あるADの受難
俺は駆け出しADのT田だ。とりあえず俺の話を聞いてほしい。俺は今、苦境に立たされている――一言で言うと泊まっているホテルの隣の部屋の奴らが明らかにヤってる。しかも結構激しめのやつ。それがなんかもう、筒抜けで、困ったことに眠れそうにない。明日は早朝からロケだというのに。
経緯を話そう。
俺は先月からコズプロ所属スタッフとして働き始めたばかりのひよっこだ。毎日今をときめくアイドル達と一緒に現場を駆けずり回って、まあしんどいこともあるが充実した日々を送っている。
今回の仕事は新進気鋭のユニット『Crazy:B』さんのロケに同伴。よくあるグルメリポートだが、アイドル達が週替わりで登場し全国各地のご当地グルメを食べ歩きながらゆるいトークを繰り広げるプログラムは、彼らの飾らない姿や絡みが垣間見られるとかで、そこそこ人気を博していた。
『Crazy:B』さんとの仕事が初めてだった俺は、散々な前評判を聞いて実はかなりビビっていた。けれど実際顔を合わせてみると、リーダーの天城燐音くんはかなり馴れ馴れしいが頭の回転が早い分話が早いし、HiMERUくんは顔合わせの時点で下っ端の俺の名前まで覚えてくれていたし、桜河こはくくんは年齢の割に落ち着いているし、椎名ニキくんは人当たりが良くて話しやすかった。
スケジュールは、遠方のため撮影前日に関係者全員で現地入りしてロケハン。翌日朝から撮影を敢行……ということで、宿泊場所を確保しなければならなかった。これは下っ端の俺の役割だ。
――と、ここで事件が起こった。ホテルに電話したところ、手違いで部屋が二つしか抑えられていないことが発覚したのだ。出演者とスタッフの人数を考えると明らかに足りない。俺は泣く泣く他のホテルを当たって、なんとか全員分の部屋を確保することができたが、観光シーズンにも関わらず当日空きがあるホテルなんてお察しで、客室にユニットバスすらないという質素なものだった。正直に話すしかない俺は泣きながら皆に状況を説明した。
「じゃあこうしよーぜ。俺っちたちはボロホテルの方で構わねェから、ディレクターさんやメイクさん……おね〜さん達に綺麗なホテルを使ってもらえばいいっしょ」
「HiMERUも天城に同意なのです。女性陣にはオートロックの部屋で安全に過ごしていただきましょう」
「わしらは気にせんから、ゆっくり休んでな?」
「お腹も膨れたことだし、僕は拘らないっす! あ、夜食買ってもいいっすか?」
おおらかな人達で助かった。ディレクターは般若のような顔でこっちを見ていたけど、ここはご厚意に甘えることにして、それぞれホテルに移動した。
ここで更なる問題が発生した。
「え⁉ ダブル⁉」
そう、確保できた部屋がツイン一部屋、ダブル二部屋というどうにも苦しい状況だったのだ。俺、カメラマンの先輩(呑みに行くとかで不在)を入れて男六人。さすがに『Crazy:B』さんの表情にも疲れが滲んできていた。俺は申し訳なさで隠れたかったがそうもいかない。さあどうする、とその場で話し合いが始まった。
「す、すいません……」
「失敗も経験っちことや。次気をつけてくれたらええ」
「誰か俺っちとベッドを共にしたい奴はいねェの〜?」
「絶対嫌っす! あんたに蹴り落とされるのが目に見えてるっすから! あと変な言い方しないで!」
「体格的にわしと燐音はんが一緒なのがええんやろか……」
「ダメ! こはくちゃんにそんなことさせられないっす〜!」
「今日は移動時間が長かったですし、疲れているでしょう。桜河にはツインの部屋を使ってほしいのです」
「ンじゃあメルメルと俺っちが同室ってことで」
「……、いいでしょう。天城には床で寝てもらいます」
「オイオイ、リーダーを労ろうって気持ちはねェのかァ〜?」
一部険悪にも見えてドキドキしたが、ともかく話はまとまったらしい。椎名くんと桜河くんがツインルーム、俺達スタッフがその隣のダブルルーム、天城くんとHiMERUくんがそのまた隣のダブルルーム。俺は四人がそれぞれの部屋に入って行くところをペコペコ頭を下げながら見送った。
そして冒頭に戻る。隣の部屋の奴がヤってる。ボロいホテルだと思ってはいたが、レオパ○スばりの壁の薄さだ。全部聞こえる。先輩が呑みに行ったまま帰ってこないから俺は独り。最悪だ。そこで俺は重大なことに気がついた。
隣の部屋? ――俺がいる部屋は三部屋あるうちの真ん中だ。つまり両隣に『Crazy:B』のメンバーが泊まる部屋があるはずだ。そんな、まさか。この音の出処は……どっちだ?
