曼珠沙華

体だけでもと思ったのは自分だったはずだ。その願いは叶えられてるのだから、これ以上は必要ないと諦めたはずなのに、日々空しい気持ちが降り積もっていく。そう思いながらも、関係を断ち切ることもできなかった。

だからこれは罰なのだ。

──ゲホッ、ェホッ…ぐ、ぅっ…
花を吐いた。それは鮮やかで、美しいのに、この世で一番醜い花だだろう。俺の想いは、恋なんて美しいものじゃなく、執着にまみれた汚い感情でしかない。そのせいか、俺が吐いたのは、故郷の墓場で見た、赤い花だった。毒があるから食べちゃ駄目だよ、そう師匠に言われたことを、ふと思い出す。そんな花が、ぽろぽろと零れ落ちたのは、よりによってトラ男の前だった。

「おい、ゾロ屋。お前なんで…」
信じられないものを見たような顔をして、男が俺に詰め寄る。
「どうして!何で花なんて吐くんだ!」
なんでそんなに男は慌てているんだろう、他人事のように思った。
「おい、これはなんか問題があるやつなのか?」
「…正式名称は『嘔吐中枢花被性疾患』、通称『花吐き病』という病だ」
苦しそうな顔をして、ぼそぼそと男が答える。
「あ?俺が病気になんてかかるわけないだろ?」
「これは、普通の病とは違うんだ。簡単に言えば、片想いを拗らせると、口から花を吐き出すようになる」
びくり、とした。思い当たる節がありすぎる。男に会ってから、何度も否定して、拗らせて、忘れようと思って、それでも捨てられなかった想いがある。開き直ってからは、ずっと隠したまま、偶に再会した時に、酒を酌み交わせればそれでいい、そう思っていた。男から他愛のない話を聞くだけで楽しくて、それを肴に飲む酒は美味かった。なのに、俺が男の欲を受け止めるようになったのは、相手のどんな気まぐれかわからないが、俺にとっては僥倖でしかなかった。しかしそれは、俺の中だけにあればいい想いだ。決して男に気取らせるわけにはいかない。悪ぶってはいるが、情にもろくて優しい男だから、きっと自分が答えられないことに思い悩む。男を煩わせたくはなかった。俺は、誤魔化すように、何とか話題を変えようと試みた。
「そんな珍妙な病があるのか。改めてグランドラインってのは不思議なとこだな」
「下手な誤魔化しはよせ、ゾロ屋。相手に心当たりがあるんだろ?」
さすがに察しがいい。だけど、俺は嘘を貫き通す。
「はっ?あるわきゃねえだろ」
「…ならなんで、花を吐いてるんだ」
「しらねえよ…ここは新世界だ。どんなことがあってもおかしくないだろ」
「俺はお前が…いやいい。なあ、なんでお前は俺と寝てるんだ?」
何故か、辛そうな顔をした男が、俺を問いただす。
「また唐突だな。そりゃ、体のいい性欲処理、お前もそう思ってんだろ?」
その時俺は自分の感情に手いっぱいで、男が傷ついたような顔をしたことも、小さな声で呟いた内容にも気づかなかった。
「そうか、そうだな。しかし、おれは医者だ。お前の病を治す義務がある」
「はっ!いらねえよ、俺にはチョッパーがいる。病気なら、あいつにみせるさ。おい、何もしねえんなら、帰るぞ」
そういうと傷ついたような顔をして、男はポツリと呟いた。
「…結局、俺とお前は体しかないんだな」
男の情に付け込んで、体だけでもとあさましく強請っている俺には、そんな言葉に傷つく権利なんてない。だから、この胸の痛みも気のせいだ、そう思いながら言葉を返す。
「今更、何言ってんだ、トラ男。それ以外あったのか?」
何故か、能面のようになった顔から、想像した通りの答えが返る。
「そうだな、お前の言う通りだ」
そうして、いつものように体だけを求めあった。ただ、その日はいつもより乱暴だった気がしたが、それも仕方がないのかもしれない。体にしか用事のない相手が、不具合を起こしているのだから。次にあうまでには治さないとな、そう思いながら俺は男と別れた。

