もうおちてる
「なぁ、お前、男とはやれんのか」
声は頭上から降ってきた。ローは新聞に走らせていた目を止めた。ゆっくりと振りあおぐ。声の主は太陽の中にいた。秋気候の島特有の微風が新聞を鳴らす。目を眇めた。
「おれに言ったのか?」
「ほかにいねぇだろ」
「一応聞くが、そういう意味で聞いてんだよな?」
ふは! とゾロは噴いた。喉の奥を鳴らすような笑いを続けてから、心底可笑しそうに応えた。手すりに肘を預けたゾロがニヤついた声で続けてくる。
「そう。おれはお前に、そういう意味で聞いてる」
「答えてやる筋合いはねェな」
すげなく応えたはずだったが、直球が返った。
「トラ男、おれとセックスしようぜ」
「しねぇよ」
一層低い声で断り、紙面へと顔を戻す。停泊した船は穏やかな波に揺られている。一時乗っているだけの間柄だ、買い出しに付き合う義理もないと断ったが、ナミの誘いを素直に受けていればよかった。後悔するローの思考を、床を鳴らした重い音が遮った。それなりの高さから飛び降りてきたはずなのに、ゾロは腰に差した三本刀を僅かに整えただけで平然としている。さすが億越えの賞金首だった。これぐらいは軽々とやってのける。だが威風堂々とした体躯にあって、耳のピアスが揺れているのは妙にアンバランスだった。それに目が止まった自分を自覚した瞬間、ローは胃の裏側がぞわりとする居心地の悪さを覚えた。狼狽を気取られないよう、視線を活字に戻す。
「お前、頭が固いって言われねぇか」
「一度も言われたことがねぇな」
「嘘つけ。なぁ、一回寝たくらい数のうちに入んねぇだろ。どうだ、今晩」
もう頭に入っていなかった文字が陰ったと同時、ゾロの顔が目の前に現れた。ローは顎を上げた。不敵に見上げてくるゾロを上から見下ろす。しばらくそのまま見合った。
「…お前、いつもそうやって誘ってんのか」
「いつもってなんだよ?」
「船に乗ってきた他船のクルーを相手にコナかけてんのか、って聞いてんだ」
なぜかゾロは隻眼を丸めた。なんだその顔、と口にする前に、ゾロは口角を上げて身を引いた。重力に引かれたピアスが小さな音を立てる。傍に立つゾロを見上げる。ゾロは鱗雲が広がる空に向かって応えた。
「お前が気に入ったから、」
「………」
視線がローに戻る。ニヤリ、とゾロが笑う。
「…とでも応えりゃ満足かよ、トラ男」
びきっ、とこめかみに青筋が立った。新聞を握る手に力が入る。潰れたそれを雑に畳んで、カウチから立ち上がった。革靴が木床を剣呑に鳴らした。
「他船のナンバーツーと寝られるか」
睨め付けてやると、ゾロはようやく諦めたようだった。両手を組んで大きく伸びをしながら、そうかよ、つまんねーの、と呟く。気まぐれに付き合わされて堪るか、と内心で毒づくローを置いて、ゾロは船のへりへと歩き出した。
「トラ男のせいで白けたから飲みに行ってくるわ。あいつらが戻ったら朝には戻ると言っといてくれ」
好きにしろ、と言いかけたのと同時、頭の端で嫌な予感がした。手すりに立ち、今にも陸へと飛ぼうとしている背中に慌てて聞いた。
「お前、まさかそこらで引っ掛けてくるつもりじゃないだろうな?」
「はぁ? それ、おれの誘いを断ったお前に関係あんのか」
心底びっくりした顔で聞き返されたが、理屈より先に口が動いた。
「厳密には関係はないが後味が悪い!」
「食ってもないものの後味の話をされても響かねェなぁ」
「この船の風紀はどうなってやがる!」
「他船のクルーの風紀が乱れてて困ることがあるのかよ、ハートの船長さんよ」
「ないが!?」
「なんで怒ってるんだ」
「怒ってね…って、待て! ゾロ屋!」
喚くローを置いてゾロが手すりを蹴った。そのまま港から街へ向かうのとは反対方向に歩き出したのを呆然と眺める。そういえばトニー屋が方向音痴とか言ってたな、と思い出したが、いまそんなことはどうでもよかった。くそっ、と吐き捨てて、床に置いていた鬼哭を拾い上げる。ROOM、と唱えてローは飛んだ。
「買い忘れはないわねー」と言いながら先頭を歩くナミが見たのは、我が船の戦闘員と居候中の他船の船長だった。酒場が立ち並ぶ区画の真ん中で、ぎゃんぎゃんと怒鳴りあっているので衆目を集めている。後ろにいたチョッパーが、あいつらなにしてんだ、と不思議そうに呟く。何をしているのかは、聞こえてきた声が教えてくれた。
「お前はおれを振ったんだから、おれに構うなよ」
「構ってねぇよ!」
「構ってんじゃねーか。おれが誰と何をしようが他船のお前には関係ねぇだろうが」
「関係はなくても寝覚めが悪いんだよ!」
「なんで」
「『なんで』!?」
ひっくり返った声でローが喚いたのを聞いたロビンが、「仲良しね」と微笑ましそうに言った。仲良しかどうかはさておき、問題ごとを起こさなければ好きにすればよろしい。ナミは肩をすくめた。
「トラ男くんがいるなら迷子にはならないでしょ。サンジくんと合流しましょ」
心配そうに見ているチョッパーの肩を抱いて、騒ぐ二人とは反対方向に歩き出す。雑踏に紛れてもまだ二人の騒がしい声が聞こえていた。
「だから説明してみろよ」
「なんの説明がいるんだ!?」
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