だから今夜はニコラシカ!
はいよ、とカウンターに出されたものを見て、なんじゃこりゃと首を傾げた。ショットグラスの上のレモンの輪切りはまだわかるが、その上に三角の形に盛られた白い粉は砂糖のようだが、どうやって飲むのか見当もつかない。
「趙さんよ、こりゃなんだ」
レモンを冷蔵庫に仕舞っていた趙が「まあ待ってよ」と言って、カウンターから出て隣に座った。
「これはね、ニコラシカってやつ」
「それって足立さんが言ってたやつじゃねえか」
面倒くさいんじゃなかったのかよと続ければ、サングラスの向こうできゅうと目が細まった。
ぎっくり腰で急遽帰ったマスターの代わりに、趙が即席バーテンを務めると聞いて手伝いに駆けつけたが、いつものレザージャケットを脱いで慣れたようにシェイカーを振る姿はずいぶんと様になっていて、無用な心配だった。見様見真似だよなんて言いながら出来上がった向田オーダーのカクテルには、普段はない洒落た形のレモンの皮がグラスの縁に添えられていた。向田から見た目はもちろん、味も最高という賛辞を聞きつけて、足立とナンバがどれどれとカウンターへとやって来ては、おお! と感嘆の声を上げ、すぐ様やれコスモポリタンだのメアリーピックフォードだのオーダーしたが、ホワイトキュラソーもマラスキーノもないよと断られてうだうだとボヤいていた。
「なあ趙、足立さんたちのはどういう酒なんだ」
「春日くんの好みじゃないと思うよ。甘くて俺は好きだけどね」
「ふうん、甘いのか。んじゃ俺はいいかな」
「だと思うよ。いつものでいいよね」
趙は春日がいつも飲むお手頃ウィスキーのボトルを手にとって見せた。おう、と返事をしかけて、やっぱりと春日は止まった。自分にもシェイカーを振ってほしいと思い、けれどカクテルなど知らず言葉に詰まる。どうしようかと悩む思考を、酔ったせいで調整出来なくなった足立の声がかき消した。
「なあ趙、ニコラシカ! 」
足立のオーダーに、やあだと趙が答える。
「なんでだよ」
「飲みすぎてまた帰れなくなっちゃうよ」
「二階で寝りゃいいさ」
「えー。酔ったらいびきすごいんだもん、やだ」
代わりに軽いの作ってあげる、とシェイカーを手にした趙に、これ幸いとばかりに春日は「俺も! 」と声を上げた。
酔い潰れた足立と難波を二階へ運び、片付けを手伝ってくれた向田と鎌滝を見送って、ようやく静かになった店には趙と春日だけが残っていた。
最後まで手伝ってくれた礼に、ご褒美をあげると聞いて、春日が大人しくカウンターで待っていると、出されたのがニコラシカだった。
「飲み方があってね、教えたげる」
真似して、と趙がレモンをつまみ、砂糖を崩さないようそっと口へ運ぶ。べ、と出された赤い舌に思わず見惚れて唾を飲んだ。
ぎゅ、ぎゅとレモンを噛んで、趙がにやりと笑う。ほら、と先を急かすように顎をしゃくった。同じようにそうっとレモンを持ち、舌に乗せる。酸っぱさを覚悟しながら噛みしめれば、酸っぱさと同時にほろりと砂糖の甘さが口に広がった。ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ。レモンの皮の苦みも上手い具合に混ざり、なかなか悪くない。
「んで、これをこう、一気に」
ぐい、と趙がショットグラスを煽った。
「これがニコラシカの飲み方。口の中でカクテルにするんだ。面白いでしょ」
こくこくと頷いて、春日はグラスに手を伸ばした。ふわりと届いたフルーティーな香りに、これがブランデーだと気が付く。確かに足立に飲ませてたら、二階行きは確実だったろう。口の中で作るカクテルだなんて洒落たものをよく知ってるなという感心と、この歳になって初めての体験に期待が高まる。
グラスが唇に触れる、その瞬間、手の中のグラスが消えた。「へ? 」という間抜けな声が響く。取り上げたグラスを揺らし、趙が見せつけるように煽った。
艷っぽく笑った趙に腰がずんと重くなる。思わず唾を飲み込んだところで、一切の遠慮のない力で引き寄せられた。慌ててカウンターに手をついて耐えると、するりと趙の腕が体にまとわりつく。
