クリスマスの現パロ弟子バロ




 日が傾き街を夕焼けの赤が彩り始める頃、街中のあちこちを彩る電飾も灯り華やかに輝く。それにふとバンジークスが目を奪われると、隣を歩く亜双義が「すっかりクリスマスの季節ですね」と言う。
「そうか、もうそんな季節なのだな」
 しみじみとしたバンジークスの言葉に、亜双義が微笑みながら頷く。
「貴方にとっては日本で過ごす初めてのクリスマスですね。いかがですか? 本場・|英国《イギリス》にはなかなか敵わないとは思いますが」
「いや、こちらのイルミネーションも綺麗なものだ。街が華やかで明るくなるこの季節は、私も嫌いではない」
 バンジークスがそう返事をすると、亜双義は満足げな表情になる。空気はきんと冷たく、日が暮れるのも早くなるこの季節だが、イルミネーションを見ながら歩く人々の表情は明るく楽しげだ。クリスマスの季節や、それに伴う華やかなイルミネーションに人々の心が浮き足立つのは、遠い海を隔てたこの地でも共通のようだった。

 バンジークスが住み慣れたイギリスを出て日本に移住してきたのは、まだ蝉の声も止まない夏の日だった。あっという間に季節は巡り、気付けばすっかりこうしてコートが手放せない季節となっていた。
 前世の記憶――などというにわかには信じがたいものを持って生きてきた自分たちは、何の偶然か、それとも運命と言うべきか、この日本で百年以上ぶりの再会を果たした。前世ではついぞ踏み越えられなかった師弟という関係から、互いが本当に望んでいたもうひとつの関係へと歩を進めてからしばらく。簡単に言えば、バンジークスと亜双義は|所謂《いわゆる》恋人関係となり、しばらくの遠距離恋愛の期間を経た後、今は日本で同棲をしている。日本での暮らしは慣れないことも多くはあるが、それもバンジークスにとっては興味深いものであったし、なにより彼と過ごす毎日がバンジークスにとって楽しく幸福なものだった。
 現在は大学四年生、司法試験に無事合格し来年度からは今世でも検事になるべく多忙な日々が待っている亜双義にとって、今は最後のモラトリアムのような時間だった。それゆえか最近の亜双義は、互いに予定の無い休日になると「デートをしましょう」などと悪戯っぽく言ってバンジークスを連れ出すことがよくあった。実際にはただの日常の買い物だったりするのだが、そんな言葉を選んでバンジークスとの日常を大切にしてくれる亜双義の心遣いが嬉しかった。
 今日もそうで、互いに一日予定が空いていたから、買い物がてら街をぶらぶらと散策したりカフェでゆったりと時間を過ごしたり、|なんでもない日常《デート》を楽しんできたところだった。今日はもうたっぷり満喫したので、この後は家に帰って二人でゆっくり夕飯を食べるつもりだ。

「イギリスでは、クリスマスは家族と過ごす特別な|休日《ホリデー》でしょう。|兄君《あにぎみ》をはじめ、御家族はさぞ寂しがっているのでは?」
 亜双義はそう、少しだけ|揶揄《からか》うように言う。亜双義の言葉を受けて、バンジークスも先日の兄との電話でのやりとりを思い出してつい小さく笑ってしまった。バンジークスの兄であるクリムトは前世でも今世でも、とても弟思いなのだ――今風に言うと、ブラコンなどと呼ばれるのかもしれないが。
「そうだな、兄上にはホリデーに帰ってこないのかと寂しそうに言われてしまった。日本にはクリスマス休暇の文化は無くて、クリスマスはただの平日だから仕方ないのだがな」
 亜双義もその様子を想像したのか、バンジークスにつられるようにくつくつと笑う。亜双義はクリムトにまだ直接会ったことは無いが、ビデオ通話で何度か直接話したことはあるのだ。
「もし時間が合えば、ビデオ通話くらいはしてあげたら良いのでは?」
「ああ、そうしよう」
