天獄(アングラアンソロ)
覗きと秘密とは表裏一体だ。隠れているから覗きたくなる。正体を知りたくなる、暴きたくなる、その手を掴んで引き寄せて、白日のもとに晒してやりたくなる。
「『のぞき部屋』って知ってます?」
なにしろ覗きは平安時代から連綿と受け継がれる、本邦の由緒正しき文化だ。バンプオブチキンが見えないものを見ようとして覗き込んだって言ってるのもそれだ。……ウソウソ冗談だからファンのひとは怒ンないで。
「……聞いたことくらいはあるぜ?」
「へえ! 俺知らなかったっすよ。八十年代とかに流行ったんでしょ? お客さんから良かったって聞いて、気になって」
「そりゃ結構な懐古趣味だなァ」
つっても俺っちもリアルタイムには知らねェけどな当然、と内心でごちる。
──ここは眠らない街。頭上にネオン、足元にはゲロ、夢と金と下心でできた虚像の街。
この辺り一帯の元締めである『天城組』の名と俺っちの顔を知らねェ奴はいない。そして勿論、俺っちはこの街のことをなんだって知ってる。と自負している。
その俺っちが今日、初めて、耳にしたのだ。この街のどこかにあるはずの、とある得体の知れない『店』の噂を。
「ここらにあンのか?」
「らしいっす。けど天城さんも知らないなら誰も知らないんじゃないですかね」
「あァ? 俺っちが知らねェなら誰の許可取って営業してンだよ」
「警察に決まってんじゃないですか」
「るっせェな、ンなこと聞いてンじゃねェっての」
正体を突き止めねェと気が済まねェ。俺っちはすぐさま夜に身を投じ、自ら情報収集を開始した。
噂の中身はシャバシャバのスープカレーくらい薄っぺらだった。ある嬢は街の外れにあると言い、あるキャッチの兄ちゃんは信じられないくらい地下深くにあると言い、あるクラブのオーナーは受付の男がやたら怖いのだと言った。
そんな中、ある情報筋から仕入れたネタがどうしても引っ掛かった。なんでも〝この世のものとは思えない美貌のキャストがいる〟とかいう、話。
(嘘くせェ……)
地下へと続く階段を前に、未だ信じられない心地で見下ろす。辺鄙なとこにあるから辿り着くまでに一週間もかかっちまった。
看板はない。代わりに革靴で踏みしめた赤いマットには『ようこそ コズミック天国へ』と古めかしいフォントが躍る。レトロどころの話じゃねェっしょ、大丈夫かここ。
すこしの不安に駆られながらも、俺っちはライダースのポケットに両手を突っ込んだまま階段を降り始めた。
「天国っつか、地獄にでも繋がってンじゃねェの……」
途中心細さに襲われてそんなひとり言が零れるくらいの、長い、長い階段。しかもえらく暗い。このへんで怖気づいて引き返す奴もいそうだ。
底に着いたらすぐドアがある。重たい鉄扉を押し開けると、中は予想に違わず薄ぎたな……レトロで、しかし想像以上に狭かった。待合は大の男が四人も入れば結構な圧迫感を覚えるだろう。おそらく白かったはずの壁紙は、煙草のヤニで真っ黄色に染まっている。
「ようこそお客さま、のぞき部屋『コズミック天国』へ! 敬礼〜☆」
「うわっ」
よく響く大声に思わず一歩後ずさった。例の受付の男か。ハキハキと明瞭な発声に、貼り付けられた完璧な笑顔。そして表情とは裏腹に威圧的な態度。なんつーかこういう不健全な店より、軍隊とかの方がよっぽど似合いそうだぜ。
さて、シャバシャバの噂で聞いた事柄は、今のところすべてが事実ときている。──ということは、だ。
