更新 番外編


夜の休憩は十五分と決まっているが、定時の後はただのサービス残業である。
最初の十五分で夕食代わりのカップ麺を食べ終え、残りの四十五分は仮眠に当ててから仕事に戻るのがルーティンだった。
そんなわけで、今日もいつものきつねうどんに湯を注いで三分半待ったところで狙いすましたように耳元で声が聞こえて来た。
「なあおい、オレもそれ食いたい。」
いくら耳元から声が聞こえて来ようと、後に『立って』いるのではないのは分かっている。
「そういう台詞は、自分で箸持てるようになってから言うてください。絶対に食べられへんでしょう、その姿やと。」と言うと、つまらんなあ、と言って声が遠ざかっていく。
面白いとかつまらないとかそういう問題ではないと反論したいが、不自然なノイズをいちいち気にしていては麺が伸びる。
「大体、先週自分で『天下の天狗芸能の営業のくせして、そんなしょ~もないカップ麺なんか食べてんのか?』て言うてたやないですか。」
こちらが反論すると、なんでそこまで覚えてんねん、と言わんばかりの顔で眉を上げた。
「お前、ほんまにイケズやな~。そんなんで営業なんか出来るんかいな。あ、出来へんからこんな閑職に回されてるやったな。」
ウヒョヒョヒョヒョ……と耳障りのよろしくない笑い声が一人きりの部屋にこだました。
そう、この部屋にいるのは僕一人きりなのである。
黙れ、と声を発したところで、左前の男が社内の島流しにあった先でおかしくなったと思われるだけだろう。

倉沢忍、三十歳。
天狗芸能の売れない営業マンである。
勤めていた商社を辞めてフラフラしていたところで、昼寝のために入った天狗座で、しょうもないSF映画ネタの落語を見せられて、程度の低い馬鹿話でもそれなりにウケていたのを見て閃いたのだ。ここまでくだらない話で金が稼げるような世界なら、職にあぶれた男一人くらい余分に食わすことかて出来るだろう、と。その場で関係者出入口から事務所に押し入って、営業の口が空いてないか尋ねたところ、その場にいた線の細いスーツの男が、統括する役職のようだった。短いやり取りをしてるうちに、その騒ぎを聞きつけたのか、どこかからやたら柔和そうな和装の男が現れた。
こいつ面白いから雇ったらええやん、営業止めてくから人が足りへんてこないだ言うてたはずやろ、とスーツ男に口添えしてくれたのが、三代目徒然亭草若だった。
歩合給の激務で、その上退職者が余りにも多いという裏事情のせいかは分からないが、受けた入社試験は呆れるほどに簡単だった。問題は面接の方かと思ったが、蓋を開ければそっちの方も肩透かしで、新卒で入った商社の、段階を踏んだ圧迫面接の方が余程ハードルが高かったくらいだった。前職の経歴が悪くはなかったのか、あっという間に一次と二次を通過し、役員面接で中央に座っていた顔の四角い男に結果を出して見せますと言うた次の日には合格の通知が来た。
花形の営業に回され、担当のタレントも付いてそのまま順風満帆に行くかと思ったが、そうは問屋が卸さないというのが人生というものだ。
暫く食い詰めていたせいで目減りした貯金のことを考えて、適当に女を引っ掛けようと思ったのが間違いの元というか。
入社してからずっと女をとっかえひっかえ寝ていたら、週末の食費の心配はせずに良くなったものの、どこぞの銀行の頭取の息子と婚約中だった重役の娘をうっかり引っ掛けてしまったのである。ちなみにその縁談は、女が僕に本気になったせいで破談。僕は営業三課から、タレントのイベント出演のための飛び込み営業を行う営業四課に左遷となった。
ちなみに、それまで営業部は三課までと決まっていて、それまでは営業一課が兼務する仕事だったので、事実上の左遷先を僕が作ってしまったということである。
上司は職場復帰が難しそうな営業二課の男で、これまた天狗の役員の息子だった。
息子も親の威光を借りて重役出勤していて示しが付かないけれど、解雇も出来ないという人間だ。僕一人であれば地下室に閉じ込められていたか、廊下に机を出されていた可能性もあるが、その息子の出勤を見越してか、一応は、元会議室だった明るい日が差す部屋という、世間では比較的マシな窓際が準備されたわけや。関西近県から中国四国、北陸に至るまで、地方で行われる小さな催事をこまめにチェックして、ただ飯食らいを続ける自社のタレントや漫才コンビの売り込みを掛ける。仕事が取れたところで情報を纏め、タレントを統括する営業一課に仕事を回さなければならない。はっきり言ってしょうもない仕事だ。
僕が左遷された当日は小糠雨か薄曇りかというはっきりしない空模様の日で、最初はその休職者が来たのだろうと思ったのである。
声はすれども姿が見えないと思っていたら、不在の男の椅子の上に陣取って、身体が透けた男が車輪のある椅子に乗って部屋をぐるぐるしたりして遊んでいたというわけだ。
それからも、僕が電話を掛けている間に天井に貼り付いて忍者ごっこをしたり、昼飯を食べるのを横で見ては、暇や遊んでくれ。腹減った、昼ドラ見たい、テレビ付けえの大合唱。
気が付けば、元の住処の営業一課の同僚の伝手で連続テレビ小説とやらの主役のサインを貰うために頭を下げる羽目になった。
当人は、天狗芸能の倉庫に放置されていたタレントの等身大パネルだと主張しているが、こちらからすればただの生霊で、生霊と言うよりは幼稚園児である。
この託児所のような左遷先でどうやって平穏無事に暮らせるのか。
試行錯誤している間に夜が来て、気が付いたら帰宅の時間になっているわけや。









