弱った魔獣を保護する方法
白銀の世界ばかり見ていた所為だと思っていた。
ローはパンクハザードの波止場にて、海賊と海軍が会する異質な宴を遠目に眺めていたが、頭の中はこれからの作戦のことでいっぱいだった。
けれど、目に留まった若葉色の丸い後頭部を見ていると、不思議と焦燥感が少し和らいだ。
今や大抵の海賊が知るところだろう、麦わらの一味〝海賊狩りのゾロ〟。その髪は新芽を思わせる珍しい緑色だった。
ゾロはこちらに背を向けて座っているから表情は見えないが、コートの肩がくっくっと楽しげに揺れるのは周りの海兵と話が弾んでいるからだろうか。意外だが、主人に似て人懐こいタイプなのかもしれない。
ゾロの両側の海兵がゾロを挟んで何やら会話を始めても、ゾロの樽型ジョッキに酒を注ぐ輩は後を立たない。実に機嫌良く次から次へと飲み干してしまうから、よくもまあそのピッチで酒が飲めるものだ、と半ば呆れた。
ローは肩をすくめるとスープをひと口啜る。〝黒足のサンジ〟お手製らしい。バイタルレシピと聞こえたが効果次第じゃ医者なんて用済みかもしれない。
そんな瑣末なことを思い出しながらも視界には常にゾロの姿があった。
こうも見てしまうのは白銀の世界ばかり見ていた所為……なんてバカな言い訳だと自分に呆れつつ、ローは目敏くもゾロの変化を見逃さなかった。
彼だけがまるで一時停止したようにぴたりとその動きを止めたのだ。
ジョッキを持つ手がカタカタ震え出し、それをゴツンと床板に叩きつけると雪が飛び散る。ゾロがこうべを垂れ顔を片手で覆ったのが後ろから見ていてもわかった。
「……?」
酩酊したようには思えない。チラと見えた横顔は蒼白で、ローは無意識に立ち上がっていた。医者の性分だろう。すぐにゾロもふらふらと立ち上がり、少しキョロキョロしたかと思えば倉庫の方へ歩いていく。
その足取りは重く、今にもぶっ倒れそうでローは愛刀〝鬼哭〟を手にこっそりと後を追った。
途中ルフィが文字通り飛んできて「ゾロどこ行くんだ!」と少し慌てた声で聞いたが、ゾロが「立ちしょん」と笑ってルフィの肩をポンと叩くと納得したのか「ちゃんと戻って来いよー」となぜかガキにでも言い聞かすように言って、宴へ戻って行った。
途端にゾロが胸の辺りを押さえて顔を顰める。我慢していたのだろう。
またふらふらと建物の方へ歩き始め、中へは入らず裏手に回って行った。
「畜生、完全に抜けたと思ってたのに」
ローが建物の脇からそっとゾロを覗くと、ゾロがそんな言葉と共にガッとコンクリートの壁を殴るのが見えた。怪我をするほどの強さではないがこのままでは自傷行為に及ぶのでは、と懸念するくらいにはゾロの気は動転しているように思えた。
何を考えているのかうつろな右目が壁に向かったまま一点を見つめて。
やがて、ハァ、ハァ、とだんだん呼吸が大きく引き攣るようになってくると、ローはもう黙って見ていることが出来なかった。
あれは過呼吸の兆候だろう。
大股で近付き、背後からゾロを抱きしめて〝鬼哭〟と自分の間に閉じ込めると、片方の手のひらでゾロの口を塞いだ。
「少し息を止めていろ」
「!?」
むがむがと暴れられたが今のゾロを押さえこむのは容易かった。体格では負けるが身長差にものをいわせる。ゾロは顔だけこちらに向けて睨みつけてきたが、相手がローだと気付くや少し驚きに右目を見開いた。
ややして呼吸が落ち着いてくるとバシバシとローの腕を叩いてくる。パッと両手を離してホールドアップして見せたせいか、ゾロが腹いせに攻撃を仕掛けてくることはなかった。
「てめぇ、何のつもりだ」
「呼吸は落ち着いたか?」
手首を取り、脈拍を測ってやる。やや頻脈だ。それから手の甲をゾロの首筋に当てるとそこは少し汗ばんで、じとりとしていた。
「触んな。聞いてんのはおれだ」
「過呼吸気味だったから空気を吸わせないようにしただけだ」
