やぶらこうじのぶらこうじ


 そういえば姫鶴から小豆との結婚報告を受けたのも電話口でのことだった。あのときも平日の夜だった。姫鶴はマイペースなようでいて(実際我が道を行くタイプだが)、電話を寄越すときは日光の手が空いている時間を選んでくる。ちなみに今回はスマホの充電を始めた瞬間で、日光は数分前に挿入したケーブルを引っこ抜いて通話に出た。
『おれ、結婚する』
奇しくも報告は一言一句小豆のときと同じだった。
「あの男とは離婚したのですか?」
『ううん、もうひとりパートナーができんの』
日光はひと呼吸ぶん間を置いて「ポリガミーですか?」と尋ねた。
『日光くん、難しい言葉知ってんね』
「社会学部卒ですので」
『関係あんの?』
「授業でやりました」
『そっかぁ……』
そうなのだ。
「それで、相手はどなたです」
『はとこ』
「道誉ですか?」
『うぇ、考えただけで無理。おれたち、新しくはとこができたじゃん』
姫鶴は日光の父方のいとこだ。なので姫鶴のはとこは日光のはとこでもある。
「山鳥毛とかいう……」
『ひとのパートナー捕まえて、とかいうってやめてくんない?』
「おれはまだお会いしたことがないので。あの男は納得しているんですか?」
『あつき? おれとあつきで口説いて、あのひとに来てもらったの』
その言葉には驚いた。なんとなく姫鶴が山鳥毛に惚れて小豆が了承した形だと思っていた。
「どのような方なんですか」
『ん? おれの大切なひと』
「そういうことではなく」
『突っ込むじゃん』
「俺の親戚でもあるんですよ。……分かりました。その方の連絡先を教えてください」
『は? なんで?』
「直接会ってどのような方か確かめます」
元々、会っておくつもりだったのだ。どこの馬の骨ともつかぬ(いや、血筋は分かっているのか)男が新しく一家に加わるかもしれないと言うのだ。どういう奴か確かめておきたい。
 姫鶴はむっつりと黙り込んでいたが、その重々しい沈黙を、だからと言って日光は一顧だにしなかった。姫鶴は黙している。ただそれだけのことである。
『しばらくは放っておいてくんない?』
「囲うおつもりですか?」
姫鶴にもそういう趣味があったとは意外だった。
『ちっげぇーしぃ。けじめはつけっけどお盆でいっかなって。どうせ岡山行くし』
「今は五月に入ったばかりなのですが」
仮にも結婚したことをそこまで伏せておくのはどうなのだろうか。本当に結婚したのか? 籍は?
「そもそも結婚というのはどういう……」
『一番風当たりが強くなんのは、あのひとだからさ。色々言われっだろうし。おれもあつきも、今はそっとしておこうって話してる』
日光の疑問は完全に無視されたが、ここはひとまず捨て置いた。まあ事情もあるだろう。
「御前とはお会いになったのですか?」
『あのひとはこの前顔合わせしてきた。言っとくけど、うちでおれたちのこと話したの日光くんだけだから』
「理由をうかがっても?」
『口固いじゃん』
「黙ってはおきますが……」
ならばこそ、なおさら山鳥毛という人間が気になった。姫鶴もその辺りの心情を分かってはくれているらしく、しばしの沈黙ののち、妥協点を提案したのは彼の方だった。
『んー、あつきとあのひととも相談して、どっかでお昼でも食べよ』
「構いません」
『また連絡する』
「ええ。……姫、俺はうちに相応しくないと思えば反対しますよ」
『言うじゃん』
姫鶴は小さく笑って通話を切った。
 ひとりになってみてようやく、じわじわと驚きがやってきた。日光の知る限り、最も家庭的なカップルが小豆と姫鶴だった。子供以外にあの家に新たなメンバーが加わるとは思っていなかった。
 山鳥毛とはどんな男なのだろう。知っているのは日光のはとこで、それも先代の直系の孫だということだった。日光は生まれる前なので詳細は知らないが、先代の歳の離れた弟である御前と山鳥毛の父親とで後継争いになり、敗れた息子の方が出て行ったらしい。御前に子供はいないから、山鳥毛の登場は少なからず一族に波紋を起こすだろう。