「……ども。初めてなんすけど……『ヒメル』ちゃん? 目当てで来ましたァ」
「HiMERUをご指名ですね、有り難き幸せであります! ご新規さまごあんなあい! ……オプションはどうなされます?」
──ほんとにいンのか。
件の〝美貌のキャスト〟、変わった名前だから覚えていた(キャスト表を見るに表記はアルファベットらしい)。あとは実際に対面するだけというわけだ。俄然楽しみになってきたっしょ。
「お客さまも見にいらしたんですよねぇ? て・ん・ご・く。手が二千円、口が三千円! お触りは上半身まで、たいへん貴重なキャストの脱ぎたてパンティもお求めいただけますよ! ぜ〜んぶうちだけ、ぜ〜んぶ破格! いかがです?」
「ん、あ〜……特にいいっす」
よく喋る眼鏡のそいつをやんわりと躱す。俺っちは何も愉しみに来たのではない、これはあくまで偵察なのだ。すると途端に態度が一変し、「ッチィッ‼」と大音量の舌打ちが飛んだ。間髪入れずにズイと掌が差し出される。レンズの奥の大きな目がすうっと鋭さを増した。なんだこいつ、一切の隙がねェ。
「スマホ、カメラ、PC。撮影可能な機器はすべて預けて行ってくださいね、お客さま?」
「……そういうことね」
受付の奴いわく、万が一盗撮などの狼藉をはたらいた場合、高額な罰金を請求するそうだ。逃げようもんなら個人情報を調べ上げて支払うまで粘着するし、職場に凸ることもあるとか。つまり社会的に死ぬ。「うちは税金もきっちり収めている優良店でありますよ!」とのことだが、やっていることはシノギのそれだ。
「それではいってらっしゃいませ! 敬礼〜☆」
大人しくスマホを預けた俺っちは先に待合にいた連中の最後尾につき、スタッフに従って個室へと通されたのだった。
ゴミ箱とボックスティッシュ、真ん中に椅子がひとつ。部屋とも呼べないような窮屈な空間に閉じ込められ、俺っちは嘆息した。まるで牢屋だ。まあ、滞在してもせいぜい十分程度の、抜くためだけの場所なのだから文句などないが(あるとすれば隣のブースとの仕切りがただのベニヤ板ってとこくらい)。
入って正面のガラスはマジックミラーになっているようで、あちら側は暗いがステージらしきものが認められる。成程な、ここから一方的にエロいおね〜さんのパフォーマンスを覗きながらシコってどうぞってわけか。
個室に通されてすぐ、機械的な女性の声でアナウンスがあった。ご丁寧に往年のディスコ・ミュージックのBGMつき。俺っちはタイムマシンの入口でもくぐっちまったンだろうか。
アナウンスによれば行程はキャストによるショーが十分ほど、その後オプション希望の人だけ個室に残り、手だの口だのでサービスを受ける。以上。
(確かにこれは手軽でいいかもなァ……。お?)
スピーカーから垂れ流されていたビー・ジーズの曲が最新のイカしたEDMに切り替わった。同時にマジックミラーの向こうに照明がともる。地鳴りかと勘違いするほどの爆音がズムズムと内臓を揺らし、音楽に合わせて点滅する色とりどりのライトが網膜を焼く。
「な、なんだこりゃァ……」
つい口をついて出たのは感嘆。昭和の遺物のような場末の寂れたのぞき部屋に、馬鹿みたいに豪奢なステージが設えられているのだから当然のリアクションだ。こんなもん、ハイクラスのVIPしかお迎えしない高級クラブでも見たことがない。
なんかとんでもねェとこに来ちまったな。ごしごしと目を擦ったのも束の間、俺っちはもっととんでもねェもんを目にすることになる。