しかし、トラ男にはああいったが、チョッパーにこんなことが相談できるはずもない。幸い、花を吐くことは少なかったので、なんとか仲間には誤魔化せていた。こんなのすぐに治る、そう簡単に考えていた「花吐き病」だったが、いつまでたっても治ることはなかった。この病は「両想いになる」か「恋を諦める」ことでしか完治しないらしい。両想いなんてなれるはずもないんだから諦めるしかないと思うのに、それすらできない、女々しい自分が無様だった。いっそ、花を吐くごとに、トラ男への気持ちがなくならないものかと考えてはみるが、逆に吐いた花を見るたびに、想いは募るばかり。自分の想いながら、ままならない感情と吐いた花に、イライラするしかなかった。吐く花はずっと同じ。墓場に咲く赤い花で、偶にそれが白くなるぐらいだった。俺の気持ちは墓場いきか、花にすらそう言われているようで、笑うしかなかった。

なのに、トラ男と再会すれば抱き合うことはやめられなかった。すっぱり合わない方が諦められると分かっていても、男に会って誘われれば断ることなんてできずに、生産性のない関係をずるずると続けていた。
「結局、お前は男ならなんでもいいんだろ?とんだビッチだな」
「ふっ、そうかもな」
仮にもさっき抱いた相手にいうことじゃねえだろとは思ったが、そう思われてるなら都合がいい。誰にでも抱かれるんだから、お前に抱かれてもおかしくない。俺は、お前としか抱き合いたくないけど、そんなことが言えるはずもない。男の言うことを否定せず、静かに笑った。

そんなやりとりがどう影響したのかわからないが、花を吐くまでは「そこまでしなくてもいい」とこちらが文句をつけるぐらい丁寧に抱いていたのに、最近はこちらの反応などみずに乱暴に抱かれることが多くなった。それに傷つかないと言ったら嘘になるが、やつの思う「ビッチ」にふさわしい対応なんだろう。体質のせいか傷は治りやすかったし、戦闘で負う傷よりはるかに軽傷なので、男が気が済むならと好きにさせていた。なにより、そんな痛みでも、男から与えられるものだと思えば、その痛みすら愛しかった。

