One scene of our youth 4
「うお、マジかよ…」
とある神奈川の海の近く、住宅街の一角で三井は思わずつぶやいた。横に並ぶ松本と深津も同様に、目の前の家を見上げながら、あんぐりと口を開けている。一緒に駅から歩いてきた牧が、カバンから鍵を取り出し、慣れた様子で門扉に差し込んだ。
カチャンと錠の外れた音でハッと我に返った松本は、両開きの門扉を開けてズンズン進んでいく牧の背を慌てて追う。
「おい、本当にいいのか牧。こんな立派な家…」
玄関に続く数段の階段を上りドアの目前まで来たとき、右手側が目の端に映った。そこには、とんでもなく広いわけではないが、バーベキューくらいは軽々できそうな広さの庭が広がっている。三人は視線を奪われ、さらに言葉を失った。
「庭付き一戸建てピョン…」
深津がぼんやりした様子でつぶやいた言葉をなんでもないことのように聞き流し、牧は朗らかに笑っている。
「勿論。電話でも言ったが、むしろ助かるよ。人が住んでない家って危ないし、すぐ痛んでくから、管理が大変でな」
玄関を開けて、どうぞ、と振り向いた牧のことを、三人は唖然として見返すほかなかった。
ことの発端は1月のある日、松本宅でいつものように三人で夕飯を食べ、だらだらとなんでもない話をしているときだった。ローテーブルの上に置かれていた三井のスマホが着信を告げて、ブーンと振動した。
「ん?」
スマホを手に取って画面を見た途端、怪訝な表情で首を傾げた三井を、二人も不思議そうに見た。
「どうした?」
「誰ピョン?」
「牧だ」
画面から目を離さないままの三井の口から意外な名前が出てきて、深津も松本も一瞬動きを止めて三井を見た。神奈川の帝王とも呼ばれている牧のコート上での姿がパッと思い浮かぶ。
「海南の?」
確認するように端的に問うた松本に頷いて、三井は少しスマホを持ち上げて見せた。
「ここで出てもいいか?」
「どうぞピョン」
そう断って、三井が「もしもし、牧? 珍しいな」と電話に出たのを聞いて、深津と松本はそこから意識を離した。すぐ隣で「…うん……ああ、母さんが? ……そうそう……へえ…」と三井が電話口に話すのを、なんとなく耳におさめつつも、耳を澄ますわけでもなく邪魔にならない程度に声を落として、二人は牧との少ない接点を思い出すように話を再開した。
「牧とは…高二の夏以来か?」
「そうピョン。強くて上手いPGピョン」
「深津は全日本でも一緒だったよな?」
「ピョン。面倒見がよくて、案外ノリのいいやつピョン」
「へえ? あんまり想像つかんな」
そんなことをのんびりと話しながら、お茶を飲んでいた二人は、
「…あ、今ちょうど二人と一緒なんだわ。ちょっと待て、スピーカーにすっから……いいよな?」
と急に三井から会話の矛先を向けられ、目を丸くした。
牧とは試合会場で会えば挨拶は交わすが、特別に仲が良いわけではない。バスケ選手としての興味関心を抜きにすると、きっと牧からの認識も三井のおまけ程度だろう。少なくとも、わざわざスピーカーにして話すようなことは思いつかない。とはいえ、断るような理由もなく、真顔の深津の横で松本が曖昧な態度で頷くと、三井がスピーカーに切り替えたスマホを三人の真ん中あたりに置いた。
「牧、聞こえてるか?」
『大丈夫だ。深津と松本もいるのか?』
「あけおめ、ことよろピョン」
「久しぶりだな牧」
『ああ、久しぶりだな。こちらこそよろしく。急に悪いな』
「どうしたんだ?」
「俺たちにも用があるなんて、本当に珍しいピョン」
電話口で『そうかもな』と牧が同意したのにかぶせるように、「そうそう」と三井が口を開いた。先程までしばらく話していた話が、そのまま二人にも関係のある用件だったらしい。
「牧んとことうちの母親がすげえ仲いいんだけど、それで俺らがルームシェアするって話聞いたらしくてさ」