はたと、時が止まった。パノプティコンの刑務所よろしくステージをぐるりと取り囲んだブース全体が、息を飲むのがわかった。ご登場だ。
濃いピンクのライトが満たす空間に現れた『HiMERUちゃん』は、俺っちたち全員を見渡すようにして中央でゆったりと一度、回った。照明の具合で色まではわからないが、中華風の飾りがついた衣装を翻し、優雅に一礼する。
オーバーサイズのジャケットを持て余したような華奢な肩、そこから伸びる細い腕。つーか全体的に細いし長い。ヒール履いてっけど普通に身長百八十近くあるンじゃねェの? オッパイとケツはぺったんこみてェだけど、どちらかっつうとスレンダーな子がタイプだから無問題。さて次はご尊顔を拝見してやりますかねェ、なァんつって軽い気持ちで視線を滑らせた俺っち、度肝を抜かれた。
「……」
HiMERUちゃんが腰をクネクネさせて踊ってるってのに脳はフリーズ。あんなにうるさかったEDMはとっくに聞こえねェし手足の感覚もねェ。雷に打たれたらこんなかんじかも。とにかくそのくらいの衝撃。
果たして〝この世のものとは思えない美貌のキャスト〟は本当にいた。言うなればひと目惚れだった。流れにのっとって一応ちんぽを出して椅子に座っていた俺っちは、マスをかくのも忘れてただただショーに見入った。
(う、わ……)
誘うように尻を揺らめかせながら、HiMERUちゃんは身に着けているもんを次々脱いでいった。ジャケットを肩から落とし、中に着ていたノースリの衣装は、思わせぶりにチャイナボタンを外してからゆっくり片腕ずつ抜く。ゆるいシルエットのパンツも脱ぎ捨てて、あらわになった肢体に釘付けになった。
(──男ォ⁉)
うっそだろ。あまりの驚きにマジックミラーに齧り付いてしまった。何色のパンツ履いてンのかな、じゃなかった。HiMERUちゃんのふっくらした股間を覆っていたのは、レースでもTバックでもなく黒い革製のジョックストラップだったっつーわけ。ンなことある?
(待て待て待てェ! 『HiMERUちゃん』じゃなくて『HiMERUくん』じゃねェかよ! こんなん納得できるかァ!)
堪えきれずにブンブンと激しく首を振る。俺っちが見に来たのはエロいおね〜さん! そんで俺っちはドのつくノンケ! いくらビジュアルが百億点だからって野郎相手に勃つわけがねェ! そんな公然の事実を縺れる脳内で必死に喚き散らす。
呼吸の間隔が短くなる。てめェの身体のことだ、本当はよくわかっていた。今この瞬間、そこで踊っている『男』をわけもわからぬまま呆然と見つめて、しかし異常なまでに高揚してムスコを固くしているのもまた、覆しようのない、事実。
なんだこれ。なんだこの状況。うおおおおお鎮まれ俺っちの海綿体‼ ……あ、ちょっと涙出そう。
俺っちの戸惑いは、なぜか涙腺へダイレクトに響いたらしい。開き直ることもできず、涙目になりながら竿を扱く。あ〜もォ気持ちいい。情けなさと興奮とで視界が回りそうになった、その瞬間である。
目が、合った。
「は?」
うっかり声が出た。音楽の中を揺蕩いながら、悩ましげに身体を撫で上げたり撫で下ろしたりしていたHiMERUちゃ──もうメルメルでいいや。メルメルが、確かにこちらを見ていた。
毒々しさすら感じる真っ赤な照明の下であるのに、その瞳が蜂蜜みたいな濃い金色に蕩けているのが、直感的にわかった。手の中のものがぐぐっと質量を増す。
(──ッなわけ、ねェっしょ! マジックミラーだっての!)