考えてみれば、花を吐くまでは正面から男を見ることが多かった気がするが、最近は後ろからが多い。男が俺の胎内でイくときの顔を見れないことだけが、残念だ。男に胎内を突かれながら、ぼんやりとそんなことを考えていたのが悪かったのか、そのタイミングで俺は花を吐いた。最悪だ。男の性処理にすら、まともに付き合ってやれないなんて。そう思っても、口から出る花は止まってくれない。こんな病気持ちと付き合うのも面倒だろう、こいつに抱かれるのも今日が最後になるかもしれない、諦めとともに花を吐き続けた。
いつしか、胎内にあった男のモノはなくなっていた。気が付いたら、男は俺の背を撫でながら、心配そうな顔で覗き込んでいる。優しい男だ、やっぱり好きだ、そう思って男の顔をぼんやりと眺めていた。
そんな男の顔がくしゃりと歪む。どうした?何か辛いことでもあるのか?そう思うが、花を吐き続けているため、問いかけることも出来ない。
「なあ、ゾロ屋。やっぱり相手はわからないのか?」
もう役に立たない処理の相手すら心配するのか。本当にお前は甘い男だ、そう思いながらも、心配されたことで、胸の奥があったかくなる。でもやっぱり俺は、男に真実を告げるつもりはない。なんとか息を整えて、男に変わらない応えを返す。
「わからねえ」
そう答えるしかない俺に、男は意を決したように俺を見た。
「ゾロ屋、誰かわからないなら、俺を想ってくれないか?」
男が言い出した内容がよくわからなかった。もう既に俺は、男に惚れている。だいたい俺だけが惚れたところで、病気が治るわけでもない。なんでそんな意味のない提案をしてくるんだろう。これ以上、俺を惨めな気持ちにしないで欲しかった。
「俺に惚れてくれれば、その病気は治るんだ」
苦しそうにいう男を見るのが辛かったが、不思議なことをいう。なんで男に惚れれば、病気が治るんだ?「両思い」か「諦める」しかないんだろ?そんな疑問が顔にでていたらしい。男がゆっくりと話し始めた。
「俺はお前に惚れてるから、お前を抱いた。だからお前さえ俺に惚れてくれれば、両想いになれる。そんな理由でも構わないから、どうか俺を愛してくれないか?」
はっ?トラ男が俺に惚れてる?自分が聞いたことが信じられなかった。
「幻聴か?トラ男が、俺に惚れてるって聞こえたんだが」
「幻聴じゃねえ、そう言った」
とても信じられなくて、矢継ぎ早に問いかける。
「いつからだ?そんなそぶりはなかっただろ?」
そんな俺の言葉に、男はため息をつく。
「やっぱりわかってなかったのか。最初からだ」
「最初から?!」
全く気付かなかった。というか、男から今の今まで「惚れた」なんていう言葉を聞いたことがなかったんだが…
「北の海では、『故郷に連れていきたい』と言うのが、告白替わりになるんだよ。俺は、お前に言ったよな?『いつか、北の海に連れていきたい』と。それに了承してくれたから、俺の気持ちは、ちゃんと伝わってもんだとばかり思っていた」
そう言えばそんなことを言われたような…しかし、出身が違えば、常識も違うんだな、言われたことが処理しきれず、現実逃避でそんなことを考える。
「だけど、お前が花を吐いて気づいた。お前は俺に惚れてるわけじゃなかったんだなと。なのに、お前は抱かれるのを拒まない。どういうつもりなんだと悩んだよ。身体だけ手に入れてもと思ってみても、お前を抱くことはやめられなかった」
男は俺の目をじっと見つめる。
「最初は嘘でもいい。だけど、いつか絶対お前を惚れさせて、そんな病なんて直してやる」
そういう男の顔がまぶしくて、俺は思わずうつむいた。その時だった。喉からせりあがる違和感に胸がつまる。我慢しきれずに、膝まづいてせき込んだ。
「ゲホッ、ぐぅッ……」
「大丈夫か!ゾロ屋!!」
男が、背中を撫でてくれているのを感じる。それがどうしようもなく嬉しくて、きちんと言葉を返したい、そう思った。
「トラ男、俺な…」
言いかけた俺の声を遮って、男が声をかけてくる。
「ゾロ屋、これ…」
信じられないような顔をして、こちらを見る男の手にあったのは「白銀の百合」だった。
「おい、触んなよ、汚ねえ」
「汚くなんてあるわけないだろ!ゾロ屋、お前が惚れてたのは俺なのか?」
伝えてもいない真実を言い当てられて、俺は焦る。どこでばれた?
「…なんで?」
「これはな、両想いになって、完治するときに吐く花だ」
ちょっと待て…ということは、俺が何もいわなくても、全部理解されちまったってことか!?恥ずい…あまりのことに、俺は顔があげられなかった。
「なあ、ゾロ屋」
「なんだよ」
もうどうしていいかわからなくて、ぶっきらぼうな答えしか返せない。
「ゾロ屋、顔を見せてくれ」
「勝手に見ればいいだろ」
男が醸し出す甘い雰囲気がこそばゆくて、どんどん顔に熱がこもる。くそっ、落ち着かなければと思えば思うほど、赤くなる気がした。
「つれないことをいうな…お前が好きな俺の頼みをきいてくれ」
さっきまでの雰囲気が嘘のように、とろけるような声で男が問いかける。こいつも大概わがままな野郎だよな…
「お前、いきなり態度でけえだろ。だいたい、お前が好きな俺が『勝手に見ろ』っていってんだ。俺の頼みもきけよ」
男の言う通りにするのも癪なので、同じような言葉を返す。そんな何気ない言葉のやりとりが嬉しかった。
「そうだな、俺もお前も、お互いに惚れてるんだもんな」
「惚れてる…いやまあそうだが…」
言ってることに間違いはないんだが、いちいち恥ずかしいやつだな。
「随分周り道をした気がするが、俺は身体だけじゃなくて、お前の心も欲しい。両方俺にくれないか」
「…もうやってる。だから、お前も寄越せ」
「俺のもとっくにお前にやってるよ。要らないって言っても、受け取ってもらうがな」
そういって俺を抱きしめる男の体温が気持ちよくて、俺はその腕の中でほほ笑んだ。