「はあ!? 粗治療じゃねェか!? それでも医者かよ!」
「おれは海賊だ」
「へいへい、そうでした。ちっ、さっきガキどもの治療してやったばっかの癖に……。ルフィの怪我も治してくれたんだよな、2年前」
「それより今はお前だ」
「それよりって……」
ローが許可もなくゾロの手をギュッと握るとさすがに振り払われたが、思った通りその指先は冷たく、ローは先程のゾロの症状と併せて思い当たる症例に眉根を寄せた。
逃げられないのをいいことにゾロの広い額を手のひらで撫で上げ、こめかみを伝う冷や汗を親指の腹で拭ってやる。
「発熱はしてねェな」
「さ、さっきから触りすぎじゃねェか!?」
「宴の途中からずっとお前を見てた。急に様子がおかしくなり、その症状は以前おれが診たことのある患者と酷似していた。突然の体の硬直、めまい、心拍数の上昇、発汗、そしてその手指の冷たさはこの島の状況とリンクしただろう記憶の為……。薬物依存のフラッシュバックだな? クスリをやってたのか」
「な……っ!! そこまでお見通しなのかよ! さすがはお医者さまだなァ?」
ゾロがふうんと鼻白らむ。
「感心してる場合か。それよりいいのか簡単に白状しちまって。普通は否定するもんだぞ」
「まあ昔のことだし……今の今まで忘れてたんだよ」
「忘れてた? けど薬物の種類くらいは覚えてんだろう? エスか。コークやジャックじゃねェよな」
「え、ああ、多分? ……わりぃ忘れた」
「はあ? この緑頭ン中は! 空っぽなのか!?」
思わず愛刀の柄でゴンゴンとデコを小突いてしまう。イッテェ!と目くじら立てられたが自業自得だ。
「本当に今日まで何ともなかったんだよ! それがこの島に来て、覚醒剤だの薬漬けのガキだの見ちまって……トドメはお前の言う通りさっき海兵どもと飲んでた時だ」
その時の会話を思い出したせいかゾロがまた呼吸を乱して壁に凭れた。顎が上がり、汗の粒がコートの襟から覗く首筋や胸元にぷつぷつと浮かぶ。こんな風に弱るゾロを、一味の奴らは見たことがあるのだろうか。
「全てシーザーの研究のせいだな。ひいてはアイツの……どこまでも忌々しい。おい、おれの目を見ろゾロ屋」
「……?」
この島の雪空を映したような灰色の瞳がローを見上げてきた。少し大きくなった黒い瞳孔は僅かにゆれ、デカイ態度の割に頼りないものだった。
「海兵どもが、お前の前でクスリの話をしたんだな? 恐らく売買の詳しい状況を話した筈だ。運悪く今日お前に幾つかの条件が重なったこともあり、クスリを買った時の記憶が呼び戻され体が動かなくなった。視野狭窄も起こしていただろう。そしてあるはずのない薬物の袋が見えた……違うか? 全て薬物依存の後遺症だ」
「ハァ……クソッ! 当て過ぎだバカヤロ。けど今はもう欲しいとは思ってねェ」
「わかってる。カウンセリングは受けてたのか」
「なんだそりゃ」
「受けるわけねェか……。詳しく話せ。これでも医者の端くれだ、お前に安心材料を提供してやれるかもしれねェ」
「案外おせっかいなんだな、トラ男は」
「おせっ……!?」
まさかそんな言い方をされるとは思わず二の句が継げない。断固反対したいが今はそれどころじゃない。
ローは裏口から建物の中へゾロを引っ張り込むと、適当な木箱の上に座らせた。そして自分は目の前に立ち、大太刀を抱えるように腕を組む。話せ、の無言の合図だ。
するとゾロがポツポツと打ち明け話を始めた。
ゾロがまだ海賊狩りとか魔獣とか呼ばれ出す前の無名のころ、賞金首を海軍に明け渡し報酬を貰い、酒場で一盃ひっかけていたら隣に座った男がバイヤーだったこと。
クソ気持ちいいセックスできんぜ、と白い粉の入った包みを貰ったこと。鼻から吸う方法を教えて貰い試してみると腹は減らないのに一晩中でも鍛錬が出来た。こいつは魔法の粉かと数回買って、切れた時の禁断症状でようやく中毒性に気付き、ヤクに頼って大剣豪になるつもりかよと猛省し自力で断薬したこと。