牧と三井、そして藤真の三人が幼なじみのような関係であることは、三井の口からも、体育館などで偶然会ったときなどの様子からも、よく知っている話だった。松本と深津と似たような関係である二人の親が仲がいいというのも想像に容易い。
それはそうとして、三人でのルームシェアがなにか牧と関係があっただろうか? たしかに牧の通う海南大もそう遠くない場所にあるが、と二人は三井の話にさらに謎を深めてしまう。
『そうなんだ。で、まだ住む部屋は決まってないって聞いたんだが、うちの叔母の家が今空き家になってて、そこがちょうどいいんじゃないかって話が出てな。それで、三井に電話したんだ』
自然に三井の話を引き継いだ牧が、電話口で落ち着いた声で滑らかに説明してくれる内容は、言葉の意味はわかるものの、その意味をすんなりと理解するのが難しかった。三井はそんな牧家の事情に慣れているからなのか、先程同じ話を聞いているからなのか、うんうんとひとり納得したように頷いている。
「牧の叔母さんの家?」
「三井は知ってるピョン?」
困惑気味の二人の質問に、三井は笑って首を横に振った。
「いや、俺もさすがに叔母さんは会ったことないぞ。その家のことも知らねえけど、牧の実家近くなんだよな?」
『そうだ。俺の実家から二駅、むしろ三井たちの大学寄りの駅だよ』
なるほど、大学の場所などの事情も加味して提案してくれたのか。松本は有難い気持ちを感じつつも、改めて牧に疑問を投げかけた。
「でも、いいのか? つまりは叔母さんの持ち家ってことだろう?」
『ああ、そうなんだが、その叔母が半年前から海外に行っててな。しばらくは帰ってこないから、定期的に俺か母が見に行ってんだ。だから、むしろこちらとしては住んでもらえるなら有難いんだよ』
それを聞いて、ああ、とようやく腑に落ちる。
「それはたしかに、利害が一致するピョン」
「なるほどな」
『もちろん、住むことを強制するわけじゃないから、一回見に来てみて、気に入らなかったらそれでいいんだ。どうだろう?』
「おう。まだ部屋探しも本格的には初めてねえし、とりあえず見に行ってみる、でいいんじゃね?」
「ん、俺も賛成だ」
「ピョン」
『なら決まりだな。あとでいくつか日程の候補、三井に送る。それで三人の予定が合いそうな日、教えてくれ』
「わかった。ありがとな」
『こちらこそ。じゃあまたな』
「おう、お疲れ」
タン、と通話を切るボタンをタップして、三井は二人のほうに顔を上げた。
「…と、いうことらしい」
「なるほどな。ありがた過ぎるくらいの申し出じゃないか?」
「見に行ってダメだったら断ればいいし、いい部屋だったら部屋探しの手間が省けて最高ピョン」
「そうだよな。よかった。急につないじまって悪かったな。直接話したほうが話がはえーかと思って」
「まあ驚きはしたけど、よくわかった。話のスケールはよくわからなかったが…」
「牧の叔母さんは何者ピョン?」
三井はその質問に対して、さあ、と首を振ってみせた。
「叔母さんのことは本当に知らねえんだよ。見に行ったときにでも聞いてみりゃ、教えてくれると思うぜ」
「そうか。ひとまず、近々部屋見に行くなら、俺たちの条件だけでも擦り合わせとくか。具体的な話、何もしてなかっただろ?」
「たしかに、判断基準がないピョン」
「条件なー…俺、正直よくわからねえんだよな。おめーらの条件聞きつつ、なんかあれば言うわ」
そこから三人は、理想の部屋について話し合った。幸いにも、三人ともが住居に対して強いこだわりを持っておらず、すんなりと条件は決まった。ひとり一部屋、風呂トイレ別、コンロは二口以上。これが最低条件だ。
その後すぐに牧から連絡があり、内見は一週間後に行くことが決まった。
