明日はベッドでオセロでもしようか - ピリサオ
一回だけのつもりだった、なんて。まさかそんな言葉を人生で思う日が来るとは思ってもみなかった。
ピリナはふとんの上、隣で腹ばいで寝そべり週刊誌をめくるサオネルの横顔を眺めながら、いや、と己の思考に逆説を続ける。思ってもみなかったことはたしかだが、あのときは確かにそのつもりだった。
素面のまま酔ったようなノリと勢いで悪ふざけをするのはいつものことで、それに加えてあの時は本当にアルコールが入っていたからよくなかった……入っていた、はずだ。実際は前後も少しおぼろげだが、とにかくきっかけは勢いだった。「おれらも融合で完全体になれんだぜ」とサオネルの発したバカな言葉だけはやけに頭に残っている。「そうだそうだ」と相槌を打ちながら何を言っているのかまったくわかっていなかったからかもしれない。
つるんでいる仲間たちがすっかり捌けてしまってからも、お互いのツボを心得てしまっている者同士が残って宴会気分のまま、笑いあいながら続けていた戯れがどうにかなって変な具合でもつれてしまって。
そうしたら、全身くまなく、それこそ本人も知らないような背中の古傷のかたちや尻臀のしわ、膝の裏の血管の具合まで知っているようなやつがまったく知らない表情を見せた。喜怒哀楽寝顔くしゃみ乱酔ぜんぶぜんぶその貌の動きを知っているはずのやつが、それらをひとまとめにしたような顔で善い、と呻くのを初めて聞いてしまった。「一回だけだ」最中、ふと冷静さがよぎった脳裏で念じるようにそう呟いて、また酔い気に身を委ねた。それからどういうわけか二度三度と続いてしまった関係は、勝手知ったるお互い故か、午睡のまどろみのように抗いがたく、ピリナの足元をすくった。
ぱら、と静かな部屋にサオネルのめくるページの音だけがただよう。ピリナはそれを眺めながら、そっと息を潜めた。出会いも初対面の印象もとっくに忘れたような間柄、沈黙に気まずさを覚えたことなど今日日ない……なかった。いろいろな”当たり前”が過去になっていく現在に、ピリナははじめて二人きりの空間に臆して肺が重たくなるのを感じた。
すっかりハマってしまっている。どういうわけか、というほど思考停止しているわけではない。のめりこんでいる自覚がピリナにはあった。そしてサオネルもそうであるという確信がピリナの胸中にはある。それでも気分が晴れないのは、明かであるのに明らかにならない現在にだ。
お互い物事を曖昧なままで過ごすのは性に合わないたちで、だいたい情緒も同じ程度に湧いて静まる。喧嘩をするならすぐに手が出て足が出て、やり過ぎたと省みればそう思った瞬間には謝罪を告げる。「ジェットコースターみたいなやつら」と仲間内で揶揄されるほど、同じレールに相乗りできる相棒がいるのは幸運だ。だのに、こればかりはずるずると、名前もつけずにここまできてしまった。
「一回きりのつもりだった」
言って、ピリナは自分の口から出た言葉に驚愕した。完全に言葉を間違えているが、あまりにも選ぶ暇がなかった。自分がどれほど切羽詰まっていたのかそこでようやく思い至ったが、ぽかんと口を開けたサオネルにピリナは一人さらに混乱を深める。これじゃあ別れ話の流れができてしまう、悪手も悪手、最悪の指し手を選んだ。
「…………俺もそう思ってた」
そういうサオネルに、ぐうっだとかうんっだとか、うめくような声がピリナの胸からまろび出た。胸の下で腕を組みなおしたサオネルの肩口であやめ色をした歯形がくっと色をのぼらせて、返す刀で斬りかかられたピリナは首をうなだれさせる。
「でも、この先も、ずっとこれでいいとも思ってる」
頭と一緒に垂らした耳の裏に、漏れ出るような笑みが触れた。促される心地で重い視線を上げてみるとピリナが予想した通りの笑い顔で、サオネルがピリナの落ち込みようを見下ろしている。
「これ、って…………」
「これ」サオネルの手が、枕を握りこんでいたピリナの甲に触れる。反射的に開いた手に、花緑青の肌が滑りこんで正しく収まった。すこし肌に触れる温度は前と同じで、少し違う柔らかさを含んでピリナを捕らえる。「お前と俺で、バカして笑いあって。そのあとが喧嘩でもセックスでも、おんなじだろ」
──な、相棒。と、当たり前のように紡がれたサオネルの呼びかけひとつで、ピリナの中で分断しかけていた何かが、この先も変わることなく連綿と続いていくことの確信へと形を変えた。
「………お前、実は最高に良いヤツだよな」
「今さら。でも今のピリナの落ち込みは一生こするぜ」
「前言撤回」
「いや~泣くかと思って焦った」
「お前、本当、お前なあ」
@__graydawn
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