要するに薬物のヤの字も知らない少年が知識もへったくれもなくまんまとカモられた。ゾロの強さを見込んで仕事を手伝わせる目論見だったのかもしれない。裏社会じゃよくある話だった。
「以上だ。それ以来クスリには手を付けてねェ」
「そいつはお前が大金を手にしたことを初めから知ってたんだろうな」
「あー、そういやそんなこと言ってたな……死ぬ前に」
「死ぬ前?」
「ぶった斬ったからな」
ニヤリ、口角を釣り上げてローを見上げる隻眼は噂に違わぬ魔獣のそれだった。
だが再び薬物に手を染めなかったのはゾロの不屈の精神と身体機能の賜物だろう。
「ドラッグの何たるかも知らねェで、軽い気持ちで手を出したのか。バカな奴だな」
「悪かったな! その通りだよ!」
「おれがその場にいたら殴ってでも止めてやったのに……」
ギリ、と奥歯を噛み締めたらゾロがキョトンとローを見上げた。
「なんでトラ男がそんな悔しそうなんだよ」
「ゾロ屋、その男とは何度寝たんだ? 斬ったのはベッドの中でか」
「は……はあ!? どんな妄想してやがんだてめぇ! はっ倒すぞ!」
「クソ気持ちいいセックスをしたんだろうが」
「だから、気持ちよく人を斬ったんだよ……。言っとくがベッドの中じゃねェからな! おれはそういうの、よくわかんねェし……」
「へぇ、まだお手付きされてねェのか。なんならイチから教えてやろうか?」
「何を?」
「………しょうがねェから信じてやる」
何でてめぇに信じてもらわなきゃならねェんだ、とゾロはブツブツ言ったが頭をガリガリ掻いてふぅと一つ息を吐いた。
「初めて、人を殺した。賞金首だったから合法だが、本当の自分じゃねェ状態だったことを不甲斐ねェと思ってる。後悔まではしちゃいねェがな。他に何を話せばいい?」
「もう本当に欲しくはねェんだな?」
「ねェよ。あんときはバカやったなってくらいだ。これ以上は悪党に成り下がりたくなかったのに気づけば海賊だしよ。ま、ルフィがいなきゃ海賊やる理由なんてねェんだが」
「それは惚気なのか?」
「なんでだよっ!」
「悪かったな、言いたくなかっただろう。敵のおれになんざ」
「全くだ」
むすう、と口を尖らせるゾロはローが思っていたより随分と幼い。もう二度とこんな症状に陥ってほしくないと思うのは、これから同盟相手として同じ敵に立ち向かうからか、それとも――?
「依存性薬物は脳内報酬系という快感中枢を直接刺激する性質を持っている」
「ん?」
「努力のプロセスを一気に飛び越えて直接その中枢を刺激し、多幸感を体験させたり苦痛をやわらげたりできる。だから自分のなかでの価値観の序列が変化する」
「ちんぷんかんぷんだ」
「ハァ……」
「ため息をつくな」
「お前が一番大事にしているモノがあるだろう。野望でも刀でも船長でも何でもいい。おれは興味ねェから別に教えてくれなくていいが、その為に努力し、その過程で達成感を味わってさえいればこの性質を凌駕することができる。お前は既にそれができてる。だから……」
「つまり、おれはこのままでいいってことか?」
「確証をやろうか。立て」
「お、おう」
「〝ROOM〟」
唐突にローが能力を展開したからか、ゾロが刀の柄に手を掛けるとビリビリと殺気を放ってきた。想像はしていたが大した覇気だ。
「じっとしてろ、悪いようにはしない」
「……っ」
ローはゾロの目の前で〝鬼哭〟を垂直に構え、すらりと刀身を半ばまで抜く。ゾロがその研ぎ澄まされた刃に魅入られている隙にスッと真横へスライドさせた。
「〝スキャン〟」
「な、何だ? ど、どこ見てんだよ、トラ男」
「どこって……。セクハラじゃねェぞ、お前の体内を調べてる」
「せく……? そうか、ガキ共もそうやって治したのか」
「ああ。調べて切り刻んで取り除いた」
