ピザ


「そういえば、あいつ、いつまでアロハみたいなもん着てるつもりなんやろな?」
あいつ、て誰のことですか、て言うたところでまた噛みついてくるなと思ったので何も言わずにいると、兄弟子は「もう弟子取って十年以上経つねんで。」と呟いた。
「木曽山が内弟子になってからそんななりますか。」
草々兄さんが師匠らしくやっているかどうかを、師匠の家に見物に行ったのが昨日のことのようだ。
師匠を亡くしたばかりでぽっかりと空いた心の穴を、どないして埋めようかと思いながら、僕もこの人も、試行錯誤の日々を生きていたあの頃。この人は、草々兄さんを超えて師匠に追いつきたい、と言う途方もない道のりをひとりで歩き出したばかりだった。
僕は僕で、この世のどこにもない師匠の面影を求めて、算段の平兵衛の稽古をひとりで続けていて、その苦しみに寄り添うことが出来てはいなかった。
それでも、草々兄さんが弟子を取ったばかりの頃は、あの恐竜頭が師匠になるなど、その真似事ですら難しいのではないだろうか、と言いながら、物見遊山の気分で師匠の家に見物に行くほどには気楽に構えられてもいたのだ。
草若兄さんは、一本気で、自分のように落語に打ち込めない人間にはあの通り厳しい男だが、木曽山の後に入った弟子は皆ちょっと若狭に気性が似ているところがあるらしい。確かに、そうしたタイプでなければ、あの強烈な落語馬鹿と付き合っていくことは難しいだろう。
多少の出入りもなくはないが、今は弟子志願の七人目になった四番弟子も、それなりに続いているらしい。
木曽山の稽古を見に行ったあの日は、流石に、兄さんが師匠らしく振舞うことが出来てるかどうかで賭けをしようと言ったところで、その場の全員に一笑に付されただけだったけれど、今はどうやろうな。
「おかみさんに買ってもらったスーツとは違いますけど、あれも草々兄さんのトレードマークみたいなもんですからね。そのうち、子どもと一緒にアロハ着るようになるかもしれませんよ。」
「オチコちゃんか。そういうたら、どうするんやろうな。あの達者な口、落語家に向いてる気がするねんけど、もう小草々の座は埋まってるからな。」
「別に親の跡継がなあかんてことないでしょう。僕かて子どもには、今時落語家になったかてええことないで、ていつも言ってますし。」
「落語家みたいなもんになったらあかん、て親が言うのがアカンのやろ。自分が続けられてんのやから、説得力ゼロやで。そんなん、『オレの後継いで落語家になれ~!』て再三言うてる方が子どもは嫌やて思うで。」
「そんなもんですか。自営業やと、こないしてPTAの役員まで押し付けられるのに、まだ嫌なとこが見えてへんのやな。」
寝床から持ち帰って来たというピザが焼けたで、と知らせるオーブントースターのベルが鳴った。
「あ、焼けたで。」
焼けた、と言うだけで目の前に熱いピザが乗った丸皿が出て来ると思っているのである、このこいさん。
「ピザ入れたの兄さんですよ、自分で皿持って取って来てください。」
「……お前このところ偉そうなんとちゃうか。」
兄弟子はそう言って、口を尖らせて不服そうな顔をしている。
「そもそも、人に師匠らしさを求めるより先に、自分が大人らしいかどうかを振り返った方がええのと違いますか。付け合わせと飲み物は僕が準備しましたし、ちょっとは兄さんも動いてください。ウチの中では兄弟弟子とかそういうのもうええやろて言うたの、そっちやないですか。」
「おい、しぃ、……お前それを今持ち出すんは、卑怯やで。」
「何が卑怯なんですか。」
「そうかて、なんで今やねん……。」
さすがに、布団の中で、成り行きで口にしただけやないか、とはしらふの間は言い辛いらしい。
しかも、今から飯を食べようと言うのである。
兄弟子は抜き差しならない間の会話を思い出したせいか、オレも食ってくれと言わんばかりの顔つきになっている。
まあ、これは単に僕の目が曇ってるだけかもしれないが。
「なんでて、僕かて腹減ってますから。」
兄弟子の顔を見て口元に触れて食いたい、というと、途端に「ピザ冷めてまう!!」と目の前の男はやにわに立ち上がった。最初からそないすればええんです。
「ピザ食べてからなら、ええですか?」と聞くと「そんなん知らん!」と言う耳たぶが真っ赤になった。ピザよりもずっと食べ頃らしい年下の男の、首筋から背中と、その下の辺りまでをとっくりと眺める。
いつならアレが食べられるか、などとしょうもない算段をしながら、僕はコップに入れたばかりの、冷たくてほんのりと甘い牛乳を一口飲んだ。

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