プレゼントはトランプ兵 2
騒がしかったパーティも、ボンボン・ルセットの閉店間際には随分と静かになっていた。
教員達に促されて店を出たトレイは、他のハーツラビュル生と一緒に帰ろうと首を巡らせたところで、レオナに声をかけられた。
「トレイ」
借りた衣装を脱いだレオナはすっかりと楽な格好になっている。化粧も普段のそれに変わっており、華やかさはレオナ本人が生来持つものだけになっていた。その姿を見たトレイは少し残念に思ったが、同時に安心もした。美しい男というのは、相対するだけで緊張する。
「レオナも帰るのか?」とトレイが聞けば「少し付き合え」と返された。
「そこの店、地下がバーになってるんだよ」
レオナが指差したのはボンボン・ルセットの隣の区画の店だった。黎明の国では十八歳から飲酒が許可されており、学園側も問題を起こさない限り個人の裁量に任せている。寮の門限についてはリドルとケイトに連絡すればまだ申請が間に合う時間だ。しかしトレイは制服でパーティに来ており、さらにはバーに行った経験もない。
躊躇っていると、レオナがマジカルペンを一振りした。何を。とトレイが思った瞬間に、トレイの服が制服から見慣れぬものへと変わっていた。
驚くほど肌触りの良い服は、少しばかり腰回りが緩いがそれ以外はピッタリだ。尻尾の有無があるので思わず背後に手をやってしまったが、尻尾穴のある場所のチャックは閉じている。わずかにトレイが使っているのと同じ洗剤の匂いがした。
「レオナの服か?」とトレイが目を丸くして聞けば、レオナはなんでもないことのように頷いた。
「それならバーにも入れるだろ」
傲慢な笑みだった。しかしトレイはそれを見て「仕方がないな」と言ってしまった。レオナの身勝手さと、どこか許しを請うような態度は表裏一体だった。トレイがレオナの行動を許すと思われていたのは癪だったが、同時に彼を甘やかしたい気持ちは存在し、またレオナに誘われたという浮つく気持ちは抑えられなかった。
「門限があるから、リドルとケイトに連絡だけはさせてくれ」
そう言って二人に短いメッセージを入れた後、トレイはレオナの後に従った。
地下にあるバーはまだ早い時間だからか、他に客はいなかった。カウンター席と二名用のテーブル席が五卓あるだけの狭い店内だが、落ち着いた音楽が流れる店の中は清潔感があり、カウンター越しに見える道具は良く手入れされていた。マスターの手のひらは分厚く、おそらく一人だけの従業員は二人を見てわずかな笑みを浮かべてみせる。
ああ、良い店だ。と直感的にトレイは思った。
レオナに促されるまま、トレイはテーブル席に座った。薔薇の王国はアルコール文化も発展しているが、家族と楽しむのが一般的だ。寮生活であれば飲酒する機会は多くなく、ケイトや他の同級生達と飲んだことはあるものの、どちらかといえばトレイは甘党だ。手に入りやすいビールなどの発泡酒はあまり口に合わず、であれば、お菓子作りに使うアルコール類はメーカーまでしっかり頭に入っているのに、こんな時に何を頼めば良いかわからない。
トレイの困惑がわかったのだろう。レオナが「甘い酒の方が良いか?」と助け舟を出してくれた。
「甘いお酒があるのか?」
「ここのオーナーがボンボン・ルセットと同じでな。好事家らしく、各種リキュールやカクテル、それに合わせる甘味類だけじゃなく、デザートビールなんかも取り扱ってるんだと」
「へえ」
デザート。の言葉にトレイの好奇心がそそられる。トレイとてバニラアイスやチョコレートの中にはウィスキーやリキュールと合わせるために作られたものがあると聞いたことがある。しかしデザートビールは聞いたことがない。
以前ケイト達と飲んだチェリービールを思い出し、ああしたジュースのようなものだろうか。と思っていれば、口の端を上げたレオナがさっさと注文を済ませてしまった。
さほど間をおかずしてトレイの前に運ばれてきたのは、どろりとした、どう見ても果物をミキサーにかけたままのスムージーだ。小さく乾杯をした後、「これか?」とトレイはグラスの中身を示した。レオナは真っ黒なビールを飲みながら「ああ」と言った。
