食べて 生きて:MP49信洛サンプル
『夜のお楽しみ』
夜の音がする。風で金属がかすかに鳴る音。誰かの咳。見回りが路地を歩く小さな靴音。干しっぱなしの衣服がぱたぱたとはためいている。猫が細く鳴いている声が階下から聞こえて、夜なのに随分と賑やかだ。カタカタと何かを回している音が聞こえて、朝早くに作業している人もいれば夜が深まった時間に起きだして働いている住民もいる。
いつもだったら寝ているはずの時間、身体は疲れているはずなのに穏やかな眠りの波がうっすらと寄せては返すばかりで、眠ることが出来ないでいた。だが不思議と寝れないことに焦りはなく、翌日は珍しく仕事の予定はなく夜に麻雀の卓を囲む約束だけだからと目を瞑ってただ周囲の音をじっと聞いていた。
穏やかな夜を過ごせるとは思っていなかった。幼いころ、母が一生懸命に俺を育ててくれた中でのわずかな時間。一緒に薄い布にくるまって寝る時間は、温かくて何よりも幸せだった気がする。その母が亡くなってから転々とした家では歓迎されず、碌に眠れない日が続いた。疲れで寝入ってしまえば叩いて起こされ、深夜でさえ起きていないと何をされるか分からなかった。
それは大人になってからも続き、うなされて起きるのが珍しくなくなっていたから、城塞に来て部屋を貰った日からの何度目かの朝に、ふと自然に目が覚めていることに気が付いて驚いた。ここが安心できる場所になっていること、そして喪失の恐ろしさが待っていることに。
いつから得て、そしてそれを無くした時のことを想像し恐ろしく感じる様になったのだろう。今まで手に出来たものはほとんどなくて、無いのが当たり前だと思っていたのに。胸の戸惑いを朝の忙しさが押し流し、住民の優しさが遠ざけ、遊びに行こうと肩を組んで笑顔を向けてくれる『友人』の存在が消し去って、こうして眠れない夜さえも受け入れられるようになった。
眠れない、でもようやく得た静謐に深く息を吐く。そんな時、階下で人の気配とともに扉が開閉する音、そして足音とともに何かを物色しているのかガサゴソと、追加で金属が触れ合う音がした。
阿七の店に盗みに入る住民がこの城塞にいるのだろうかと考えながら、もしそうならひとまずは捕まえる必要があるだろうとそっと尼龍床から足をおろし、身を低くしながら階下を覗き込む。そして影が動き、見えたのは
「信一? 」
「お、洛軍。わりいな、起こしちまったか」
「……いったいそこで、何を」
陰に隠れるようにして少し腰を下ろした状態で厨房に立つ信一の姿だけ見ると泥棒にしか見えないが、その手に持っていたのは
「即席麺? 」
「あぁ~見つかっちまったならしょうがねぇなぁ」
ほら、お前も付き合えよ。そう厨房に招き入れられたら断れなかった。信一の顔を見て、声を聴いてほっとしたからかもしれないし、ほんのりついた灯りが優しく感じたからかもしれない。どちらにせよ、普段は立ち入らない様にしている厨房に自分は足を踏み入れた。
信一は勝手知ったると棚からがさりともうひとつ即席麺を手に取ると、こちらにサガサガと振って見せる。
「お前の分」
「……共犯にする気か」
「よくお分かりで」
ぱちりと器用に片目を瞑る様子に、きっとその仕草に慣れているのだろうと変に感心してしまう。鼻歌を歌いながら手際よく準備する背中に、こうやって夜食を作ることは珍しくないのかもしれないと、そう思った。
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