 充電を再開しながら、山鳥毛のことを考える。山鳥毛の顔は知らないが、出て行った父親らしき写真は日光も見たことがあった。金髪の華奢な青年で、オメガだったと聞いている。そしておそらく、邪推かもしれないが、山鳥毛はオメガだ。そういうことを考えるのは好きではないが、それでも姫鶴の口振りから日光は確信していた。風当たりが強いというのには「そういうこと」も含まれるのだろう。
 つらつら考え事をしながら就寝の準備をしていると会食の日程が送られてきた。随分話が早い。日光の予定もあるのでひと月後に落ち着いた。
 約束は取り付けたものの、それでも日光はどうにも落ち着かなかった。姫鶴も小豆も山鳥毛を大切にしている。ふたりが情に厚いことは長い付き合いの日光も知っているのでおかしくはないが、だからこそ四人で会うのでは物足りなかった。山鳥毛というその人そのものを日光は見定めたかった。気分を害させることは百も承知で、人を使って山鳥毛を調べさせた。

 東京駅で仕事帰りの山鳥毛を待つ間、日光はなぜここまでするのだろうかと彼には珍しく自嘲した。基本的に後悔を知らない男なので本当に珍しいことだ。何しろこんな方法で人に会いに行くのは日光も初めてのことだったし、騙し討ちのような方法も日光の好むところではない。そうは言ってもも仕方がないので、山鳥毛の勤務先から一番近い改札口に陣取り、見逃さないように注意深く辺りを見回していた。長丁場になるだろうから、暗くなっても寒くはない季節なのはありがたい。ないとは思うがもし山鳥毛に通報されたら、まあそのときは日光は大人しく連行されるつもりだった。調べられて山鳥毛も良い気分はしないし、もちろん烈火の如く姫鶴が怒り散らすだろう。だがそれよりも日光はいま、小豆の逆鱗に触れつつあることに奇妙な感慨を覚えていた。
 日光の小豆との付き合い自体は随分長い。幼馴染と呼んでも差し支えないだろう。とはいえ一族の集まりではまとめて子供同士で集められるので顔見知りではあったが、会うのは一年に一度か二度で喧嘩をしたこともないが殊更仲が良かったこともなかった。いわゆる普通の親戚だった。ふたりきりになったこともないし、今だってふたりきりになったとして小豆と何を話せばいいのか皆目見当がつかない。向こうもそう思っているのではないだろうか。
 日光の思い出の中の小豆は常に小さい子供たちの世話をしていた。息を吸うように庇護し守ることを当然のこととしている少年で、それは長じてのちも変わらなかった。日光も弟分を大切にしているが、それは弟分であるからで、小豆のそれはもっと魂に染みついたもののように思えた。いとけない者はみな庇護するものと思っていそうだ。だから姫鶴と結婚したときは驚いたものだった。小豆はオメガを選ぶと思っていた。彼の性格はそうせずにはいられないだろうと考えていた。
 十七時から待ち始めたものの、せめてもの礼儀で勤務先と見目しか調べなかったので、山鳥毛が何時に現れるかは分からなかった。待ち始めた頃はてんでばらばらだった人の波も、今や東京駅に吸い込まれる方向に変わっていた。もし残業で遅いようなら、明日も張り込む羽目になるかもしれない。その覚悟を決めてすぐに、山鳥毛が現れた。整った顔立ちの美丈夫だ。写真で見た印象そのままの男だった。
「失礼」
「何か?」
突然声を掛けた日光に山鳥毛は不思議そうな顔をした。不審な顔ひとつせず柔和に応対するのは、品が良いのか単に人が良いのかどちらなのだろう。
「一文字の、日光と申します」
名刺を取り出すと山鳥毛は何か合点がいったような表情で、自身の名刺も取り出した。
「ああ、あなたが。話は姫鶴から聞いています。私とはまたいとこになるのかな?」