濡れた唇が押し付けられて、肩が跳ねる。アルコールに浸かった舌がぬるりと侵入したと思えば、趙の体温が馴染んだブランデーが流れ込んできた。
趙の舌が口に残るレモンとブランデーを、驚いて縮こまった春日の舌と一緒に混ぜていく。口の端から溢れたブランデーが膝に染みを作っても、趙は止まらなかった。口の中で好き勝手に動く趙の舌が気持ちよくて、溺れそうで苦しくて、でも止めたくなくて、もっとと強請るように強く抱きしめれば、嬉しそうに舌に吸い付いてきた。
「美味しかった? 」
「な、なんも、わかんなかった……」
一瞬にも数分にも感じたキスで二人の息は上がり、ブランデーたっぷり香る互いの熱い吐息が頭をくらくらさせた。
二階に足立と難波がいるというのに、春日の性器はキスだけで緩く勃起していて、ブランデーと唾液で艶っぽくなっている趙の唇から目が離せない。もう一度、もっとして欲しいとさっきのキスを思い出して無意識に唇を噛む。
「ねえ春日くん、セックスしない? 」
趙が春日の髭をくすぐるように撫で、体のラインをなぞるように降りていく。その先は、と慌てるもすでに遅く、あは、と楽しそうな声のあと、スラックスの上から柔く握られる。
紆余曲折あってようやく交際を始め、キスもデートと順調に進んできたが、セックスだけはまだだった。誘うなら年上である俺から、と心の内で決意していた春日だが、いざ趙を前にすると緊張して尻込みして、とうとう先を越されてしまった。
頬を両手で包まれ、返事を期待するように撫でられる。どっ、どっ、どっ。頭まで響くほどに鳴る心臓の音は、趙にまで聴こえているんじゃないかと心配になるほどうるさい。そして追い打ちをかけるように、あとさ、と趙が告げる。
「もう準備してあるって言ったら、どうする? 」
恥じらいが浮かんだ吐息が頬を掠める。ただ頷けばいいだけなのに、脳がオーバーヒートを起こしたのか、それすらもままならなくなった。
「えーと、こう見えて結構勇気出してんだけどさ、ダメかな」
自信なさげに下がる眉の下には、不安そうに揺れる瞳があった。こんなの恋人にさせていい表情じゃない。情けない自分を心の中で殴り、目を覚まさせる。深呼吸を一つして、春日は趙の両肩を掴んだ。
「んなわけねえ! もちろんイエスだ! 」
「なにイエスって。ムード台無しなんだけど」
「すまん。お前があんまりエロいから、ちぃと言葉に詰まっちまった」
「なにそれ。でもそっか。あー、ちょっと安心した」
両手で顔を覆い、趙が呟く。その心底安堵したような声音に、胸がぎゅっと切なくなる。
「悪ぃ、なあ趙さんよ、仕切り直させてくんねえか」
「やだよ。結構恥ずいんだから」
「じゃあ俺からいいかい」
「人の話聞いてる? 」
顔を覆ったままの両手をそっと剥がし、サングラスの奥を見つめる。お互い同じ気持ちであることを、屈折することなく届いて欲しい。そう念を込めて言葉にする。
「抱かせてくれ、趙」
「ん゛ん!! 」
ぼんっ、とアニメのように一瞬で真っ赤になった趙が、苦しそうな声を上げた。大丈夫かと覗き込めば、やめてと顔を逸らされる。
「どうしたよ」
「嘘でしょ、どう考えても君のせいだよ」
「そりゃ悪かったな」
詫びのキスだと、唇に吸い付き、食んで、舌を差し込む。もうニコラシカの味はしない。趙の唾液を啜って、深く深く絡ませていく。
「あーくそ、ちんこが痛え」
「わあ、ほんと御立派。じゃあこれだけ洗わせて。そしたら春日くん家に行くから、タクシー捕まえておいてよ」
完勃ちした性器がスラックスを押し上げ、セックスへの期待に涎を溢れさせていた。
グラス二つを持ち、カウンターへ入る趙にわかったと些か元気すぎる返事をし、店の外へ出る。この時間なら通りに出ればすぐに捕まえられるだろう。春日はぐっと前屈みな大股歩きで通りへと急いだ。
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