10. アラビアンナイト 不思議な夜(ペテホム)

 煙草か、はたまた別の煙か、白くけむる室内を踊るように歩く人物が一人。骨格から性別はおそらく男性だろう。だが、頭の上から深くかぶっているベールのせいで、顔ははっきりと見れない。
 |紗《しゃ》や薄織りの絹を何枚も重ねたような見えそうで見えない、そんなチラリズムを煽るような肢体。身にまとっているいくつもの宝石や金の鎖が彼が動くたびにしゃらしゃらと涼やかな音を立てている。
 決して目立っているわけではない。むしろふと視線をそらした瞬間に見失ってしまいそうな儚さがある。しかし一度目にしてしまえば囚われたように視線を外せなくなる。そんな不思議な吸引力と魅力を持った人物だった。
 現に、今となっては小さなざわめきがさほど狭くもない室内にじわじわと滲むように広がっていた。

 ――そのざわめきに紛れるように小さな悲鳴が上がったことなど、誰も気が付かなかった。




「協力ありがとう」

 人の視線を集めるだけ集め、しかしながら煙のように消えるという難事を難なくこなして来たホムラは、人のいない場所で不意に声を掛けられてビクリと肩を震わせた後、それが誰か気が付いてほっと息を吐いた。

「お疲れ、うまくいったようでよかった」

 するりと部屋の影から現れた細身の男――ペテロは唇に薄く笑みを浮かべた。
 ホムラがペテロの|仕事《暗殺》の手伝いを依頼されたのは先日のことだ。|二人一組《ツーマンセル》限定の依頼の一つだったらしい。

「報酬はあとで」
「あぁ。しかし、私はほぼ何もしとらんぞ?」

 ペテロが持ってきた服を着て適当に歩いていただけなんだが? と、ホムラは自分の着ている服の裾をつまみながら首をかしげた。実際、ホムラの認識としては歩いていただけなのだ。
 しかし、部屋中の視線を攫って行ったホムラを見ていたペテロは一瞬呆れたような白けた表情を浮かべた後に肩をすくめた。一応、念のために魅了効果のある布やアクセサリーを用意したが、補助程の役に立ったかどうかだ。

「いいの、いいの。ホムラの場合は何もしないことが重要だからね」
「なんだ、それは」

 遺憾の意。というような顔をしているホムラにペテロは黒いと身内に言われる笑みを浮かべたあとに、再度「助かったよ」と、言う。
 ホムラもそれ以上追及するつもりはないのか――あるいは自分の不利を悟ったのかホムラは軽くうなずいて服装を元に戻した。



 後日、暗殺者ギルドの長にペテロが「美女への渡りをつけてくれという依頼が来ているぞ」と言われて、内心で噴き出すことになるのだが、それはまた別の話である。

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もちろん依頼は断ったw

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