秦田・麻弓②
はじめのいーっぽ
よく均された広い道を気ままにゆっくり歩いていると、やはり彼女の期待通りに道行く人と行き会った。向かってくる商売人らしい旅装いの男に対し、彼女は愛想良く話しかける。
「こんにちわっ」
「お、おぉ、こんにちは……?」
にこやかな笑顔に跳ねるようなお辞儀、明朗快活な印象を与える挨拶ではあるが、初対面ながらやたらフレンドリーなそれに男はややたじろいだ。しかし当の本人はそんな表情を気にせず、というか気付かずに言葉を続ける。
「えっと、一緒に歩いてもいいですか?」
彼にしてみれば、たった今まで逆方向に進んでいた女が、急に話しかけてきて一緒に歩きたいと言うのだから、どう考えたって怪しく思える。見定めるように上から下までじっくりと、警戒を込めて眺め回し……それほど時を待たずに、鼻の下の伸びきった、見事に緩んだ顔になっていった。
それは、無理もないことと言えるだろう。女の服装はどこの土地のものとも分からないが、露出が多かったり色々と強調したり、とにかく挑発的とも扇情的とも言えるような格好をしているのだ。それが怪しさに拍車を掛けてもいるのだが、猜疑心より興味が勝ってしまった男は、気が付けば緩慢な首肯にて承諾してしまっていたのだった。
旅は道連れということもあり退屈しのぎに話していれば、客商売を生業とする男と、生来から懐こい性質の女ということもあり、そう苦労することもなく打ち解けることができた。
「あんた、名前はなんて言うんだい」
「ええと……あっ、確かここに書いてあって……なんて読むんですかこれ」
「自分の名前だよな」
あるいは……いまひとつ要領を得ない会話から根気よく内容をくみ取り続けた男の、努力の賜物であるとも言えるだろうか。そのうちに記憶がないことを聞き出せば、曖昧で頼りない応答にも得心が行き。
「はー……そんで、逆方向の俺に付いて来たってわけか」
「はい、その方が迷わなそうだし寂しくないですし」
大変そうな身の上にも関わらず、当の本人は同情するのもばかばかしいほどにあっけらかんとしているので、男も気にしないことにした。彼自身の意思というよりは雰囲気に引っ張られているというのがより正確なところではあるが、何にしても道中は暗く沈むよりは楽しい方が良いに決まっている。
そうして気を遣ったり装ったりなどするまでもなく明るい女は、落ち着きなくよく動く。跳ねるように歩き弾むように頷き、周囲の色々な物に興味を示してきょろきょろと視線を巡らす様子は、小柄な背丈と相まって幼い子どものようでもある。
それの幼子と最も異なるのは、小柄の割にアンバランスに発育した身体だろう。色々と主張の強い色々がさらにその装いによって強調され、かてて加えて彼女自身がよく動くためによく動くので……どうしても彼は、目を引かれてしまうのだ。
「そ、そうだそうだ、名前だったよな。どれどれ……はたた、まゆみ……かな?」
動きにつられる視線をごまかすように名書きを読めば、そんな様子を訝る気配も見せずに女はにこにことまた笑う。
「はたたまゆみ……まゆみって言うんですか、良い名前ですねっ」
「自分の名前だけどな」
他人事のように言う彼女、麻弓のその言葉に、男は少し呆れて苦笑を漏らす。ただでさえ何も思い出せないというのに、その上見るからに何も考えていなさそうな能天気さは、あっという間に良からぬ者に目をつけられて騙されて食い物にされてしまうのではないか。
心配ではあるが、たまたま行き会って道を同じくしただけの、いわば赤の他人であり、そこまで面倒を見てやる義理もない。かといって何かあってからそれと知るのもまた寝覚めが悪いだろうし――と、結局のところお人よしである男は、麻弓の楽しそうに歩く姿を眺めながら悩むのだった。
悩みながらも見蕩れて色々考えてしまう自身もまた、良からぬ者の一人なのだろうと男は思った。そうして不意に向いた女と目が合った。
「いま、見てましたよね」
慌てて顔を逸らすも、残念ながらというか当然ながらというか、ごまかすことはできなかったらしい。不躾な視線の言い訳を咄嗟に考えてみるも、狼狽えているとそうそう良い答えも出てこないもの。
「何か良くないこと、考えてました?」
言葉に窮するうちに、状況は悪くなる。いっそ認めて謝ってしまうか、話題を逸らしてなんとか逃げるか……
「好きにして良いですよ、私のこと」
「……は?」
咎められるか怒られるか、可能性は低いがなかったことにしてもらえるかと冷や汗を流していた男は、予想外の言葉が聞こえたことで、改めて言葉を失ってしまった。さっきまで屈託もなく笑っていた、身体つきはともかく子どもみたいな純真そうな女が、そんな都合の良い妄想のような言葉を吐くわけがない。きっと自身の聞き違いか現実逃避の幻聴だろう……と改めて麻弓の顔を見る、と。
「ほ、ほら、案内してもらったお礼っていうかそういう、ほら」
言い訳がましいことを言う彼女の目は泳ぎ、顔色は赤く上気して、もじもじと落ち着かない様子を見せている。なんなら少し息も荒い。
あ、これ完全に分かってて言ってるやつだ、と男は思った。というか期待してるまである。良からぬ者はどうやら彼だけではなかったようである。
結局、彼は道中の世話だけでなく、その晩の宿泊先の面倒も見てやることとなったのだった。
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