをしているりょうたんを小突いて、積もらない雪の中を歩き出す。ぴかぴかしたイルミネーションの、できるだけ明るい方に。マシな光の方に。
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