うさぎの目



 ドフラミンゴが子どもを一人拾ってきた。犬猫を拾ってきたことがないくせに、時折、人の子を犬猫のように拾ってくる男だった。名などまともにつけたことはない。「あれはベビー5と呼ぶように」と、古参の幹部の一人に言われたので理由を尋ねたら、数えて五人目の子だからということだった。捨てられた犬猫だって、もう少し愛情を持った名づけをされるだろう、とロシナンテは思った。
 肌艶の悪いその子は、人を見かけては誰かれ構わず、媚びへつらうような笑みを見せて擦り寄っていた。拙い子どもの発声で、出来の悪い娼婦のような言葉を吐く。「お前だけを大切に思っている」という、真実が欠片も内包されていない言葉を得たいがためだけに、子どもはどんな無理難題でも引き受けた。
 その様は、いじらしいというよりは惨めったらしく、海賊の暇つぶしに使われている子どもを見かけるたびに、ロシナンテは言いようのない不快さで顔を歪めた。
 子どもを使った悪趣味な遊びが止まったのは、子どもの見目がさほど悪くないことに気づいた一人のクソ野郎が、全裸にした子どもの映像を映像電伝虫で撮ったのがドフラミンゴにバレたからだった。そのクソ野郎を、ドフラミンゴは文字通り切り刻んで捨てた。そして部下たちに言い渡した。「ドンキホーテファミリーに人以下は要らない」。ドフラミンゴはその言葉通り、その男を人間らしからぬものへと変えた。
 子どもが幹部が住む屋敷へと移ってきたのはその頃だった。ドフラミンゴは眼鏡をかけた口うるさい女に子どもの躾をするように言った。女は己の主の願いを叶えるべく、子どもの躾を大いに頑張り始めた。
 ロシナンテが次に子どもと会ったとき、子どもは随分と健康そうな容貌へと様変わりしていた。栄養の行き届いた髪と爪、かさつきのない頬、そして童子らしい残酷さを孕んだ心。ベビー5はどこに出しても恥ずかしくない、まごうことなき女児と成った。愛された子どもならば、海賊によって成されるべきではないことを、この女児はドンキホーテ・ドフラミンゴからにしか与えられなかった。そのことの不幸についても女児は自覚することはないだろう。ロシナンテはそのことにつくづくと心を痛め、この世の不平等と、己の無力さに絶望した。
 ベビー5に廊下を転がされ、泡だらけの水を頭から被らされた日の夜、珍しくドフラミンゴが酒を持ってロシナンテの部屋へとやってきた。仕事の話でもするつもりなのかと思ったが、幹部の一人も連れていない。何の用だと思う気持ちが顔に出たのか、ドフラミンゴは機嫌良さそうに喉を震わせて笑ってから、ロシナンテの部屋に鎮座するソファへと腰を下ろした。立派な体躯を預けても軋みの音ひとつ鳴らせないそれは、マリージョアから取り寄せたものだと聞いたことがある。ドフラミンゴの屋敷には、ロシナンテが知らないうちにそういうものが増えていた。
 ドフラミンゴはロシナンテにお前も飲むかと尋ねることなく、二人分のワインをグラスに注いで飲み始めた。そして「おてんばにやられたらしいじゃねぇか」と楽しげに言った。ロシナンテは手渡された赤ワインをしばらく眺めてから、ローテーブルに出してあったノートとペンをとった。
『どこのおしゃべりがそんなことを耳に入れた?』
「フッフッ、お前のことはなんでも知っている」
『あのガキ 殺す』
「そう言うな、可愛いガキなんだ。まだ生まれたてだぜ。少しはしゃいだだけだ、許してやれよ」
 ベビー5と同じ歳の頃、この男は実の父親を撃った。子どもの年齢が善悪の指標になどならないことを誰よりも知っている男は、出来の良い兄の面で「常識」を持ち出してロシナンテを窘めてくる。
 ロシナンテは「どうでもいい」という表情を作ってから持っていたペンを放り投げ、注がれたワインを乱雑な様で煽った。ドフラミンゴはいい酒だろう、これはどこそこから取り寄せた何年もので、というようなことを喋った。ロシナンテに酒の味の良し悪しなどわからない。ドフラミンゴもまた、弟の舌が己より優れているとは思ってはいまい。ロシナンテは黙したままそれを聞いた。
 その夜のドフラミンゴは、いつになく饒舌だった。最近読んだ本の話、世界情勢、殺したかったやつの話、そいつを残酷に殺せた話、探していた楽器を手に入れた話。ドフラミンゴはつながりのない話を思いつくままに話した。ロシナンテは時折、爪の先でワイングラスを叩いて返事を返す。カチン、カチンカチン。ドフラミンゴの低い声と、グラスを爪弾く高い音。兄弟の会話がファミリーの話へと及んだとき、自然、拾ってきた子どもの話へと話題が移った。
「そんなにあのガキが嫌いか、ロシー」
「-.. ---  -.-- --- ..-  - .... .. -. -.- ..--.. (あんたはどうなんだ?)」
「おれは誰のことも嫌いじゃねぇ」
