ハロウィン!

 たぶん、どうかしていたのだと思う。今までの人生でハロウィンなんて気にしたことがなかった──むしろ、ハロウィンにかこつけて騒ぐ人間たちを冷めた目で見ていたというのに、仕事で一週間帰っていない恋人から入った『今夜、帰ります』のメッセージに一護はあることを思いついた。
 コスプレをして、疲れた恋人を出迎えてやろう! と。一護は恋人に愛されている自覚が嫌というほどある。正直言うと重たいレベルで。GPSの位置情報は把握されているし、把握させられている。恋人いわく、浮気を心配しているのではなく、一護の生存や生活を感じて癒されたいのだという。
 というわけで、勢い余って購入した狼男の仮装。たまたま見つけたオレンジブラウンの獣耳に獣爪、ふさふさの尻尾。そして鋭く尖った犬歯。コスプレとしてはクオリティは低いけれども、急ごしらえにしてはまだまともなものが買えた……と思う。いそいそと支度をして、あらかじめ聞いていた帰宅の時間に合わせてスタンバイをする。
 ガチャ、と玄関の扉が開いた瞬間、「トリックオアトリート!」と両腕を上げて、十本の指を曲げる威嚇のポーズをした。飛び出してきた一護にどこかくたびれて妙な色気を放つ恋人が目をぱちくりとさせて黙り込んだ。後ろで扉がパタンと閉まるかなしい音がした。
 うわー、スベった。一護の顔が羞恥で真っ赤になり、居た堪れなさが込み上げる。上げていた腕を下ろして「……何か言えよ」と震える声で凄めば、恋人の浦原は「ただいま」とまなじりをふにゃんと下げた。
「……おかえり。風呂、沸いてるぜ。飯食うならそっちが先でもいいけど。秋だし、栗ごはんとか炊いてみたんだけど──」
 そうだ、なかったことにしよう。一護が獣耳に手をかけた瞬間、むぎゅ、と尻尾を掴まれてつんのめる。「あんだよ」と眉間にしわを寄せて振り返れば、ただでさえふにゃんふにゃんの顔がさらに崩れていてギョッとした。
「……かわいい。ハロウィンの仮装? 狼男……っスかね」
 コンタクトを外して、メガネ姿になっている恋人はついに過酷な労働で目もおかしくなってしまったのかもしれない。
「かわいくはねーだろ何言ってんだ。さっきは反応しなかったくせになんだよ」
「イヤァ、疲れた脳みそが一護サンのかわいさを理解するのに時間がかかってしまって……写真撮ってもいい? 待ち受けにしたい」
「アホか。やるなそんなこと!」
 過去、無防備な寝顔を勝手に撮られて待ち受けにされていたことがある。やると言ったらやる男なのだ。
「ハァア……久しぶりの一護サンだ。しかもこんな姿で出迎えてくれるなんて」
 ぽんぽんと革靴を脱ぎ捨てて、飛びつくようにぎゅううと抱きしめられる。お疲れさん、の意味も込めて背中を撫でてやると、すーはーとにおいを嗅がれて「嗅ぐな!」と胸もとをぐいぐいと押し返す。ふふ、とまどろむように笑う浦原に仕方ねえな……と一護は臨戦態勢のからだから力を抜いた。
「今日がハロウィンだってことすっかり忘れてたなァ……」
「そりゃ、忙しけりゃ気にも留めないだろ。かくいう俺もほぼ忘れてたし」
「それで、一護サンはボクが今日帰ってくるって知って、この仮装を?」
 耳もとで話す浦原のくちびるが耳朶に触れ、ぞくっとしたものが一護の背中に走る。ぴくりと指先が跳ねたのに気づかれたかもしれない。
「……なんつーか、ちょっとでも笑ってくれたらいいと思って」
「笑うっていうより、狼男さんに癒されました。似合ってる」
「……あ、そう」
「ところでボク、お菓子持ってないんスよ」
「ん?」
「トリックオアトリートって言ったでしょ? ボクは渡せるお菓子がないわけですから、アナタにいたずらしてもらわないと」
 からだを離した浦原が何やらニコニコと笑っている。嫌な予感がして離れようとする一護の腰を浦原が引き寄せた。無精ひげがぽつぽつと生える恋人にはくっきりと隈も刻まれている。どうせこの一週間、ろくに飯も食っていないに違いない。
「一護サンから与えられるものなら、罪や罰でも何だってうれしい。その牙で骨まで噛み砕かれるのもいいなァ」
 恍惚とした表現を浮かべる浦原にため息を吐いた。実はこの牙、尖った部分が邪魔で結構話しにくいのだ。どうしようか、この調子だと何かしなければ引いてくれなさそうだ。歯でも立ててやろうか、と考えて、一護は「舌を出せ」と言った。元々こんな格好をして出迎えた自分が悪いので。
 浦原の後頭部に手を回し、れ、と出した真っ赤な舌に伸ばした自らの舌をつん、と押し当て、くちゅりと舌先をこすり合わせる。舌をじゅっと吸えば、浦原はぴくりと睫毛を震わせて、下半身を押しつけてきた。その熱さと硬さにまなじりをぽっと赤く染めた一護はおなじようにゆらゆらと腰を押しつける。
 最後にしたのはいつだっけ。一週間前の休みの日に朝までまぐわった夜を思い出して、まだ一週間しか経ってねえじゃんと笑ってしまう。恋人がいない夜は、寒くてしょうがない。夜が長くて、朝がとおいのだ。
 深く口づけようとした浦原が「っ……」と恨めしそうな顔で一護から距離を取った。それでも鼻先がくっつくぐらい近い距離で「牙が当たってキスできない」とくちびるをあむあむと甘噛みしてくる。
「残念だったな。もう、おしまい! んな顔してもダメ。いたずらしろって言ったのはそっちだろ? ほら、先に風呂入ってこいよ。飯の準備しとくからさ」
「……わかりました」
 しょぼくれた犬みたいにしおしおになってしまった恋人には垂れた耳と下がった尻尾が見えた。一護は大きなふわふわの犬と恋人に大層甘い自覚がある。
「ちゃんと風呂入って、飯食って、それでも起きていられンなら、アンタのこと食ってやってもいいぜ」
 牙を見せてニッ、と笑えば、恋人の背が急にしゃんとしたものに変わる。耳はピンと尖って、尻尾はぶんぶんとはち切れんばかりに左右に揺れている──幻覚がまたもや見えた。まあたまにはこんなハロウィンもわるくない。
 

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