「あんっ♡ やめ……ッ、あした、も、ンン♡ 早いんですからぁ……」
「…………」
HiMERUくんの声だ。
俺は動揺してベッドから転げ落ちてしまった。どすん、とそれなりに大きな音が響き、背中に鈍い痛みが走る。
「メルメルゥ、そう言うけどなァ、ちゃんと後ろ、準備してきてくれたっしょ……? メルメルもそのつもりだったってことだよなァ?」
「それはっ……ア♡ 乱暴にされて、撮影に差し支える方が困ると、思っ、ひゃあううン♡♡」
「ほぉら、もう二本入ったぜェ……? メルメルのここはエッチだなァ、三本目もすーぐ入っちまいそうだ」
「い、あ、言わないで、くださ……♡」
天城くんがくつくつと喉を鳴らして笑う声まで漏れ聞こえてくる。本当にこの声が隣の部屋から……?
「あ、あ! やだっ……あまぎっ、ハァ、ア♡」
「りーんーね」
「はひ、い♡ り、んねぇ……」
「はーい燐音くんですよォ♪ メルメル、どうしてほしい?」
「んああ♡ うしろ、ばっか♡ だめです……ッ」
「だァから、どうしてほしいか言ってみろって。そろそろ出してェんじゃねーの?」
「んうう……♡」
ぐちゅぐちゅと湿った音に合わせて、HiMERUくんの少し掠れた色っぽい声が一際高くなる。もともと艶のある綺麗な声をした子だが、これは正直ヤバい。男だとか関係なくめちゃくちゃ興奮する。俺は悪いと思いながらも、壁にぴったりと耳を押し付けて、隣の部屋の声に聞き入ってしまっていた。
「あらら、勝手にイッちまったかァ。こりゃお仕置が必要だな」
「はあ、は、ァ、なに……」
「メルメルがどうしてほしいか言うまで、俺っちからは触ってやらねェ」
「……っ!」
「あ〜あ、このままシコって寝るかァ〜」
「待っ……」
待って‼ 俺は心の中で叫んでいた。ここで止めるだなんて生殺しにも程がある、AVのサンプル動画より酷い。天城燐音は鬼畜だ。HiMERUくんお願いだから頑張ってよ。俺はとっくにフル勃起していたムスコを握ったまま冷や冷やしながら状況を見守った(見えてないけど)。
少しの間ののち、ぎしり、安いベッドのスプリングが軋む音。
「待って……ください」
「なァに?」
「おねが……燐音、の、あつくておっきいの、中に、ほし……、~~~ッ‼」
HiMERUくんがなんとか絞り出したか細い声を辛うじて拾ったところで、スパァン、と小気味よい音が響いた。
「いって‼」
「ッ、言えるか‼ 調子に乗るな‼」
「だーはははははは‼ わりィわりィ、ちょっと意地悪しすぎちまった。よく頑張ったなァ、偉い偉い♡」
「ゆるさない……」
「許せって、メルメルが可愛くてつい、な?」
「……たくさん気持ちよくしてくれないと、許しませんから……」
最後の方はもごもごしてよく聞き取れなかったが、たぶんこんなかんじだろう。HiMERUくん、照れてるみたいだ……え、彼ってもしかして可愛い……? 俺はとんでもないことに気付いてしまったのかもしれない。
「へいへい、仰せのままに」
「あッ⁉ そ、な急に、燐音ッ、やああ♡♡」
どちゅ、ぬちゅ、ぬぷぬぷ、ぱんぱんぱんぱん、ぎし、ぎし。羅列でき得る限りの品のない音がひたすら続いた。そんな耳障りなノイズの中でも、HiMERUくんの声だけが綺麗だった。
「ああ、あん、あ、アアア♡♡ ンふ、ん〜っ、ん♡ っぷは、はあァ♡」
「ん、メルメル、キモチイだろ……?」
「んン、りんねの、おっき♡ きもちい……♡」
「はっ、あんま、煽んじゃねー、ぞッ!」
「いあああッ♡♡ だめぇ、はげしっ……やあァ、ふか、い♡ だめ、だめれす♡♡」
「きゃはは、今度は『駄目』かよ……余計そそるねェ、イイぜェメルメル、このまま奥に、っ、出してやンよ……!」
悲鳴のような喘ぎ声が聞こえて、肌がぶつかる乾いた音とベッドが軋む音が一層大きくなる。俺はというと、シコる手が止められない。ごめん、HiMERUくん、ごめん。
「りんね♡ りんね♡ あーッ、いぐ、いくっ、いっちゃうう♡♡」
「っ出すぞ……!」
「いッ、〜〜〜〜ッッ♡♡」