 それは支配できている限りはだろう、と思ったが、ロシナンテは薄く笑っただけだった。伏せていた目線を上げると、サングラス越しに目が合った。長い指でこめかみを支えたドフラミンゴがロシナンテを見ている。静かな声でドフラミンゴが言った。
「なぁロシナンテ。おれァお前がいやがることはしたくねぇんだ。お前がどうしても仲良くできねぇというなら、ガキの一人や二人放り出したっていいんだぜ」
 ロシナンテは冷や水を浴びせられたように硬直した。誰のことも嫌いじゃないと言った男は、同じ口であらゆる希望を削ぐ。温かいものを気まぐれで与え、それが当たり前となった頃に、この男は始まりと同じだけの気まぐれさでもって、子どもを一人放り出そうとしている。そしてあろうことか、そのきっかけをロシナンテに押し付けようとしている。
 ロシナンテはグラスを置き、空いた手で顔をぶるりとひと撫でした。ほんの数秒の間を開けてから、さきほど放り出したペンを持って書きつけた。
『昔、おれが持っていたうさぎの人形があったのを覚えているか』
「あぁ、目の青いやつだろう。お前のお気に入りだったやつだ。どこへやったかな、屋敷と一緒に燃えちまったかもしれねぇな」
『ベビー5に人形をあげるというのはどうだ』
「お前が? そりゃあ喜ぶだろうぜ!」
 ドフラミンゴは膝を叩いて大きな声を出した。フッフッフッ! と喜んでいるのを、ロシナンテは苦笑顔を作って眺めた。出来の悪い弟が兄に諭されて翻意した、本当は思うところがないわけではないが、兄の言うことならば多少の我慢くらいはしてやってもいい。そういう表情を努めた。
 ドフラミンゴは、自分が拾ってきた子どもが手榴弾や拳銃で遊んでいるのを知らない。いや、例えドフラミンゴの視界に入っていたとしても、そんなことは瑣末に過ぎて認知すらされていないのだろう。目の端を過ぎ去っていく景色と同じだ、背景のひとつにすぎず、気に留めることですらない。
(でもそれは、本当にはおかしなことなんだよ、ドフィ)
 ドンキホーテ・ドフラミンゴの作る世界は、規則正しく、何もかもが狂っている。一つ残らず何もかもが狂いすぎているから、まるでその中心にいるドフラミンゴだけが真っ直ぐに立っているようにすら錯覚する。酷い男だ、とロシナンテは思った。ドフラミンゴが空になったグラスにワインを注いだ。何杯飲んでも酒の味はわからないままだった。
 そんな会話をした記憶も薄れた頃、ベビー5がロシナンテのところへもじもじした様子でやってきて、「コラさん、お人形ありがとう」と告げた。ロシナンテは瞬間、何のことかを思い出せず、ぽかんとして自分より遥か下の女児を見下ろした。だが、ベビー5は目の前の大男が不思議そうにしていることなど気づかず、ふっくらとした頬を薄い桃色に染めて、わたしのことが必要だったらいつでも言ってね、というようなことを口早に告げた。そして大きなリボンがついた形のいいスカートを空中でひらりとさせると、来た時と同様に風のような速さで逃げ去った。
 残されたロシナンテはしばらくその場で立ち尽くしたあと、いつかの夜に、ドフラミンゴとうさぎの人形の話をようやく思い出した。ロシナンテが用意した覚えはないから、ドフラミンゴがどこかで購入して、贈り主を偽った上でベビー5に渡したのに違いなかった。
 どんな人形を貰ったのかを知りたいと思ったが、プレゼントの贈り主が、贈ったプレゼントを見せて欲しいと言うわけにもいかない。こんなことになるんだったら自分で用意すればよかった、と悔いたが、今更遅い。出来の悪い弟の尻拭いをできて、ますますドフラミンゴは気分をよくしたに違いなかった。

 この件について、ロシナンテが知らない話がいくつかある。
 ベビー5が受け取った目の青いうさぎの人形は、その昔、ドンキホーテ一家にあったものと同じ作家が作ったものだった。ドフラミンゴが予想した通り、ロシナンテが持っていたオリジナルはすでに屋敷とともに燃え落ちてなかった。同じ作家の人形を手にいれるために、ドフラミンゴは現在の持ち主を海賊の流儀でもって「合法的に」排除した。果たして、奪われた命の数はロシナンテの思いつきと同価値だったろうか。
 もうひとつ。
 うさぎの青い目はブルー・ダイヤモンドでできており、石を掘り出すために数えきれないほどの奴隷が犠牲になった。ロシナンテは、自分が持っていたうさぎの目にダイヤモンドがはまっていたことも、ダイヤモンドがどのような過程でもって装飾品となり得るのかも知らなかった。おそらく永劫知らないまま生きていく。
 これに関わる全てを知っていたのは、ドンキホーテ・ドフラミンゴただ一人だけだった。

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