よだつかワンライ:本音

 絶賛後悔中の明浦路司は生き地獄を味わっていた。
 夜鷹の家に訪れた司は現在、夜鷹を後ろから抱きかかえるようにしてソファーに座っていた。夜鷹は真っ直ぐにテレビの画面を見つめている。そこから少しでも距離を取るために司が身体をよじると、夜鷹は司の腕を引き寄せ、それをベルトのようにして自分の腹の前に置いた。結局司は夜鷹とぴったりくっついたまま、斜め後ろからその顔を眺めていた。
 本当にやめて欲しい。しかしながらこうなった原因は自分にある。明浦路司は墓穴を掘るのが得意だった。今日もぴかぴかの墓穴を掘って自ら埋まっている。本当にアホだ、自分は。

 夜鷹と司は恋人同士である。予定が合えば週に一、二回ほど夜鷹の家に泊まりに行っていた。ほとんど外出しない夜鷹と司のデートだった。家に行って、一緒にフィギュアスケートの動画を見て、何でもない話をして。二人は穏やかにそこらの恋人同士のようなことをしていた。
 しかしどうしても予定が合わないときはある。その時は司の深夜バイトのせいで予定が合わなかった。申し訳ないなと思いつつもブレードを交換するためには致し方なかったのだ。
 ようやく逢瀬と相成ったのは前回の逢瀬から一ヵ月後のことだった。
 夜鷹の家に訪れて、夜鷹の顔を見た瞬間、司の中で何かがどろりと溶けるのが分かった。連日深夜バイトを続けていた疲れもあったのだろう。司は健全な二十代男性だった。
 靴も脱がずに玄関に立っている夜鷹の前に立って、司は口を開いた。
「抱……き締めてもいいですか?」
 司の言葉に応えて、夜鷹は手を広げてくれた。その瞬間、間違えた、と思った。この時の司は明確に自分の欲望を言うべきだったのだ。
 それでもどうして言えなかったのか?
 単純に恥ずかしかった。
 夜鷹と司は恋人同士である。身体の関係だってある。それでも司は、自分から夜鷹に抱いてくれと言ったことがなかった。いつも迫ってくる夜鷹に流される形でベッドに押し倒されていた。
 欲望を口にするのはいつも夜鷹からだった。司はそれに甘えていた。
 司は玄関で夜鷹を抱き締めながら、香ってくるボディーソープの香りにくらくらした。誤魔化すために肩口に顔を埋めるとそこからは僅かに夜鷹自身の香りもして、またどろりと司を溶かしていく。抱き締めてもいいですかって何だよ。司は数十秒前の自分に腹を立てた。ちゃんと口にしていれば今頃……。
 しばらく抱き締めたままでいると背中に回された腕が少しずつ緩み、腕の中から夜鷹が抜け出した。
「いい加減上がりなよ」
 夜鷹の言葉でようやく靴を脱ぎ、手洗いうがいをしてリビングに向かう。
 リビングではソファーに座った夜鷹がフィギュアスケートの動画を見ていた。夜鷹のいつもの日課だ。司は何となく夜鷹の隣に座る。夜鷹はちらと司の顔を見た後、司の股を割り開き、その間に座ってきた。司の胸筋に夜鷹の体重がかけられる。
「……何で?」
「君が抱き締めたいって言ったから」
 言ったけど。さっきのハグでもう十分です。そう思っても腕の中には既に夜鷹がいるのだ。それを拒む理由もない。これは確かに恋人同士の戯れではあった。
 しかし今の司には刺激が強い。好きな人にべったりひっつかれているし、触れあうのも一ヵ月ぶりだし、そういえばここ数週間は忙しくて抜いてすらいなかった。
 それに夜鷹に抱かれるようになってから以前のように抜くことも無くなった。抜いたところでどうしても物足りない、夜鷹に触って欲しい……そんな思いばかりが強くなるせいだ。
 それでも抜いておけばよかった、と後悔してももう遅い。
 はあ、と吐いた自分の息が熱い。下半身に溜まっていたじりじりとした熱が少しずつに全身に広がっていくような感じがした。
 夜鷹は相変わらず画面を見ている。どうしてこうも平然としてられるんだ、と八つ当たりのように思った。夜鷹だってこうして司と触れあうのは一ヵ月ぶりのはずなのに。
「……夜鷹さんは何かやりたいことないんですか」
「今してる」
 そう言う夜鷹は相変わらず画面を見ている。今日はよっぽど見たい動画を流しているらしい。きっと司もそれを見て夜鷹と話せば楽しいのだろう。夜鷹とスケートについて話すのは単純に楽しかった。夜鷹の見ているものを教えてもらえるのも嬉しかった。
 それでも今日の司は集中して画面を見ることが出来なかった。それよりもたった一言言ってしまえばいいのに。分かっていてもその一言が言えない。恥ずかしい、照れくさい、みっともない、そこらへんの感情がぐるぐると渦巻いて司の動きを止めていた。
 何より夜鷹にどんな反応をされるのか分からなかった。分からないこと、予測の立たないことは怖い。もし司が一歩踏み出して夜鷹にすげない反応を返されたら、かなりのダメージを負うことになる。少なくとも二、三ヵ月は癒えないだろう。一年は引きずる。
 そもそも司は夜鷹が食い入るように見ているフィギュアスケートより、自分の誘いが魅力的だとは思えなかった。そんなの絶対負ける。でも負けを示されたら悲しい。だからこうして目の前の夜鷹を抱き締めることしか出来なかった。
「司は?」
 唐突に夜鷹からかけられた声に、司は咄嗟に反応出来なかった。
「え?」
「僕を抱き締めて、それで?」
 夜鷹の骨張った手がゆっくりと司の太ももを撫でた。ジーンズ越しのそれは感触をほとんど感じないのに、ぞくぞくとしたものが腰から背にかけて這い上がっていく。自分の顔が少しずつ熱を帯びていくのが分かった。
「それだけでいいの?」
 こちらを見た夜鷹の目に射抜かれる。全てを見抜かれていた。なるほど、したいことをされていたわけだチクショウ。
「あの、」
「うん」
「……抱いて、ください」
 次の瞬間にはぐるりと視界が反転し、司の肩はソファーに縫い付けられていた。自分の上にのしかかる男の美しい顔に僅かな笑みが浮かんでいた。
「やっと言ったね」

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