一生


髪を乾かすのにドライヤーていうもんが出てきて、なんや妙に便利になったんはいいけど、嫁の風呂上がりのしっとりがスッキリしたからさあさあ寝よ寝よ、て顔になってるのはなんや残念ていうか、なあ、……て誰に言うてんのや俺は。
そんなわけで、買って来たばかりのしゃっきりしたレタスみたいなピカピカの顔になった湯上りの浴衣姿の志保が俺のいる布団を敷いた部屋までやって来たわけで、今日の夕飯の時の疑問をやっと口にすることが出来た。
「おい志保、今日なんやあったんか? 夕飯、仁志の好物ばっかりやんか。」
「あら、師匠、分かってもうた?」とにっこりと笑う志保の口元。
結婚した当時は、化粧を落としてもうたら、こいつ俺の好みとちゃうな、と生意気なことも思てたけど、こういうのも大概は見慣れるまでの辛抱ちゅうやつで、こうして見慣れてしもた今は、素顔の方が美人に見える。
「誤魔化すにも、もうちょっとうまくやったらええがな。品数も多いし、いくらなんでもあからさまやで。」
まあ、こんな稼業してたら、反面教師になる登場人物も多い。金出しとるのは俺やで、とまでみみっちいことは言わへんけどな、なんで夕飯にオムライスやねん、とは思うし、昼ならオムライスだけで終わってるとこにミートソースのスパゲッティに、栗ご飯のおむすびまで付いてて、デザートに牛乳寒天。なんぼなんでもあからさまやがな。
「草原も内弟子修行が終わって出てってしもたからて、ちょっとやりすぎとちゃうか。炭水化物ばっかりで胃もたれするで。」
「それがなあ、師匠。」とそこまで言ってふふっと笑って志保が近くに寄って来た。
「仁志、また失恋したみたい……。」
「はあ? あいつオレに何も言うてへんかったがな。」
「そらまあ、これで通算六度目ていうか。回数増えたって言うたら、お父ちゃんにまたからかわれる、てぼやいてたもん。」
六人もいてたか?
「五遍目くらいとちゃうんか?」
あいつ、最初は幼稚園のまいちゃん、次がお前の習いに行ってる三味線のおっしょさんとこの子で、小学校上がってミキちゃんやらトモコちゃんやらに立て続けにフラれてたやろ。これで五人。
「あの子、『最初の失恋はおかあちゃんやで。』て、ちゃんと言うてたもーん♡」
「そら俺に言わんでもええがな。…で、今日振られた子はどんな子や。」
「名前は言わへんかったけど、なんやちょっと気ぃが強い感じの子で、そういう子が時々もじもじしてるとこ見るのが好きなんやて。」
「へえ~。」
己の子ぉながら、今から妙ちくりんな趣味に走ってるていうか……。
「そういう手の子は、眼中にない相手とか友達には普段通りに振舞うてて、本命の前では猫かぶりして大人しぃにしとる、てとこやないんか?」
「さっすが師匠。ご名答! 仁志が失恋したてことは、きっとよそに好きな子がいてるんやわ……女の子は、男と違て、一途でいるのが美徳みたいなもんやからなあ。小さい頃なら特に、そういう子を振り向かせるのはほんまに難しいと思うわ。私も、仁志のこと、師匠みたいに男前に産んであげられへんかったしね。」
「いや、顔は関係ないがな。もうちっと大人になったら、面差しも今とは変わるかも分からへんで。」
「いやあ、仁志の顔つき、もう私の血ぃやて思うから。」と志保が笑って手を振った。
うーん。
「そんでも、お前みたいに優しいに育ってくれたら、そのうち誰ぞ見る目のある子が拾うてくれるんとちゃうか?」
「どうかなあ。仁志って、自分のこと好きな子のこととなると冷たいとこあるわ。出会った頃の誰かさんにそっくりやねんもん。」
「……そうか?」
「そうや。」
なんや分が悪ぅなってきたな。
しかしまあ、前の時は草原と一緒になって、どんな子や、何て言って振られたんや、聞かせえ聞かせえ、てやいやい言うてたのは記憶にあるけど……あれがそんなに嫌やったんか。次から気ぃ付けよ。



「別れえ、別れえ!」
「それが結婚届出してなかったみたいでな。」と草原が言うと、「今からでもオレと結婚しよ♡」と仁志は若狭の手を握って言った。
アドバイス料、て手を出した四草の次の出番でやることがこれかいな。
横で見ている草原も、口には出さないにしても『なんちゅう軽いプロポーズや。お前も芸人の端くれならもっと気の利いた言葉で口説かんかい。』と目で言うてるていうか……。
そもそも、いくら草々がおらんようになってのチャンス到来とはいえ、若狭はお前の漫才の相方になるために生まれて来たんとちゃうぞ。
まあ、仁志のことや。若狭と結婚したらあの鬼瓦みたいな御面相の親父と家族になるとか、一生あのおかあちゃんのツッコミしていかなあかんとかは、何も考えてへんのやろうな……あいつと違て。
器の違いとか今更言いたないし、お前、親が目の前で見てるてこと忘れてへんか、とか突っ込んだところで、もっと意味のないこっちゃ。
ただでさえ親子関係こじれてんのに、師匠、今更何言ってるんですか、て目ぇされて終わりとちゃうか?
まさか、二十年前の志保の予測がここまで的中してしまうとは思てへんかったけど。母親のカンちゅうやつは、なかなか侮れんもんやな。
お前に似てるのは顔だけになってしもた、て言うたら、いくら極楽でゆったりしてるとしても、志保のヤツも目を回すんとちゃうか?
まあ地獄に行ってるかもしれへんけど。
どのみち、どこにいても子の苦労は絶えへんていうか。こんなんでもええて言うてくれる気の優しい子がどっかから出てきてくれへんやろか、とは思うけど、まあ、ここまで性格出来てもうたら流石に無理ちゃうか?

(師匠! 私ら親が、仁志の幸せになることを諦めたらあきません!)

……そない言うてもなあ。あの草原ですら、こらアカンわ、て顔になってるで。
将来のこいつの隣には、志保に似た優しい子にいて欲しいとは思うけど、そないな贅沢は言わん。誰でもいいからこいつをどないかしてくれる子がいたら、俺は一生その子に感謝したるわ。

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