キン、とローが刀身を鞘に収めると、半透明のサークルは消滅し、しかしゾロがクッと眉間を押さえるのでローは肩を支えて顔を覗き込んだ。しゃらりと三連のピアスが擦れ合う音を初めて意識する。
「ゾロ屋? どうした?」
「妖刀か、なるほどな」
「わかるのか?」
「おれのコイツもそうだ。三代鬼徹。ちっと反発しやがったんで宥めたんだが、拗ねちまったらしい」
「へえ……面白いな」
「で、どうなんだ、おれの……」
やはり結果は気になるのか、ちょっとこわごわ聞いてくる上目遣いのゾロをうっかり可愛いなどと思う。思いがけず弱った魔獣を保護したからだろうか。
「ゾロ屋、お前いつもあんな飲み方をするのか?」
「は?」
「あんなバカみてェにガバガバ飲むのが常ならおれは医者として止めるが、安心しろ、健康体だ」
「そうか……」
ほう、と安堵したゾロにローも悔しいが満足した。
「つーか、なんで見てたんだ? おれんこと」
「…………お前の頭だけ南の島だったからだ」
「そりゃおれがアホだって言いてェのか!?」
「なんでそうなる」
「ルフィが空島でそんな歌を歌ってたような……」
「ガキの遠足か」
気まずさを誤魔化すようにローがほくそ笑んでやれば、ゾロは苦虫を噛み潰したような顔をしたが「でもだからここにきてくれたんだもんな」とか呟くのでやっぱり気まずさが勝ってしまった。
「気持ち悪くねェのか、男にジロジロ見られて」
「別に。慣れてる」
慣れてる……。慣れてる!?
やはり件のバイヤーがクスリを与えたのは金ばかりが目的ではなかったのかもしれない。
「どんな目で見られてるか、わかってて言ってんのか?」
「おうわかってるぞ。刀三本も持ってりゃ悪目立ちすんじゃねェ? ま、売られた喧嘩は全部買ったがよ、手応えなくてつまらなかったぜ」
「だろうな……」
喧嘩じゃなくてお前の体が目当てだからな……。とは言わないでやったがこの男、もしや超絶鈍感バカ野郎なのか?
「危なっかしい奴だ」
「あ?」
人はこうやって誰かから目を離せなくなっていくのだ。恩人の顔が脳裏を過ぎる。自分はあんなに優しくはないけれど、この男を放って置けない。
「つーか、おかげでまたうまい酒が飲めるよ。ありがとうな、お・医・者・さ・ま」
ゾロがまたニィと口端を上げて悪い顔で笑った。全く立ち直りが早くてこっちがつまらない。
「ちっ。不安になったらまた来い」
「行くわけねェだろ。これ以上よその船長になんか頼れるか、カッコわりぃ!」
「言うと思ったよ」
だがこの数ヶ月後、ゾロに死んだ後のことを頼まれる未来を〝よその船長〟はまだ微塵も知らない。焼き切れそうになるその恋情すらも――
「じゃあ治療費くらいは頂いとくか」
「へ?」
ローはゾロの後頭部に手を添えると間抜けに開いた唇を首尾よく奪った。当然のように舌を突っ込み甘い熱塊をぢゅっと吸って、抵抗がないのをいいことに口腔を舐め回して味わい、小さなリップ音と共に離すとおのずと至近距離で目と目がカチ合った。
そのゾロの瞳は先程と違い、ずっとずっと綺麗に澄んでいた。
「いい酒だな。どの銘柄を飲んだ?」
「え、あァ? 治療費って、この酒が欲しかったのか? あー何だったかな……海軍に持って来させたやつ……」
「酒の味見をしたと本気で思ってんだとしたら致命的に鈍いな、ゾロ屋。おれはキスしたんだが?」
「や、やっぱりそうなのかよ! おれにする理由が浮かばなかったから反応できなかったろうが! たく、変な医者だぜ……。いや海賊だったな。まぁどっちでもいい、もう終わったし。じゃあな!」
捨て台詞にしては弱々な挨拶をタラタラと残して、ゾロはプイッとそっぽを向くとローを押し退け、ずんずんと怒り肩で遠ざかって行った。
その耳が寒さではなく赤くなっているのをローは見逃さない。
なぜだろう、あらゆる者から出し抜いてやった気分になるのは──
