灯の守り手
「特務司書が決まったぞ」
ネコからその報せを受け取ったのは、まだ残暑厳しい9月の朝のことだった。
「おお……やっと決まったか。それで、どんな人物だ?」
「資料を持ち帰ってきた。確認しろ」
机の上に無造作に放られた封筒を開けて、書類の束を取り出す。軽く目を通して──館長の表情が、険しくなった。
「……政府は、正気なのか?」
「他に適任者がいニャイとくれば、致し方あるまい」
「しかし、15歳の少年とは……高校生……いや、まだ中学生なのか?」
「中学3年生、今は出身地で学校に通っている。着任は本人の卒業を待って、来年4月になる予定だ」
「……決定ということであれば、異を唱える余地はないな。彼の親御さんとは会えるのか? 直接説明をしなければならんだろう」
館長がそう言うと、ネコは一瞬沈黙した。
「……親はいるそうだが。本人は今、施設に入っているということだった」
「、……そうか。では、彼の今の保護者となっている人に連絡を──」
「その『保護者』が、この内定者の推薦人なのだ。────というアルケミストを知っているか? 今は引退して、第一線を退いたそうだが」
ネコが言及した人物とは、館長も一度だけ面識があった。見識に富む穏やかな老紳士、という印象だった。
「かつて我が国の錬金術研究に少なからず貢献したそのアルケミストは、現在はとある教会で神父をしているらしい。もともとは、そちらが本業だったと聞いている」
「……そうか」
館長は何か考え込んでいる様子だった。ややあって顔を上げたその表情は、いつもの闊達さを取り戻していた。
「逆に考えよう。──さんほどの老練なアルケミストが推薦してきたのだから、よほど優秀か、将来有望な少年に違いない。当初の日程よりも着任は遅いが、準備期間に余裕ができたと思えばいい。少しでも、彼の不安を取り除けるようにフォローしてやろう」
「……そうだな」
❀ ❀ ❀
余裕ができた、と思っていたのは最初だけで、年末やら期末やらの業務で怒涛の日々を過ごしているうち、あっという間に特務司書の着任日がやってきた。
正門の前に1台の車が停まるのが、館長とネコの待つ正面扉の前からも見えた。特務司書となる少年が車でやってきたことに、館長は安堵の息を落とす。当初、政府は単身で帝國図書館を訪ねるよう、本人へ指示するつもりだったらしい。この国の文学を──ひいてはこの国の魂を背負うという重責を担う者なのだから、こちらから迎えをよこすべき、と館長が時間をかけて説き伏せ、やっと翻意させることができたのだ。
助手席から官吏が降りてきて後部ドアを開けると、少年が車から降りてきた。官吏の介助を受けながら正門をくぐり、近付いてくる。
館長が官吏に目配せすると、官吏は少年に何か耳打ちした。少年は小さく頷き、官吏の肘に置いていた手を離して鞄を受け取る。官吏が引き返していくのを見送り、館長は少年に近付いた。
まだ幼さが残るあどけない顔立ちで、邪気を感じさせない純真そうな瞳が、いかにも善良な少年といった風情を醸し出していた。同年代の少年よりも、小柄で細身なこともそれに拍車をかけている。清潔感のあるシャツとシングルタイプのブレザー姿で、鳥打帽を被っている。茶色の|遮光眼鏡《しゃこうがんきょう》を掛け、右手には白杖を持っていた──資料にあった通り、目に難を抱えているらしい。
「君が、新任の特務司書だな」
「……はじめまして。都竹和仁です」
緊張しているのか少し声が硬いように聞こえるが、物腰が柔らかく礼儀正しい、というのが第一印象だった。
「長旅ご苦労だった。疲れているかもしれないが、まずはひと通り説明をさせてほしい」
「はい。よろしくお願いします」
和仁は穏やかな声で答えた。正面扉を開けてから、和仁の手を肘に触れさせる。この日のために、介助の方法について研修も受けたのだ。
エントランスの大階段を上がって開架室への扉を開けると、空気が変わったことを感じたのか、和仁が息を呑む気配がした。開架室は地下1階から地上2階まで吹き抜けになっていることを説明すると、「そんなに広いんですか?」と和仁はさらに驚いたようだった。その反応に、歳相応の姿を垣間見て、館長は笑う。
「さて、では改めて──帝國図書館へようこそ。よく来てくれたな、同胞よ!」
館長が和仁の手を取って握手すると、和仁もはにかんだように笑って応じた。
彼こそは、希望である。
彼こそが、未来である。
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