牧の叔母が建てたという一戸建ては、4LDKの2階建てだった。2階に6帖の洋室が3つ、1階にLDKとそこに繋がる6帖の和室がある。勿論、風呂とトイレは別で、キッチンはカウンター型の三口コンロにグリル、さらには食洗機まで完備されていた。大きな家具は残されたままになっていて、牧や牧の母がこまめに管理をしていたという言葉通り、すぐにでも住めるような状態だった。
ひととおり家の中を案内された後リビングに戻った4人は、ダイニングテーブルにひとまず座る。リビングの大きな窓からは、先ほど横目に見た庭の様子が見えていた。縁側のようなものはないが、リビングからすぐ庭にも出られるようになっているようだ。
「で、どうだった? なかなか悪くないだろう?」
「いや、悪くないどころかよすぎじゃねえか?」
「悔しいことに、文句のつけどころがないピョン」
「それは悔しがることじゃねえだろ…」
はは、と牧が鷹揚に笑う。その様子があまりにも様になっていて、まるで若手実業家のような貫禄があった。これで同い年とは信じがたい。
「気に入ってもらえたなら良かった。できれば、叔母が置いていった大型家具はそのまま置いておいてもらえたら助かる。あと、庭に物置があって、その中にも荷物が置いてあるんだが、それはそのまま置かせてもらえるとありがたいな」
「もちろん構わねえよ」
「むしろ改めて家具買わずに済むなら、俺たちもありがたいよ」
「でかいテレビで試合が見られるピョン」
「たしかに!」
「それは楽しみだな」
「そんなに喜んでもらえるなら、叔母も本望だよ」
瞳を輝かせる三人に牧も嬉しそうだ。
「うちはご覧の通り、いつでも引っ越してきてもらって大丈夫だが、引っ越し時期はいつ頃になりそうだ?」
「んー後期のテスト終わったあとあたりか?」
「そうだな。2月半ばから3月にかけてとか? 今の家の契約も確認して、予定組まないとだな」
「春休みに合宿あるピョン。練習の予定も確認して決めるピョン」
「うん、わかった。とりあえず、2月半ばから3月くらい予定だってことで、急がないから予定決まったら教えてくれ。叔母と母にも具体的な契約のこととか確認して、必要な手続きとか連絡するよ。賃料も相場よりかなり安くできると思うから」
「おう、ありがとうな」
「なにからなにまで世話になるな、牧」
「牧は想像以上に面倒見のいいやつピョン。これからもっと世話になるピョン」
「はは、深津は想像以上にちゃっかりしたやつだな。まあ俺もサーフィンしに来るときとか、寄らせてもらうからよろしく頼む」
その言葉に、深津と松本が目を見開いて牧をじっと見たので、牧はなんだ、とそのふたつの目を見返した。
恐る恐るというように深津が、
「…牧、サーフィンやるのかピョン?」
と問いかけたのに対して、牧はあっけらかんとした様子で返事をする。
「おう、バスケと同じくらい小さいときからやってるな。深津には言ってなかったか」
「ボードもウェットスーツも自前で、かなりの頻度で波乗ってるぞこいつ」
三井はサーファーとしての牧をよく知っているようで、肘をついてややげんなりした表情を見せた。
「一緒にやるか、って何度も誘ってんのに」
「俺はいい、って何回も言ってんだろ!」
「気持ちいいんだがな。深津と松本もやりたくなったら、いつでも声かけてくれ」
真っ直ぐな瞳を向けられ、深津と松本はややたじろぐ。
「ああ、考えておく…」
「さすが神奈川の男は違うピョン…」
「どういう意味だよ。こいつは特殊なんだ」
「ん? 三井こそどういう意味だ、それは」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ始めた三人を見ながら、松本は深津が牧を評して言った「案外ノリのいいやつ」という言葉を思い出した。茶目っ気の漂うその表情からその片鱗が見える。また賑やかさに拍車がかかりそうだな、と気持ちよく晴れた窓の外に目を向け、松本は目を細めた。
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