「案外、口ほどにもねェのかもな」
この先ローも同行することをゾロはまだ知らない。さて受け入れられるか、否か。それによって今後の戦術を練ろうと思う。
◇◇◇
「おい、あいつも一緒に行くのか?」
ゾロの声が背後から聞こえた。
ほらきた、とローは思った。
「そうだ、まだ同盟のこと言ってなかった」
ゾロの仲間の声が決まり悪げに返した。
ここで振り返りゾロに説明したところで今更なにも変わらない。船長のルフィにはもう了承を取り付けてある。もし反対されたらそれはそのときだ、ゾロを言い含める自信がローにはあった。でもそれはさっきのゾロとのやり取りで多少なりとも彼の人となりを知った今だから言えること、東の魔獣と呼ばれた男が実は鈍感バカ野望で超がつく純粋男だと知ってしまったからだ。それにいざとなれば知った秘密を盾に取ればいい。
波止場ではその後、タンカーに乗せられた子供達と海軍があろうことか海賊を相手に涙で別れを惜しむ、という異質な光景が繰り広げられた。
ルフィは意も返さず笑顔で手を振っていて、アイツの神経は一体どうなっているのだろうと不思議でならないが、国に消された故郷の亡き妹や友を思うと、正しく大人に救われる子供を見るのは悪くなかった。
ローがチラとゾロを振り返ればその口元に笑み、船長の代わりに理解しているようにローには思えた。
サニー号に乗船し無事に出航したあと、ローがゾロの変化に気づいたのは誘拐したシーザーが船医のチョッパーと話をしている時だった。皆にわからない程度、顔を背けたのだ。
ローはフォアマストの根元のベンチに座っていたが、そう遠くない位置で芝生に胡座をかいているゾロに最初からこっそり注視していた。
後遺症を引き起こしたのはまだ数時間前の話である。なにがきっかけになるかも分からない。医者の性分がそうさせるのもあるが、自分しか知らないゾロの変化を見逃す気には何故かなれなかった。
ゾロがわずかに唇を引き結び眉根を寄せる。ゾロ自身もいつ爆発するかわからない爆弾を抱えている状況に苛立っていることだろう。
しかし目に見えた症状はなく、それはローの作戦に意識が集中し平常心に戻れたからだ。ローには都合の良いことに、同盟に関しても乗り気なようだった。
そのゾロが作戦会議が終わるなり一つのドアを開けてふらりと中へ入ってしまった。
何の部屋なのかローは知る由もないが、どうにもゾロの様子が気になり人目を盗んで後を追って入った。
目前に広がったのは、青い海の底だった。
「……なんだ、水槽か」
部屋の広さと同じ大きさの半円形の水槽。その手前には円柱状の柱と、そこに据え付けられたテーブルとスツール。水槽には食用だろう魚が生き生きと泳いでいる。潜水艇を家とするローはいっそ懐かしさと郷愁を覚えた。
「トラ男……っ」
「ゾロ屋!?」
ゾロの声でローの視界は幻想的な海中から水槽の真下のベンチソファに突っ伏して自分の名を呼ぶ、ゾロの存在へと一気に切り替わった。
ゾロはソファに座っていたが力なく座面に片手を着き、もう片手は長着の胸元を搔き合わせるように掴んでいる。息が忙しい。フラッシュバックの前兆かも知れない。
ローは慌てて駆け寄ると愛刀を置きゾロの上体をゆっくりと起こしてやる。隣へ座って頭を自分の肩に凭れさせ、すりすりと冷たくなった腕をさすった。
「わりぃトラ男……。もう頼らねェつったのに」
「構わねェ」
「頼みがあるんだ」
「どうした?」
「ルフィ達にバレたくねェ、協力してくれねェか」
「ああ。そのつもりだ。重要な作戦前に余計な不安分子を与える訳にはいかない」
「はは、情けねェな。トラ男の言う通りだ……。じゃあ前払いしとく」
「……?」
何のことだとローが聞く前にゾロの腕がするりとローの首に絡み、唇を寄せられキスされた。
ローの見開いた目に、長い緑色のまつ毛が震えているのが映る。