 そこで一度会話が途切れ、しかしそう思ったところでバンジークスの手があたたかなものに包まれる。バンジークスが反射的にそちらに目を向ければ、亜双義の手がバンジークスのそれを包んでいた。互いに手袋をしていなかったから素肌同士で触れ合ったそれは、するりと角度を変えて指同士を絡め、恋人繋ぎに変わる。絵に描いたようなスムーズな手管だ。外を歩いて少し冷えていた手が亜双義の体温に触れて、じわりと少しずつあたたかさを取り戻していく。
 バンジークスが視線を手から亜双義の顔に戻すと、亜双義は悪戯が成功した子どものような顔でバンジークスを見上げた。改めて意識させるように、絡めた手にきゅっと軽く力が込められる。
「ご存じですか? 日本におけるクリスマスとは、恋人と過ごすロマンチックな日の代名詞なんです」
 そう言って、亜双義の形の良い唇がにまりと釣り上がる。彼の暗い色の瞳は、周囲のイルミネーションを反射しているかのようにきらきらと光って見えた。
「貴方にとっては馴染みが無いかもしれませんが。――そういうわけで、今年のオレは中々浮かれているんですよ。平日とはいえ、夜の時間は貴方を独り占めできるので」
 バンジークスは亜双義の言葉を咀嚼し、本人の言葉通りに嬉しそうな顔でこちらを見上げる彼を見つめ返して、つい口元が緩みそうになってしまった。ここは多くの人が行き交う往来だということを思い出してすぐに気を引き締め直したのだが、しかし、この年下の恋人は随分と可愛いことを言ってくれるものだ。
「知識程度には知っていたが……確かに日本ではそうだったな。わかった、当日は早く帰れるように努力しよう」
 そうバンジークスが返すと、亜双義は機嫌良さそうに「っはは、無理の無い程度で構いませんよ」と笑う。そのあどけない表情が嬉しくて、バンジークスからも繋いだ手を軽く握り返した。
「まあ、でも」
 彼と過ごすこういう時間に、彼の真っ直ぐな思いが込められた言葉に、自分も彼に負けず劣らずきっと少し浮かれているのだろう。そんなふわふわとした気分のまま、バンジークスは言葉を続ける。
「家族でも、恋人でも――キミと過ごすのなら、どちらの意味でもあまり変わらないのかもしれないな」
 そのせいだろう。自分でも深く考えないまま、そんな言葉がぽろりと口から零れ落ちたのは。
「え?」
 言葉の意味を咄嗟に図りかねたのだろう、亜双義はきょとんとした顔をバンジークスに向ける。彼の反応にバンジークスははっと我に返り、自分が零した言葉の意味を自覚してじわりと顔が熱くなる。バンジークスは赤くなった顔を見られることが恥ずかしくなり、思わずふいと亜双義から顔を背けてしまった。
「……すまない、少し気が早かったというか、その……」
 前世では法廷に立てばいくらでもよく回った口からは、今はもごもごと歯切れの悪い言葉しか出てこない。気を緩めたところに零れた言葉は自分の心の底の本心を表しているようで、自分の気持ちを素直に言葉にすることが本来得意ではないバンジークスは余計に恥ずかしくて仕方が無かった。
 もとより、この関係の始まりは亜双義からのプロポーズも同然の言葉と、それをバンジークスが受け入れたところからだった。だから、もう未来を約束しているようなものだというのは互いに認識した上の関係だし、なんなら少し前に亜双義からは『一人前の検事になったら改めて指輪を贈る』などと宣言されてしまっている。なので何の問題も無い、といえばそうだ。そうなのだが。
「バロック」
 真っ直ぐで鋭い声と共に、ぐ、と今度は少し痛いくらいの力で手を握られる。こちらを見ろ、と言外に言われてるようだった。バンジークスが恐る恐る亜双義の方を振り返ると、こちらを見上げる亜双義の顔のほうがバンジークスよりずっと赤く染まっていた。亜双義の目は先程以上に、細かな光を湛えて光っている。