ずっと惚れていたゾロ屋を口説き落として、数度目の夜だった。男が、俺の目の前で花を吐いた。
「おい、ゾロ屋。お前なんで…」
俺に惚れてるはずなのに、なんで?誰だ?そんな疑問ばかりが浮かんでくる。
「どうして!何で花なんて吐くんだ!」
男に惚れたと自覚して、男にそっと「いつか北の海に連れていきたい」と伝えて「おう」と言葉少なに答えられてから、俺はずっと幸せだった。敵船で男同士、付き合うほうが難しい相手を、ようやく捕まえられたと思ったから。
どうやらそういった方面には初心なのか、抱き合うことにも恥ずかしがる相手を見るのが嬉しかった。こいつのこんな顔を見れるのは俺だけなんだ、そう思うとたまらなかった。本当は後ろからのほうが男の身体が楽なのは解っているが、抱いている間の男の顔がみたくてたまらず、正面からばかり抱き合っていた。

そんな男が、俺の前で花を吐いた。お前は俺に惚れてたんじゃないのか!?そう思って男を問い詰めると「性処理だ」という。今まで舞い上がってたのは、俺の独り相撲だったのか。あまりの自分のバカさ加減に、笑うしかなかった。一縷の望みをかけて「好きだ」と呟いてみるが、男からは何の反応もなかった。結局、男と愛しあっていたことが、自分の思い込みだったことを確認しただけだった。
だけど、その後も男は俺に抱かれるのを拒まなかった。そんな男には見えなかったし、そこまで経験が多いような身体じゃないと思ったが、全て俺の誤解だったというわけか。身体だけしかくれない男にイラついて、「ビッチ」なんていう、酷い言葉をなげつけた。プライドが高いあいつがそれに反論することもなく、俺を受け入れる。男なら誰でもいいのか、そう考えて、男の過去に嫉妬した。
そんなことにどうしようもなくイラついて、今まで少しの苦痛も与えないようにと、大事に扱ってきた男の身体を乱暴に扱うようになった。俺の手によって変わる男の顔も、他の奴等が見たものだと思えば忌々しく、見るのが辛かった。だから、バックで抱くことが多くなったが、男は何をしても文句を言わず、気持ちよさそうに喘いでいるばかりだった「所詮、欲さえ解消できれば良かったのか」抱き合うたびにそう考えて、どんどん苦しくなっていった。

しかし、それも自分の目の前でゾロ屋が花を吐いたことで、吹っ飛んだ。『花吐き病』の最後は、死だ。いつか、自分の吐いた花に埋もれて衰弱死する。俺は、男に死んでほしくなかった。何度聞いても、男が片恋の相手に心当たりがないというなら、俺に惚れさせれば問題ないんじゃないか?焦った俺は、そんな狂った考えを、口に出す。あまりに意外なことを言われたせいか、驚く男の顔がおかしかった。

そうして男と話して、自分の勘違いに気づく。決定的に、俺達には言葉が足りていなかった。まさか、俺の気持ちが通じてないとは思ってもみなかった。ようやく誤解が解けたあと、腕の中にある男のが愛しくて、笑う男の身体をずっと抱きしめていた。

赤い曼珠沙華の花言葉=あきらめ
白い曼珠沙華の花言葉=思うはあなた一人

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