次の更新こういうのにしようかと思ってるんだけどどうやろ、て熱く言われても……!
導入部分長かったけど、まだこの続きあるんやろなあ。いやなんかどうコメントしたらええんかな、ていうかさあ……!!
「テンマさん、私のことなんか素読名人とか思ってへん?」
いや、徒然亭一門は草原兄さんピンで好きでどこにも攻めがおらへんとか言うてる極北にいる人間やから、人選としてはええんやろうけどなあ。
「そんなことないよぉ~~!」
そこでご本尊の奥さんのモノマネすんのやめてくれますか……こっちは毎回いたたまれんのやけど。
「いつもほんまにありがたいと思ってます。今のジャンルでカップリングのこと気にせんと読んで貰える友達ってほとんどおらんのやもん。四草師匠、ほんま実際百人斬りの男やし、小草若ちゃんに手ぇ出すけど、女性との描写を書かないと画竜点睛を欠くていうか……。」
画竜点睛て。
「いや、みんなやおい読みたいて思ってんのやから、そこを史実に近づけんでもよろしいていうか。」
「やっぱお子さんおるし。まあ史実やからな……。」
テンさんとは歴オタからの付き合いやけど、ほんま既婚者の多すぎるジャンルからこんなナマモノに行ってしまうとは……好き好んでいばらの道を行かんでも。
それにしても、今度のはほんと妙ちくりんなペンネームにしたもんやなあ。
ウマのとこはテンマさんのマから来たんやろけど、スポーツカーってウマいんですか、て明らかに人間の名前とちゃう……。
「いくら既婚者やなさそうとはいえ、戸籍謄本見れるわけやなし、事務所がそないに言ってるだけやから、後で痛い目に逢うかもしれませんよ……。」
「いや、でも夢は見てたいやん?」
「あんたそれどの口で……、ていうかこんな妙ちくりんな夢見たいような人間ほとんどおらへんから。」
「おらへんかなあ……? 生霊の小草若ちゃん、可愛くてええと思うんやけど。」
まあそこは否定しませんけどね。
「まあ自分で読みたいとこまで続き書いたらええんと違う? どうせあんたのことやし、四草師匠がまたツラい目に逢うんやろ。」
「ご明察~~~~!」
したらまた、お付き合い願います、と頭を下げられて、ととりあえずでっかいため息を吐くかわりに目の前のコーヒーを飲んだ。冷たい。
そら、読んでる間にすっかり冷めてまうわな。

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