「スムージーサワーエールだと。甘い酒は興味がないから、俺も初めて見たがな」
「え、ええ……」
大丈夫なのだろうか? とトレイは思ったが、レオナがせっかく注文してくれたものだ。レオナも飲んだことがないというのは気になったが、恐る恐る口に近づけてみれば、マンゴーとパッションフルーツの良い香りがする。パーティで作るお菓子のフレーバーとしてもお馴染みの香りに警戒心が薄れ、そっと口に含めば果物の甘さが口いっぱいに広がった。
「美味しい……!」
強く感じるのはやはりマンゴーとパッションフルーツだが、それを取りなすようにココナッツが使われている。濃厚な果実の甘さの後に続くのはアルコール特有の苦味で、しかしそれが嫌味なく、むしろ少し重くなりそうな甘さを引き締めているのだから面白い。
「水も飲んどけよ」
思わず二口、三口と続けて飲んでしまったトレイだが、レオナに水のコップを示されてハッとする。飲みやすくともアルコールであれば、チェイサーを挟まなければすぐに酔いが回ってしまう。飲みなれているわけではないトレイは、おとなしくレオナの指摘に従った。
そうこうしているうちにソーセージやチーズ、そしてパンが運ばれてきて、机の上が華やかになる。
「甘い酒なら塩気の強いものよりパンの方が良いだろ」
レオナの言葉に頷いて、トレイはパンを手に取った。硬く酸味のあるパンは、これだけでも美味しい。
「レオナは何を飲んでるんだ?」
トレイはソーセージを摘むレオナに問いかけた。すでに少しばかり酔いが回っている自覚はあった。さらには己好みのエールに気を良くしていて、バーに入るのを躊躇していた時のアルコールへの忌避感はもうほとんどなく、他のお酒も味わってみたいと思い始めていた。
レオナはトレイの問いに「チョコレートスタウト」と答えた。
「チョコレート……。甘いのか?」
トレイの問いに、レオナはニヤリと笑う。どこか面白がるような笑みだった。
「飲んでみるか?」
「良いのか?」
「ああ」
普段のトレイならば、レオナの笑みに少しばかり警戒をしてみせただろう。しかし今のトレイはアルコールの力だけではない理由で、すっかりと警戒心が薄れていた。
己の前に置かれたグラスを手にし、トレイは真っ黒なビールに口を付けた。
その瞬間だった。
カカオの苦味がトレイの舌を刺激した。
「に、」
苦い。と、トレイは目をまんまるにして、机にグラスを置いた。吐き出すことはしなかった。しかしチョコレートという言葉にてっきり甘いものだと思っていたので、トレイの脳内をクエスチョンマークが駆け巡る。
そんなトレイの姿を見て、レオナが声を上げて笑い出した。心底おかしいとでも言うような笑い声だった。あるいはレオナもアルコールが回っていて、いつもより素直になっているのかもしれなかった。普段の彼にはない幼さが覗いている。
「一言言ってくれれば良かっただろ!」
しかしそんなことには気が付けないトレイがレオナを睨みつければ、レオナはいまだ笑いながらも「トレイ坊ちゃんがどんな反応をするかと思ってな」と言った。
「感想は?」
「……カカオの香りがすごかったよ。しかしビターチョコなんて目じゃないな。こういう味が好きなのか?」
「合わせるものによるが、今日はケーキにタルト、それにゼリーや果物も、散々甘いものを食べたからな」
「なるほど……」
確かに、いままで見たことのないほど甘いものを食べていたレオナだ。マスターシェフの授業に審査員として参加していた時でさえ、あれほど食べてはいなかった。であれば今日はもう、甘味のあるものは避けたかったのだろう。
トレイはレオナが、サバナクロー寮生やマジカルシフト部の後輩、あるいは監督生達に勧められるまま、甘味を口にしていた姿を思い出す。
その姿は、レオナに近寄り難い気持ちをトレイにもたらした。
なにせ、少しばかり羨ましくなってしまったのだ。
「レオナがあれだけ甘いものを食べてる姿は新鮮だったな。俺も、どうせならケーキを作って持ってくれば良かった」
アルコールのおかげか口からするりと滑り落ちたトレイの言葉に、レオナは眉根を寄せた。
「本気で言ってんのか、てめえ」