「ッ‼」
HiMERUくんが声もなくイッたのとほぼ(たぶん)同時、俺の手にどろりと生あたたかい精液がかかった。ずるずるとカーペットに座り込み、整わない息のまま呆然と掌を見つめる。途端にすうっと頭が冷えてきて、恐ろしくなった。男性アイドルの、しかも仕事仲間のセックスを盗み聞きして、オナニーをしてしまった。最低だ。
「んひッ⁉ やだあ燐音、りん、ねぇ♡ まだ、イッたばっ、か、アア♡ えぁ、あン、ンああ♡♡」
「わっりィメルメル、収まらねえ……! もうちょい、付き合えよ……?」
「だめ♡ もうだめ♡ おかひくなっちゃ……♡」
自己嫌悪も束の間、隣の部屋では即座に第二ラウンド開幕だ。また元気になってしまったムスコを放ってもおけず、俺は半べそになりながらそこを擦った。
ザーメン塗れのティッシュを部屋のゴミ箱に入れておくわけにはいかない。同室の先輩に気付かれたくない。ティッシュを共用のトイレに捨てに行き、その帰りに廊下に自販機を見つけた俺はドリンクを買うことにした。飲んで忘れよう。自販機横に備え付けられたベンチにどっかりと座り込み、レモンサワーのプルタブに指を掛けた、その瞬間だった。
「いい夜だねェ、T田ちゃん♪」
「※◎&★¥@△♂#!??!?!??」
隣に座って声を掛けてきたのは天城燐音だった。俺はびっくりして缶を取り落としてしまった。気配も足音もなかった。なんだこいつアサシンか。
「ククッ、ンな怖がるなって〜。俺っち傷付くなァ」
「な、な、な、」
怖いわ。怖いわ‼ その証拠に言葉が継げない。天城燐音は昼間と同じあけすけな笑顔を浮かべているが、どこか身の危険を感じる。獰猛な野生動物に命を狙われているみたいだ。彼は俺が喋らないのを良い事に、続け様に話し掛けてきた。
「イイ声で鳴くっしょ?」
「……は?」
「おっと知らん振りはナシだぜェ、てめェも散々愉しんだんだろ? 隣人サン」
「っ⁉ あんた、気付いて……⁉」
「てめェがベッドから落ちた時になァ。オーディエンスがいるからって、今日はちっとばかしサービスしすぎちまった――どうだった? 耳について離れなくなるっしょ、あのエッロい声で強請られるとさァ……」
俺は悟った。この男はヤバい、関わってはいけない。落とした缶を拾うことも忘れて、俺はとにかくその場を離れようと立ち上がった。
「ししし失礼します」
「待てよ」
腕を掴まれた。温度のない声だった。ギギギ、と壊れた機械のようなぎこちなさで振り向くと、自販機の照明だけが灯った暗い廊下で、天城燐音のぞっとするほど綺麗な顔がこちらを向いていた。その目の青は深海のように深く沈んで、研がれたナイフのように冷たかった。形の整った薄い唇だけが三日月型に歪んで。
「アイツに色目使ったら、殺すぜ」
声を発する間もなく腕を振り払い、俺は一目散に逃げた。脅しじゃない、本気だ。あの男は人殺しくらい平気でやる。何故かそんな確信があった。
その夜は布団の中で縮こまって朝が来るのを待った。一睡もできなかった。
ロケは順調に進んだ。俺はと言うと天城燐音とHiMERUくんを意識してしまうあまり、仕事に集中できないでいた。
とあるレストランでの撮影を終え、御礼を言って店を出る。暑い日だった。ふと、前を歩くHiMERUくんがうなじに掛かっている髪を鬱陶しそうにかき上げた。一瞬見えた白い肌に目を奪われて、――俺は激しく後悔した。
赤いキスマーク。誰が付けたかなんて考えるまでもない。慌てて目を逸らしたが遅かった。HiMERUくんの隣を歩く天城燐音が、振り返ってこちらを見ていた。あいつ、どうしたと思う?
しぃ、と子供にするように人差し指を唇の前に立てて、俺に向かってぱちりとウインクをかましてきやがった。殺意が湧いた。
その後何故か天城燐音に気に入られてしまった(らしい)俺が、彼とHiMERUくんが一緒のロケの度に同伴させられ、毎度暗黙の了解で二人部屋を確保することになったのは、また別の話だ。
powered by 小説執筆ツール「notes」