引越し


「引越し蕎麦ならぬ引越しうどんて……底抜けに縁起悪ないかコレ……?」
「隣近所に配るヤツとは違うから、ええんと違いますか。」
「大体、年越しかて毎年うどんやのに、今更それ気にするんや?」と子どもに言われてしまえば、確かにそうやな、と納得してしまった。
出来立てのうどんからは、ふんわりといつもとは違う出汁の匂いが漂って来た。
いつも買って来るスーパーの狐とは大きさも厚みも違うお揚げさんが乗ってて、葱の量もてんこ盛り。
そういえば、冷蔵庫来るのも明後日やったな、とやっと気付いた。
四草は今、段ボールから出したばかりの鍋と笊で作ったうどんを入れた丼にたっぷりの出汁を注いでる。
太く短く生きたいて訳とも違てて、ただ食いたいから、でいつもうどんばっかり食べてる男は、引っ越しで疲れた顔も見せずに、今日もいつもの涼しい顔で。
「なあ、今日このまま布団で寝たら、朝起きたらオレら三人で野っぱらにおったりするんとちゃうか? ……こないしてせっかく揃えた家財道具もどっか行って、『狐に身ぐるみ剥がされてしもた~!』言うて騒いどったりしてな。」と言うと、オレのことを仏壇の中に住めばいいのにとまで言っていた男は、そんな訳ないでしょう、と呆れたように言った。
「そもそも、あの不動産屋、どっちか言うと古狸みたいな顔してたやないですか。化かされてると言っても恩返しの方とちゃいますか?」
そっちかい!
「草若ちゃん、それ、オチコのおばさんとこに話持ってったら落語にしてもらえるんと違う?」
ほんまおチビは、いつも優しいし賢いなあ、今日も百点や。
そやけど、この段ボールがなあ~。
キッチン周りだけでも山と積まれた段ボールを見てたら、なんやため息を吐きたくなった。愛宕山とまでは言わんけど、天保山くらいはあるんと違うか?
この段ボールの中身を収納するためのスペースに置く隙間の家具も、届くのは来週中の話になってて、先は長いていうか……。それでもまだ台所はええねん。
「寝室にも子どもの部屋にも、まだ開けてへん箱もたくさんありますからね。まあ今日はここまででええと思いますけど。」と四草がオレの言葉を取った。
「そんな気長に考えんと、段ボールだけでも片付けてしもた方がええて。」とおチビに言われたタイミングでぐう、と腹が鳴った。
「おい四草、オレもうはよ食べたいで~。これ以上待たされたら、うどん伸びるでぇ。」
「せやから、僕が外に食べに行きますか、て言うた時にその辺の店に入っといたら良かったんです。そもそも、やっぱ余分に金掛かるからってストップ掛けたの草若兄さんでしょう。なんで自分で作らへんのですか。」
ってええ~、これオレのせいか?
「……文句あるなら食べんでええですよ。」
「そこまで言うてへんがな~。食べるわ。」と言ってから、テーブルの上に何かが足りないことに気付いた。
「なあ四草、七味どこ行った?」
考えてみたら醤油もない。
おチビが、四草の座るとこの前に、新しい塗り箸を並べている。
「七味、どっかから出て来るか、賭けますか?」
「お前なあ……今からきつねうどん食べるて時に、そんな賭け持ち掛けてどないすんねん。」
「そうやで、お父ちゃん、僕もお腹減った~。」
「第一、オレが覚えてへんでお前がどっかに仕舞ってしもたなら、賭けにならへんやろ。」と言うと、四草が笑った気配がした。
「忘れてるみたいだからもっかい言いますけど、こないだ、細々した調味料とか全部捨ててしまいますよ、てごみの日の前に言うたやないですか。」
「そないなこと覚えてへんわ……。」
最後のゴミ捨ての前の日? ……子供に知られんようにこっそり捨てなならんもんも山ほどあるていうのに、お前はほんま、人の身体を好きに曲げたりひっくり返したりして。
こいつほんま人の心とかあるんか、ほんまに。
「今すぐ欲しいなら、コンビニ行って買ってくるしかないんと違いますか。大体、僕がうどん茹でてる間に時間あったでしょう。」
「そらそうですけどぉ。」
もう食べますよ、と言って席に着いた四草に、おチビが「お父ちゃん、腹減ってるからってそないカリカリしてええことないよ。ちゃっちゃと食べて今夜はもう寝てしまお。」と言った。
「そうやで、シーソーくん、カリカリしててええのは梅干しだけや。」
「兄さん、もう黙ってうどん食べててください。」
言われんでもそうするわ、と言おうとする前に、「お父ちゃん………それも大人げないで~。」とフォローさせてしもた。
子どもが一番冷静て、どないやねん。
「そしたら、食べますか?」
おう、とうん、の返事が同時だった。
ほんまはそんなに新しくもない新居で、いただきます、と言い合って。
黒くてキラキラ光る貝殻とか松葉の塗り重ねられた箸で啜るうどんは、いつもと違う出汁でもそれなりに美味かった。
「次に食うまでに、いつもの出汁の粉、どっかで見つけて買って来るわ。」と言うと、「ついでに七味もお願いします。」と言って四草は笑った。

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