「はは。気を悪くしたならすまないな。けど、持ってるレパートリー的に、俺はどちらかといえば甘いものの方が得意なんだ。どうせなら美味しいものをいっぱい食べて欲しいだろ?」
それに。とトレイは言った。
「誕生日といえば、ケーキだから」
パイとは形は似ているが、全く違うもの。分かりやすく祝いの気持ちが込められたもの。
「俺だって、お前の誕生日をもっとちゃんと祝いたくなったんだよ」
前に焼いた肉の方が良いってことも言われたしな。とトレイが付け足せば、レオナは眉間に皺を寄せたまま。チョコレートスタウトの残りを飲み干した。
「……誕生日なんて理由がなくとも、お前が用意するなら『まんまる』にならない範囲で味わってやるんだがな」
まんまる。の言葉にトレイは首をすくめた。トレイの欲望のひとつが他者へ自分の作ったお菓子を与えることだった。マレウスのユニーク魔法の中で、トレイはハーツラビュル寮の生地達を、まんまるにするほどお菓子を作り、食べさせた。
夢から覚めた今は、その光景を思い出すとゾッとする。
けれど、あの夢を知っても、トレイの欲を笑わなかったのがレオナだった。
レオナは言った。
「生まれた時から慣れ親しんだ味も、生来の味覚も変えようがなければ、俺は一生焼いた肉の方を旨く感じるだろうな。おまけに俺の中には満たされない飢えと渇きがある。何を食べても、何を飲んでも……食べ物以外でも、手の内にあるものではなく、他の何かを求め続ける。他者に犠牲を強いてもだ」
だから、あんな夢を見た。とレオナは言った。トレイにとって、それは酷く辛いことのように思われた。衝動は絶えず、満たされない。
マレウスのユニーク魔法で見た夢は、イデアから招待状をもらった者全員に共有されている。だからトレイはレオナの夢を知っている。規模は全く違ったが、お菓子を作り続けていたトレイにも、同じような衝動はあった。
「……少しは、満たしてやれれば良いんだけどな」
アルコールで緩んだトレイの口から、自然とその言葉は零れ落ちた。
本心だった。
トレイの言葉に、レオナは笑った。
「無理だろうな。魂の本質ってのは、そうそう変わらない」
ただ、そうだなあ。とレオナは言った。
「満たされないでも、最近は、どんどん俺好みになっていくお前のミートパイを楽しみにしていたところだ」
レオナの言葉に、トレイはパチリと目を瞬かせた。
今更、トレイとレオナに遠慮はない。試作品だと言って、トレイは何度もレオナにミートパイを食べさせた。そして彼の好みの味を探っていた。
今思えばあからさまな行為だった。
トランプ兵の役割として、ハートの女王へ捧げるお菓子を作っていたわけではない。
トレイ・クローバーとして、レオナ・キングスカラーへ捧げるためのものを、ずっと作り続けていた。
なあ、トレイ。と囁くようにレオナは言った。
「お前のことも食べたいと言ったら、どうする?」
魔法を使って他の人間には聞こえないよう細工された言葉に、トレイは僅かに間を置いた後、サッと顔を赤くした。
もはや答えを告げているようなものだった。
笑い声を上げたレオナに、トレイはせめてとか細い声で「なんで食べたいのか言われてない」と言った。
ささやかな抵抗ではあったが、レオナは楽しそうに答えを口にした。
「好きだからだ。お前のミートパイも、お前も」
その言葉に、プレゼントが自分だなんて、あまりにもベタじゃないか。とトレイは思ったが、それ以上の抵抗はしなかった。
する必要がなかったのだ。
トレイは真っ赤になった顔でレオナを見た。中身を飲み干してしまったグラスを掴んでいたレオナの手に触れれば、レオナがグラスを置いた。空になった彼の手を、トレイは強く握りしめた。
そして「いいよ」とトレイは言った。レオナがこれからも、飢え、乾き続けることは知っていて、それでも、口にする言葉は変わらなかった。
「俺も、お前のことが好きだから」
お前に食べられたい。
と、そう告げたトランプ兵は、その夜、百獣の王に我が身ひとつを差し出した。
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