だがその視線を裏付けるように、彼はおもむろにこちらへ歩いてきた。そして、
「キャーーー!」
あろうことか目の前のガラスに裸の胸を押し付けてきやがったのだ。そりゃ悲鳴も出るってもんっしょ。
一度両手で顔を覆ってしまった俺っちは、照れつつもメルメルの肉の薄い胸と色素の薄い乳首をじっと視姦した。蠱惑的なまなざし。細く、見とれるほどにしなやかな肉体が、ひどく誘惑してくる。触れようと手を伸ばしても、指先に当たるのは冷たく透明な壁のみだ。その上こっち側で歯噛みしてる俺らのツラはキャストにゃ見えねェってわけだ。向こう側から見たらただの鏡なんだからなァ。
ようやく理解ってきたぜ……のぞき部屋、なんて酷なサービスなんだ。許せねェ。
そう思った時にはもう虜になっちまってる。そんでたぶん、リピートする時はオプション全部盛ってる。男とは斯くもどうしようもない生き物。
ひたすらちんぽを擦っているうち、爆音のEDMに爆音の女の喘ぎ声が混ざりはじめた。ショーが終盤に差し掛かった合図なのだろう。
メルメルは俺っちにしたように各ブースを冷やかしてから、ステージに横たわって長い脚を大きく開き、股間を見せつけるようにして公開オナニーを始めた。この位置からは小ぶりで形のいい尻がよく見える。オーディエンス側も呼応するかのようにヒートアップしていく。ただでさえジメッとした地下空間の湿度が、更にもう一段階上がった気さえする。
BGMが佳境に入ったところで、メルメルは全身を震わせてフィニッシュしていた。他人が射精してるとこなんて生まれて初めて見たが、妙に引き付けられて目が離せなかった。謎の悔しさを覚えたまま、俺っちもティッシュに発射した。
「ああお客さま、お帰りになるにはまだ早いかと。もうしばしお待ちいただけませんか!」
深すぎる賢者タイムをやり過ごし、そそくさと店を出ようとした時だった。あの受付の男が元気いっぱいに声を掛けてきたのだ。うげ、俺っちこいつ苦手。
「なんッの用だよてめェ、オプションなら頼んでねェっしょ。ド〜モお世話になりましたァ」
男は俺っちのキツ〜いひと睨みにも一切臆することなく、わざとらしい笑みを絶やさずに──しかし声をひそめて──短く告げた。
「『逆指名』であります♡」
「はあァ⁉」
「一名様ごあんなあい! さあどうぞ〜☆」
「いや、ちょっ待……力強ェなあんた‼」
今度こそ何を言ってンのかわからねェ。胡散臭い蛇のようなそいつは、困惑する俺っちの背中をぐいぐい押して強引に『進入禁止』のプレートがかかった扉の先へ押し込んだ。がちゃんと無慈悲な音がして外から施錠されたことを知る。
「なんだってンだよ一体……」
中は仰々しいラブホみたいな内装だった。天蓋つきのでかいベッドが真ん中にでーんと鎮座しているだけで、他に家具はない。なんつーかヤるためだけの部屋ってかんじ。先程の蛇野郎の言葉を頭の中で繰り返す。『逆指名』。まさかそんな、いやまさか。
「──お待たせしてしまいましたでしょうか」
背後から掛けられた声に、しばらくの間ベッドの脇に立ち尽くしてブツブツ言っていた俺っちは、慌ててドアの方を振り返った。初めて聞く声なのになぜだか確信があった。
「メル……HiMERU、さん」
「はい。あなたのHiMERUが来ましたよ」
にこ。パフォーマンス中とは質の違う上品な笑顔を浮かべ、素肌に黒いベルベットのローブを纏ったメルメルが歩み寄ってくる(おい待て嘘だろエロすぎるっしょ⁉)。
「歓迎しますよ。天城燐音」
「あ?」
思いがけず名を呼ばれ、眉間に皺が寄った。警戒心をあらわにした俺っちに、男は婀娜っぽい笑みを更に深めた。
「なぜ、という顔をしていますね。この街に『天城組』の名とあなたの顔を知らない人間はいない。あなたが自分で言っていたのですよ、一ページ目で」
「おめェコラ一ページ目とか言うンじゃねェ、あとモノローグを勝手に拾うンじゃねェ」