「そうです。少しお時間よろしいでしょうか」
山鳥毛は片眉を上げて、家人に連絡しても良いか尋ねた。もちろん否やはないし、自分の名前も出すよう伝えた。
「内密にしなくていいのか?」
「そこまでそちらに負担をかけるつもりはありません」
尋ねられたのは余裕の表れなのだろうか。しかし山鳥毛は妙に楽しそうで、日光はまた個性の強い親戚が現れたなと思った。
 山鳥毛が家に連絡している間(夕飯に遅れる旨を謝っていた)、日光のスマートフォンも震え出した。案の定、姫鶴だった。
「もしもし」
『何考えてんの?』
こんなに怒気の滲んだ姫鶴の声を聞くのは初めてかもしれない。
「すみません、調べました」
『そうじゃな』
「すぐに返します」
『おい! てめ』
通話を切り、電源も落とした。
 先に話を終えたらしい山鳥毛が日光を見つめていた。
「お待たせしました。お時間は取らせません」
山鳥毛は笑って首を振る。そういうわけで近くのカフェに入った。
 山鳥毛はアメリカン、日光はカフェオレを頼んだ。
「君の話は聞いている。武骨だが生真面目な良い男だと」
それを言ったのは小豆だろう。姫鶴はそういう言い方はしない。身内に関してはあまり素直でないとも言う。
「先に、人を使ってあなたを調べたことを謝ります」
「調べたのか」
「はい」
「どこまで?」
「勤務先と、顔写真を」
「それだけか?」
「ええ」
「……他には何も?」
「直接お会いするのが目的でしたから」
「いつ出てくるかも分からないのにか」
「21時まではあそこで待つつもりでした」
「本当に……いや、何でもない……」
山鳥毛の目が楽しそうに細められた。
「資産家と縁づいたら、もっと陰惨な事件が起こると思っていた。昔のことで縁を切るよう迫られるとか。もっと根掘り葉掘り探られるであるとか」
「ドラマのようなことは滅多に起こりませんよ」
「せっかく見たサスペンスが無駄になったな」
山鳥毛は爽やかな笑みを浮かべた。人好きのする笑顔だ。どちらかと言えば小豆に似ている男だと日光は結論づけた。彼らの柔和さは自信の裏返しであるし、武器でもある。
「それで、私の何が知りたいのだろうか」
テーブルの上で手を組み、日光を見つめる。微笑は柔らかい。真意を読ませない笑みだ。どうやら日光のいとこは腹芸の上手い男が好きらしい。どんな趣味だ。
 姫鶴の趣味はともかく、別に日光は山鳥毛の学歴だとか職業だとか性別だとか、調べて分かるような部分には興味はなかった。もっと山鳥毛の人となりの本質が知りたかった。人格を確かめたかった。腹の底が読めようが読めなかろうが、それ以上に大切なものなどないだろう。だが、それを見極められるシンプルな問いなど存在するだろうか。結局、当たり障りのないことを尋ねていた。
「故郷はどちらですか」
「育ったのは新潟だ。君は?」
「福岡です」
「日本海側か……」
「あまり雪は降りません」
「うらやましいな。嫌というほど降った」
山鳥毛の気配が緩んだ。
「どうして、彼らを選んだのか聞かせてもらっても?」
知らず口調が砕けたものに変わっていた。アメリカンに伸びていた手が止まった。
「……選んだ、そうだな、確かに選んだのだが、気がついたらそうなっていたんだ。あのふたりに責任転嫁するつもりもないのだがね」
「姫鶴と小豆が口説いたと聞いたが」
「ああ、あれは、タイミングの問題だ。惹かれあっていたんだ。彼らが口火を切ってくれただけだ」
「流された訳ではないと」
「そこまでぼんやりしているつもりはないさ」
少し山鳥毛を見直した。話で聞く以上にしっかりした男のようだった。姫鶴がああ言うから、もっと神経の細い人間を想像していた。
「色々言われることもあるだろう」
「それは君の一族のことか?」
「そこはあなたの立ち居振る舞い次第だ」
山鳥毛は笑ってカップに口を付けた。