「……それは、|そういう《、、、、》意味でいいんですね?」
 不意をつかれたような彼の必死な表情が珍しくて、それを愛おしく思ってしまったから、だからバンジークスは言い訳を止めて素直に頷いた。
「……ああ。そう受け取ってくれ」
 亜双義の目が小さく見開かれ、それから何かを堪えるようにぐっと唇を噛んだ。一見怒っているようにも見えるそれは、亜双義が照れている時の表情であると最近ようやくバンジークスは分かってきたところだ。そんな彼のころころ変わる表情を見守っていると、亜双義はもう一度繋いだ手を握り直し、ぐいとバンジークスを引き寄せる。
「……予定変更だ。これから指輪を買いに行こう、バロック」
 そう宣言してぐいぐいとバンジークスを引っ張って歩き出そうとする亜双義に、バンジークスは慌てて口を開く。
「待った、異議あり! 指輪を買うのは一人前の検事になった時だと宣言したのはカズマ自身ではないか!」
「恋人にそんなことを言われて悠長に待っていられるか!」
 どうもこの元弟子、現恋人は、熱くなると周りが見えなくなる癖はいつまで経っても直っていないらしい。その真っ直ぐさと情熱はこの青年の魅力のひとつでもあるのだが、今度はバンジークスの方からぐっと手を引いて物理的にも亜双義に待ったをかける。
「キミの気持ちは分かったから」とバンジークスが諭すと、亜双義の動きが止まる。それにほっとして、バンジークスはゆっくりと言葉を続ける。周囲からちらちらと向けられる目線が痛いが、こういう時、自分たちの会話が英語でよかったと思う。恥ずかしいことを言っても、外国語であれば通りすがりに意味をとらず聞き流してくれる人がきっと大半だろう。
「……カズマが再び一人前の検事になって、私に指輪を贈ってくれる日を楽しみに待っているんだ。それに」
 そこまで言って、バンジークスは一度言葉を切る。すうと息を小さく吸って、あえて亜双義を焚きつけるような口調でバンジークスは続けた。
「一人前の検事になるなど、キミであればすぐだろう?」
 バンジークスの言葉に、亜双義は目を瞬かせて、それから唇を引き結んで頷いた。信頼を込めたバンジークスの焚きつけに対して、亜双義は気を引き締めた表情に変わって宣言する。
「……当然だ! なんといってもオレは、前世で|あの《、、》バロック・バンジークスに師事した唯一の男ですからね」
 亜双義の返事に、バンジークスの口元がふっと緩む。「よろしい」とバンジークスが返すと、亜双義も満足げに微笑んだ。未来の約束をすることを、自分たちはもう怖がらない。それぞれに少しだけ違う温度は、繋いだ手からゆっくりと混ざり合っていく。
「クリスマスのディナーは、また相談しましょう。何か食べたいものがあれば、考えておいてくださいね」
 帰り道の緩やかな坂を下りながら亜双義が言う。そんな彼を少しだけ揶揄ってみたくなったバンジークスが「|鶏肉《チキン》以外で、か?」と言うと、亜双義は「う」と言葉に詰まった。真剣な顔で思案し始める亜双義に、バンジークスはすぐに「冗談だ」と撤回してやる。揶揄われた亜双義は不満げな表情をみせたが、怒っているというほどではなさそうだった。
「折角、日本で過ごす初めてのクリスマスなのだ。カズマのおすすめに任せたいのだが良いだろうか? 私にも手伝えることがあれば言ってくれ」
 バンジークスが言うと、亜双義はぱっと明るい表情になって頷く。
「勿論です!」
 そうして亜双義は、クリスマスの特別なディナーをどうするか張り切った様子で思案し始める。その楽しげで真剣な横顔に、また自分の中に降り積もるあたたかな思いを込めて、バンジークスは繋がれた手をもう一度小さく握り直すのだった。

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