ついうっかり脊髄反射で生来のツッコミ気質を発揮しちまったがそれはいい。俺っちの気にしてンのはそこじゃねェからだ。
「なァあんた、メルメルよォ。客を『指名』たァどういうことだ? きっちり説明してくれンだろ?」
優雅に脚を組んでベッドに腰掛けたそいつは「メルメル? ……ああ、HiMERUのことですか」と小首を傾げた。くっそあざとい。ローブの裾が捲れて生っちろい太腿が晒されるのを、野郎相手だということも忘れ、息を飲んで見つめた。
「そうですね、何から話しましょうか……ええ、あなたは動揺していますね。一体何が起きているのか、なぜよりによって自分が選ばれたのか──と」
「当たり前っしょ」
じとりと睨めつけてもメルメルは動じず、それどころか更にとんでもない発言を重ねた。
「──覗くのが『そちら側』だけの特権だと、本当に思っているのですか?」
だとしたら滑稽です、と。心底可笑しそうに唇を歪めて言う。
「な、に言ってンだ、マジックミラーだろ……?」
「マジックミラーだと、思い込んだだけ。でしょう?」
「……!」
言葉を失った。確かにそうだ、あのガラスをマジックミラーだと断じたのは俺っち自身だ。そのように説明されたわけではない。勝手にそういうもんだと考えただけだ。
「ふふ。こちらからも丸見えでしたよ? あなたたちが夢中でオナニーしているところ……♡」
「おいお~い、客のプライバシーをなんだと思ってンだこの店は?」
「一方的にHiMERUたちを消費しておいてよく言う」
そう言われてしまうとぐうの音も出ねェ。なんだか叱られてる気分だ。気持ちよくシコりに来たってのにとんだおもてなしっしょ。
「──ね、ほら。我々にも『指名』する権利があると思いませんか」
「はァ……まァそうだな、ビビったけど理屈はわかった。ンで? どっちかってェと俺っちを呼んだ理由の方が知りてェんだけど」
この俺が『組』の重役であると知った上で、こいつは俺っちを『指名』した。狙いはなんだ。金か。力か。大穴で復讐か。
男は「決まっているでしょう?」と、嫣然と微笑んだ。
「ン、ああッ♡ ァ、あ! っう♡」
「……っ、く……」
上に跨って好き放題動く男を見上げ、奥歯を噛み締める。そうでもしないと持って行かれちまいそうだ。
メルメルは後ろの孔で俺っちを咥え込み、上下に腰を揺すっては時折ぎゅううと締め付けてくる。恍惚に溶けた表情で一心に快楽を追う姿は正直言って目に毒だ。ぶっちゃけすぐにでも出ちまいそう。けどそれは悔しいから歯ァ食い縛って耐えてるわけだが。
「はっあ♡ ああ、これです……♡ ひめ、るは、ァっ♡ これが欲しかったのですっ♡」
「ッぅ、締めンな……」
「ふふ♡ イッても良いのですよ……♡ ね、HiMERUのナカでイッてください、ほら♡ ほぉら♡」
「~~っ! てンめェ覚えてろよ……ッ」
負け惜しみを吐きながらも、うねる肉襞の奥へと誘われるがままに精を放ってしまう。ここまで早業すぎてゴムを着ける暇すら与えてもらえなかったからナマ中出しだ。女の子ともこんなことしたことねェってのに。
「ああ……あっつい♡ 天城の、ナカでどくどくしてる♡ もう三回目なのに、まだ足りないのですか……?」
「はっ。馬鹿言え、足りねェのはおめェの方っしょ?」
噛みついて離すまいとするやらしい孔を揶揄してやれば、「ご名答」と笑う。
腹の上に乗っかったメルメルはうっとりと目を細め、こちらの腹筋に手をついて上体を倒してきた。間近に迫る整った顔、さらりと流れた髪からほんのりと甘い香水が香る。ああクソ、酔いそうだ。
「なァ……、何人目だ?」
思いのほか低い声が出た。ぴたりと動きを止めた彼は、温度のない視線で俺っちを舐めた。
「なんの、話です?」
「とぼけンな。俺っちで何人目だって聞いてンだよ」
はじめは自分が特別なのだと思った。こいつは俺っちの立場を利用したいのだと。だが途中から何かが違うと感じはじめた。
この謎めいたうつくしい男の望み。それは、そう、身体を重ねている間こいつ自身が何度も口にしている。〝これが欲しかった〟と。