「優先順位がはっきりしている方が生きやすい。そうは思わないか? 私は三人でいることを決断してからの方が、はるかに息がしやすくなった」
「随分惚気る……」
「これでも新婚なものでね。他に何かあるだろうか。後ろ暗いことは何もないつもりだが……」
今や姫鶴の話から聞いていた印象は塗り変わっていた。これが風当たりの強さを気にするタマだろうか。ゆっくりとかぶりを振った。
「あなたがどういうつもりなのか知りたかった。覚悟があるのか」
「覚悟……」
「俺のいとこたちの愛情にただ乗りするような奴なら、俺はあなたが許せなかった」
山鳥毛は少しの間考えてから、口を開いた。
「……これは君の一族では普通のことなのか? 私の友人たちはいとことはそれほど親密ではなかったように思う。だが君はいとこの幸せにとても心を砕いているようだ」
まさか、今さらそんなことを尋ねられる日が来るとは思っていなかった。
「一家とはそういうものだろう」
「……そういうものなのか」
「そうでなくてどうして、一家という形を整える必要がある」
それもそうだと山鳥毛は笑った。それは鈍いと姫鶴に散々言われる日光でも分かる自然な笑みだった。その笑い方に日光は好感を抱いた。

 姫鶴の気がすむまできっちり叱られ、さて寝ようというときにまた震え出したスマートフォンに日光は胡乱な目を向けた。誰だこんな時間に。姫鶴は一度文句を言ってしまえば追撃はしてこない。画面を見れば小豆からでうめいた。やはり日光はこの男が苦手だ。
「もしもし」
『おそくにごめんね』
「手早く終えてくれ」
『きみにそれをいうけんりがあるとおもう?』
「……やりすぎだったと反省している」
『ほんとうだよ。山鳥毛はきにしていないようだから、こんかいはなにもいわないけどね』
気にしていないとはあの男正気だろうかと日光は目を剥いたが、自分が言ったら藪蛇になるので黙っていた。しっかりしているようでいて、変なところで無防備だ。
『まあそれでね、山鳥毛となんのはなしをしたのか、きになったのだ』
「聞いていないのか」
『はなしてくれたのだが、とてもきみのことをきにいっているようだったから』
「どういうつもりで縁づくのか尋ねただけだ」
『それだけ?』
「当たり前だ。他に興味はない。嫉妬するならお門違いだぞ」
小豆は少し黙って「そういうところだよ……」と呟いた。そういうところもどういうところもあるか。
「山鳥毛が、きみとまたあうのをたのしみにしているといっていたのだぞ」
「ああ、別れ際にもそう言っていた」
まあ世辞だろうと日光は思っている。山鳥毛も小豆に負けず劣らず人当たりは良い男だ。小豆より幾分か無邪気なだけ話していて楽だったが。
『かれのこと、どうおもった?』
「貴様に俺の意見が必要とは思えんが」
『わたしも、姫鶴とおなじことをしんぱいしているのだ。けっきょく、いろいろいわれるのはしんざんものだよ』
姫鶴と小豆が結婚したときに日光は意外な気持ちを抱いたものだが、畢竟するに似たもの同士のふたりだったということだろう。愛情の掛け方がよく似ている。完全に他人事だが、山鳥毛は息が詰まらないのだろうか。
「ああいう人間は嫌いではない」
『うん、ならよかった』
即答する小豆に「本当に貴様はそう思っているんだな!?」と詰め寄りたくなった。日光は常々小豆のこういう言い草が癇に障ってならないが、突っかかるのも面倒であるし小豆がどう思っていようと関係ないのでやらないだけだ。正直今も言い募りたくなって堪えている。
「用はそれだけか?」
『うん、やぶんおそくにわるかったのだぞ』
気にするな、とは口が裂けても言えないが「結婚おめでとう」と通話を切るときに伝えておいた。



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