必死なのだ、ゾロは。
仲間に、船長に迷惑を掛けたくないから。そんなことを考えていたせいですぐに離れてしまった唇にローは小さく舌を打った。
「これでいいか? ハァ…ハァ…」
「足りねェよ」
ローは欲の赴くままゾロの腰と首の裏に手を回して深いくちづけをかました。抵抗するならすればいい。ゾロがローの襟首のファーをぶちっと千切ったが、気にも留めずに歯列を割って舌をぬるりと突っ込んだ。
「んっ……? は、ん……んんっ」
ゾロが二度三度といやいやするも気が済むまで許してやらない。過呼吸を起こす隙も一切与えない。ローは濃厚なキスをしかけながら徐々にゾロをソファへ押し倒していった。
すっかり覆い被さってしまったローは征服欲も満たされ、そのやわい舌を吸う。この甘さをまたこんなに早く味わえるとは、飛んで火に入るなんとやらだ。飽きずに上顎を舐めてはまた舌を絡め、大人しくしているゾロをローは哀れな奴だな、と思った。ゾロは自分から頼んだ手前、強く出られないに違いない。
しかしドンドンと背中を叩かれ、さすがに抜刀を覚悟したが負ける気はない。仕方なくチュと唇を離してまずは目線を合わせると、ゾロの潤んだ右眼にまさか泣かせてしまったのかと内心焦ったが、何故だかゾロはぱあっと笑顔になったのだった。
…………はい?
「なに笑ってんだ……。襲われたんだぞ」
「治ったんだよ! 苦しいのが!」
「はあ。……は?」
不本意だが間抜けな面になっていることだろう。何が言いたいのかさっぱりわからない。
「こりゃ一体どんな治療法なんだ!?」
「治療じゃねェ、キスしただけだ」
「キ……!? あ、そうか、先におれがしたんだもんな……。けどフラッシュバックも起こさなかったんだぜ!? 助かった!」
単純に嬉しそうだ。にぱにぱと笑っているのだ。それは何よりなのだが、こいつ、本当に口ほどにもねェかも……。
「記憶の上塗りがいいのかもな」
「記憶の……上塗り? どういうことだ」
「パンクハザードで後遺症が収まった後、おれがキスしただろう。あれを今お前は自分で再現したんだ。そして症状に勝った」
「ほお。で?」
「後遺症を忘れるほどおれとのキスはヨカッタのか?」
意地悪くニヤと口角を上げ笑んでやると案の定ゾロはムッスーっと拗ねた。その顔は年相応でかわいいと思う。
「まあ……気持ちいいとは思ったけどよ」
「……だから素直に暴露すんな」
調子が狂う。パンクハザードから想定外続きである。
しかしローはまた姑息な手段を思い付き、だがこれはゾロの為にもなるかもしれないと思った。そう時間は残されていない、明日の15時過ぎにはドレスローザに着くだろうとナミからは聞いていた。
「ゾロ屋、その記憶の上塗りの件を含めて提案だが」
「ん?」
「クスリに反応しなくなるほどの記憶がほしくはねェか」
「そんなもんあるのか!? あるなら何でもいい、何でもするからくれよ!」
「おれに抱かれればいい」
「…………???」
「お前、そういうことはよくわからねェと言ったよな。なら効果はある筈だ」
我ながら医者からぬバカげた治療法を提案してるな、という自覚はあった。これでノってきたらコイツの方が大バカだ。
「イチから教えてくれるっつったのはそういうことだったんだな……!! わかった! ノった!」
ノって来やがった。やっぱりただの鈍感バカ野郎の超純粋男だった。
「やっぱ口ほどにもねェな」
「あ?」
「今夜、迎えに行く」
と告げればなんだそりゃとゾロは怪訝な顔をしたものの、ローは既にこの衝動を抑える気はなかった。大事なものを失ってからのローは、奪うだけの日々を過ごしてきたのだから。
晩飯の最中のことだった。
一つ席を挟んだ隣でゾロの食事をする手がギクリと止まった。
コックがキッチンで粉やら薬味やらと、それっぽい内容をチョッパーと喋っていただけだったというのに。それはローにだけわかるゾロの後遺症のサインだった。