「おめェはあのステージから客を品評してンだ──客っつうか客のちんぽをな。趣味の悪りィこった。そんでおめェのお気に召す竿役が見つかったら、こうして『逆指名』して部屋に誘ってる。違うか?」
メルメルは間違いなくこの店の稼ぎ頭だ。あの胡散臭い眼鏡の蛇野郎は、おそらくこいつのご機嫌を取るためにこの行為に加担している。結果良いパフォーマンスを発揮してくれるなら安いもんだろう。そこまでする価値のある男だ、たぶん俺っちでもそうする。
「──あのステージ。監獄のようだと思ったでしょう?」
「あン? それがなんだ?」
「HiMERUは看守。あなた方は囚人。囚人の健康状態を観察し管理するのもHiMERUの仕事。そんなHiMERUに貢献する機会を与えて差し上げるのも、HiMERUの仕事なのです」
自身の麗しい見目をこれでもかと活用する性悪な男は、ひとを誑かす魔性の顔をしてわらう、笑う、嗤う。
「今までのお客さまは皆、『HiMERU』に尽くせることを心から悦んでいましたよ?」
歪んでやがるな、と言いかけて口を噤む。俺っちの燐音くんはまだメルメルによって咥えられたままだ。下手なことを言えば捥がれるかもしれねェ。
「この店は本番禁止のはずだけど? 摘発されたらオシマイだぜ、あんたら」
「他言無用ですよ、勿論。ここを出る頃には言いふらす気なんて起きませんから。誰も。誰ひとりね」
とっておきのいい思いをした奴が、他の奴にそのとっておきを教えるか? 答えは否だ。人間とは得てしてそういうもの。不遜な響きからは〝誰かに教えようだなんて考えられないほどのいい思いをさせてやる〟という自信が窺えた。
「──この男だ、と思ったのですよ」
不意に声のトーンに真剣なものが混じった。金色の瞳が熱っぽく蕩ける。
「あなたを、『俺』のものにしたい」
──俺を、じゃなくて俺のちんぽをだろうがふざけンな‼
そう叫びたい気持ちを押し殺して俺っちは唸った。
ああもう、わかったよ。そっちがその気なら受けて立ってやる。勝ちは譲らねェ。俺が先におめェを陥落させてやろうじゃねェかよ。
「……。よっ、と」
「うぁっ⁉」
俺っちは腕に力を籠めて跳ね起きた。やられっぱなしは性に合わねェ。ずるりと抜ける感覚に声を上げたそいつをシーツに沈め、逆に見下ろす形になる。
「主導権を執るのが随分とお好きみてェだな?」
「っ、なに、を」
──ここまでやりたい放題やらせてやったンだ、こっからは俺っちの好きにさせてもらうぜ。
「……おめェさ、さっきイッてねェっしょ」
硬さを取り戻した幹を入口に擦り付けてやると、ぱちぱちとまたたく金色は明らかに困惑を湛えていて。
「俺だけヨくなってちゃ不公平だよなァ?」
「っん、ぅ……」
「欲しいンだろ? くれてやるよ」
返事なんか待ってやるもんか。言い終わらないうちにぐぐっと腰を進めた。とっくに柔らかく解れたそこは、俺っちの自慢の逸物を難なく飲み込んでいく。
「うそ、待っ、ア、──あ゙っ♡」
高い嬌声を放ち、メルメルは射精せずにあっさりイッた。大きく背をしならせた拍子に目の前に突き出された薄い胸、そこにぽつりと存在する乳首に躊躇いなく齧りつく。
「ぅひいっ♡ や、だ今は、ぁ♡ やめッああ♡」
「あ〜あ〜、挿れただけでガチイキじゃねェかよ。大丈夫かァ?」
この〝大丈夫か〟は別に奴を心配しての発言ではない。
「まだまだこっから夜は長ェんだぜ? さっさとへばるとかやめろよ……な!」
「あううッ♡」
突き当たりまでの数センチをずんと押し込めば、顎を反らして絶頂する。そっちから誘っといて先に寝るなんて絶対ェ許してやらねェ。今夜は俺っちが満足するまで付き合っていただく予定だ。今決めた。
仕返しとばかりに激しく抽挿する度、組み敷いた男はぼろぼろと涙を流して悦ぶ。
「あっあ♡ あ〜♡ またイッて、ゆ♡ いく♡ あまぎのちんぽでイくの止まんな、ァん♡」
