ハンバーガー


「譲介、寄越せ。」
運転席に座った徹郎さんは、やおら手を伸ばして来た。
いつものバーガーショップに寄るぞ、と言ったのはこの人だ。
住んでいる場所からはやけに遠いマクドナルドでもインアンドアウトでもないこの店に、休日のドライブ感覚で彼を連れて行ったのはいつかの僕自身で、それはある意味不覚だった。あるいは、不測の事態と言ってもいい。
彼はなぜかこのスーパーデューパーの名物、二枚のパテのバーガーがいたくお気に入りになってしまい、とうとう店の行き来のために、手術前後は暫く止めていた運転を再開、新しいハマーまで即金で買ってしまった。
二枚のパテのバーガーは譲介の分とふたつ、それからフレンチフライ。飲み物はストロベリーレモネードと水。アイスティーはメニューにあるけどコーヒーがない店をここまで彼が気に入るとは思わなかったのだ。
「……徹郎さん、このまま車道に出るんでしょう、ダメです。」
「つべこべ言わずにとっとと食わせろ。腹ぁ減ってんだよオレは。」と利き手でエンジンを掛けながら彼は言った。
「分かりました、分かりましたから、この状態でハンドルから手を離そうとするの、止めてください!」
何で中で食べないんですか、と言うと、観光客がごちゃごちゃ行き来してるような店で食うのは苦手なんだよ、という返事が返って来た。
店内で食べずに車に戻るぞと言われた時から、そうじゃないかと予感はしていた。
譲介が知る二十年前のこの人は、ハマーⅡで高速道路をひた走りながらドライブスルーで買ってきたハンバーガーを片手に運転していた。勿論、譲介を車中で寝かしつけたと思った後にだ。
耳元で咀嚼音が聞こえて来た譲介が目を剥くと、彼は悪びれなく、おめぇの分はねぇぞ、と言って指先で口の端に付いたケチャップを拭うことまでした。制止しようとしても、言葉だけでは効き目がないことは分かっている。
「そんなにお腹が減ってるなら僕が運転しますから、今夜の運転席は譲ってください。」
譲介はシフトレバーに掛かった彼の手の上に自分の手を重ねて、一度締めたシートベルトを解いて身体を助手席から持ち上げた。
「腹が減ってるのは僕も同じですからね。」
そう言って顔を近づけると、今にも舌打ちしそうな顔をしていた彼は、足元のパーキングブレーキを入れ直してから目を瞑り、譲介の不意打ちのキスを受け入れた。
薄い唇は開かれていて、譲介の舌は彼の口中を探った。
触れれば熱がある。
作り立てのバーガーのパテより少し低い体温。
キスに夢中になっている間に、彼は腕を伸ばして、譲介を抱き寄せる代わり、ジャンパーの襟を持って猫を引きはがすように引っ張った。
彼の示した接触を拒否する気配に、名残惜しいような気持ちで唇を離すと、彼は口を開いて譲介に言った。
「……ハンバーガーじゃねぇんだ、家で食え。」
「!」
目の前で頬に朱を散らした彼は、手の甲で唇を拭うふりで顔を隠した。
「あの、徹郎さん、もう一度だけキスしていいですか。」
「駄目だ。」
手を出すより先に同意を取るっつったのはおめぇだろうが、と言われてしまい、譲介は二の句が継げない。こんなときくらいは、Noはなしにしてください、と言う代わりに、どんな風に懇願すれば彼の許しが得られるのか。
「あの、席、変わりましょうか?」
そんな風に重ねて言えば、「いつものおめぇの運転じゃ、日付が変わっちまう。」シートベルトを締め直せ、とつれない返事が返って来る。
その上、譲介からのこれ以上の追及を逃れるためか、彼は、思いきりアクセルを踏み込んだ。
省エネとは程遠い、懐かしい急発進に、譲介の背は助手席に押し付けられる。
来た道を戻る間にも日はゆっくり沈んでいき、夕焼けが照らす街の光景が、あっという間に近づき、そして過ぎ去っていく。
「運転しながら食べるならポテトにしましょう。」と譲介は三度目のアタックをしてみると、徹郎は、バックミラー越しに譲介を見た。
出会った時の中学生の子どもでも、別れた日の二十半ばの若者でもない、三十を過ぎた男がそこには映っているはずだ。
「しょうがねえヤツだ……。」
そう言って、彼は譲介の餌付けを受け入れるべく口を開けた。



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