ローはカトラリーを置くとゆっくりと立ち上がる。向かいでテーブルを囲む女性ふたりが怪訝そうにこっちを見たが、特に気にするでもなくゾロの真横に立つ。
それにすら気づいていないゾロに少しヤバイなと小さく舌を打ったローは、テーブルに片手を着き、ゾロの顔を覗き込むように身を屈めるとキスをするつもりで唇を近づけた。
賑やかだった食堂がさすがにしん……として、キス目前のローをゾロが「おい!」と肩を押して拒んだ。ゾロが顔を顰めているのを見た麦わらのご一行は、ナミの「ちょっとトラ男!?」と棘のある声で我に返った。
「え、今キスした!?」
サンジがゾロの後ろのキッチンからは決定的場面は見えなかったからか、カウンターから身を乗り出して聞いてきた。
「私からはしたように見えたわ」
何故かニッコリとロビン。
ロビンの隣のナミは「ムリムリムリ」と首を横に振り、そのまた隣のブルックは「ヨホー!お二人さんいつの間にそのような仲に!?」となぜか歌でも歌いそうなテンションである。
チョッパーとウソップは「食いもんしか見てなかった!」と訴える。こうなると、ゾロ側のお誕生席のルフィだけが目撃できる位置にいたことになるわけだが、
「なんかあったのかァ?」
残念ながらルフィはもちろんルフィなので、今の異様な空気にすら気付いていなかった。おめでたい男だ。
「そんな仲もクソも、そんな仲じゃねェから!」
真っ向否定したのはもちろんゾロである。
それはただの事実だったがローはゾロの横で顎髭をさすりニタニタして否定も肯定もしてやらない。
「じゃあなんでキスしたのよ!」
ナミの中ではもう「した」ことになっている。
「お付き合いしてるのかしら? でも大人のお付き合いの可能性もあるわね」
ロビンはやっぱり微笑を絶やさず相変わらず想像がエグい。
「この数時間で? クソまりもチョロすぎだろ。チョロノア・チョロに改名しやがれ」
「アーン!? 違ェつってんだろうが!」
「じゃあなんでローがてめぇにキスしたんだよ! あーあれだろ、できたてカップルが食べカス取るふりしてチューするやつ! お熱いねえ〜」
「ちっとも熱くねェ!! くそ、アッタマきた。表出やがれエロコック!!」
「やだよめんどくさい」
「はー!?」
一触即発の両翼だがラブコックは女性陣へのご給仕最優先なので。
そもそもの原因のローは、何事もなかったように席につき食事を再開した。ゾロはローに助け舟を乞うわけにもいかずに苦湯を飲むしかなかった。
ところが、とっくに期待していなかった人物からゾロへ救いの手は伸ばされた。ルフィである。因みに伸ばしたのはゴムゴムの手にあらず。
「あ、トラ男はゾロにチューしてねェぞ? くっつきそうだったけどゾロが押し返した。な、ゾロ!」
「その通りだ! 見てたんならさっさと助けろよルフィ!」
「わりぃわりぃ。チューだと思わなかった!」
他に何があんだ、とルフィが周りにツッコまれているのを他所目にゾロはローをギリギリ睨みつけ、ローの腕を引っ張って「誰もついてくんな」と仲間に告げて二人で食堂を出た。
ドアを乱暴に閉め、ゾロがローの胸ぐらを掴むと脇の壁にダン!と力任せに押し付ける。
ローは上目遣いに睨み上げて来るゾロの蒼白な顔に愉悦すら感じ、ちょっとだけ背伸びをしたゾロにくちづけられ、それを受け入れてやりながらぎゅっと腰を抱いた。
ロロノア・ゾロが自分に依存する様は、単純に気分が良かった。
前半 了
ここからはエロなのでそのうち支部にまとめてあげますスイマセン;
噂の(?)notesを試してみたくてメモ帳から掘り起こしてきました。
文字の大きさも細かく変えられるし面白い!でもどのくらいが読みやすいでしょうか??
感想あったら下さいよろしくお願いします🙇♀️
powered by 小説執筆ツール「notes」