「は、こンの、ド淫乱がよ……っ!」
わざとこちらを煽るような媚びた声。乗せられていることをわかっていつつも、打ち付ける腰を止められない。俺っちは歯軋りしながら何度目かの中出しをした。腹ン中が濡れる感触にも感じるのか、メルメルがびくびくと腰を跳ねさせてまたナカで達した。
「っはあぁ♡ でて、る♡ すっごい……♡」
震える息を吐き、手で腹をさする仕草に、いとも簡単に火を点けられる。理性なんてとうにどこかへ置いてきていた。
「ナカイキばっかじゃつれェっしょ? こっちも弄ってやるよ」
だらだらと我慢汁を零すだけで一度も射精に至っていないメルメルのメルメルに手を添える。おう、ご立派。そこへ無遠慮に触れると「ひゃあんっ♡」と色めいた泣き声が飛んだ。
「ほォら出していいぜェ~」
竿を握った右手を数回上下させればあっという間に頂上だ。とぷりと濃い白濁が先端から溢れ、俺っちの指を汚す。
「なァに休もうとしてンだよ」
「あっ⁉ ん♡ なに……」
ほんの出来心で。イッたばっかのこいつをもっと苛めてみたらどうなるンだろって、気になって、それだけ。
扱く手を更に早めた俺っちを、奴は信じられないものでも見るみてェに大きく見開いた目で凝視してくる。半分開いた口からはひっきりなしにだらしない音が漏れだす。
「やだぁ♡ あま、あまぎっ♡ とめて、ぇ♡」
「ん~? なんで?」
張り出した部分でナカのイイところをしつこく捏ねつつ(男とヤるのは初めてでも反応でわかる)前を扱く手で追い詰めていく。さっき溢れた精液の滑りを借りて、先端も丁寧に擦ってやる。いよいよ泣きそうに顔を歪めたメルメルが悲鳴を上げた。
「ぃや、ああア♡ だめっ♡ でぅ♡ でるからぁあ♡」
「……お?」
肩に乗せている両脚がガクガクと大仰に揺れはじめる。刹那。ぷしゃああ、と尿道口から透明な液体が吹き出し、俺っちはぎょっとして身を固くした。
「──ッ♡ ぅ、あ♡ は♡」
「……、……」
息も絶え絶えに余韻に打ち震える男と、さらさらとした体液で濡れた掌を交互に見下ろす。咄嗟に舌を出して舐めてみたけど無味無臭。へェ、これが。
じわじわと事態を理解した俺っちは、にんまりと口角を持ち上げて。
「な~ァ、メルメル……潮吹き、上手にできたなァ♡」
──俺の勝ち。
どうやら初めてだったらしく未だ瞠目しているそいつに、もう一度ぐいっと強く腰を押し付ける。そこは誂えたようにぴったりだ。なァ、おまえもそう思うっしょ?
キスを贈るとぬめる舌が熱烈に迎え入れてくれる。熱い口内をめちゃめちゃに荒らし、ふたり分の吐息と唾液とを混ぜ合わせ、溶けあう。鼻に抜ける声が胸焼けしそうなほどに甘い。くっつけていた舌先は離してもくちびる同士は依然擦り合わせたまま、内緒話をする。
「ほらな。おまえが俺のもんになンの。わかったかよ?」
ただでさえ何度もメスイキしてすっかり俺に(俺のちんぽに!)夢中なはずだ。捕らえられたのは俺じゃねェ、おまえだよメルメル。
「ん……っ♡ 天城、」
「見せてくれるンだろ? 天国」
これじゃ足りねェなァ。
低く掠れた囁きに、俺っちを包む柔肉が呼応するかのように蠢いた。
天国は誰に対しても開かれちゃいるが、誰でも簡単に辿り着けるってわけじゃない。隠された入口を暴いてそこへ踏み入ったら最後、出口のない誘惑に身を投じることになンのさ。まるで檻みてェっしょ。
ともあれ俺っちに見つかっちまったメルメルは、暴かれる快楽の虜になった。他人の浅ましい姿を覗いては食い物にしてた奴が、俺っちの前でだけは身体のいちばん深い場所を晒している。謎めいた美貌の男には更なる秘密が増えたってわけ。な、覗きたくなっただろ?
あン? それからあの店のことを誰かに話したかって?
──さァてねェ、どっちだと思う?
(BGM 椎名林檎『公然の秘密』)
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