青とオレンジ



 青とオレンジの絵の具を掻き混ぜたような夕暮れの中を、二人で歩いていく。
 慣れ親しんだ光景。
 慣れ親しんだ通学路の坂道を迷うことなく下っていく。
 彼女は、最近はいつもスマホばかり見ている。隣を歩く身としては退屈だ。たまに転びそうになるし。
 ずっと無言でいるのも何なので、一方的に声をかけることにする。
「最近ずっと何見てるの?」
 ブレザーにパーカーの彼女は、こちらに目も向けずに答えた。
「んー? TikTok」
「面白い?」
「twitterよりは。でも面白いってか、暇つぶし? 飽きにくいだけだと思うよ」
 じっと画面ばかり見ている割に、退屈そうな声だった。退屈なのはこちらなのだけど。
 彼女は、ラフなパーカー姿が示している通り自由な人だ。
 校則違反のアルバイトしてるし、原付きとか乗ってる。
 それに引き換え私はガリ勉メガネなので、流行には疎い。そして苦手。いろんな遊びを追いかける熱量もないし、そりゃ年相応にtwitterくらい見ることはあるけれど、Tiktokとかインスタとか、そういったキラキラした場所は覗きたいとも思わない。
 いや、たぶんそれはSNSだけの話じゃない。
 私はつまらない人間だった。見た目も、考え方も。
 画面に夢中の彼女を振り向かせるように、私は一方的に声をかけ続ける。
「音楽は何を聞く?」
「流行ってるやつ」
「服は?」
「いまどきなやつ」
「自分がないの? 流行を追いかけてるだけじゃん」
「流行を追いつつ、個性は出すよ?」
「ああ、そう。服にはお金かけるもんね」
「普通でしょ」
 普通らしい。その基準だと私はたぶん普通じゃない。無趣味、無個性、無味無臭。人の多い場所は苦手だし。
 追い立てられるように、私は質問を投げつけ続けた。
「先週はどこへ遊びに行った?」
「カラオケ、ゲーセン、マクド、ボーリング。だいたい大人数だね」
「そう! 私は本屋しか行ってないよ」
「ああ私も本屋行った。青紅が表紙描いてるやついいよね」
「そんなこと言って、本当に読んだの? 最後まで?」
「読んだよ。十ページは読んだ」
「この前の芥川賞はなんだったか知ってる?」
「えっと、蹴りたい背中?」
「2003年だよねそれ! 私が蹴りたいよ!」
「サッカーの話だっけ?」
「男の子でサッカーする話だよ」
 ずっと画面に目を向けているくせに、会話は成立するから不思議だ。二つのことを同時にできるなんて、私には考えられない。
 交差点、横断歩道を赤信号で立ち止まる。バス停はもうすぐそこだ。
 気になって聞いてみることにした。
「…………ねぇ」
「なに?」
「いまは何見てるの?」
「Youtuberのやつ。ああ、Vではないよ」
 アタマが痛くなってきた。
 一体、この子はいくつ流行を追ってるんだろう。
 ひとつふたつと記憶を辿って数えていたら、信号が青に変わる。
 いつの間に信号を見ているのか、彼女は私より先に淡々と歩き始める。
「歩きスマホだめ絶対」
「歩いてないよ。走ってる」
「競歩には厳密な定義があってね!」
「じゃあ走ろうか?」
「………………」
 そんなに夢中になって。
 次々といろんなものを消費して。
 一体、彼女はどこを目指してるんだろうか。
 飴細工のような夕空の下、
 瑞々しい植木が立ち並ぶ歩道の真ん中で、
 私は一向に足を止めない彼女に問いかけた。
「ねぇ」
「何?」
「そんな、何も残らない遊びに意味はあるの? もっと何か、有意義な――」
 意味のある時間を。
 意義のある人生の過ごし方を選ぶことはできないものだろうか。
 なんて、傲慢な問いを投げていたのだった。
 相手にされていない気がする腹いせだったとも言える。
「――――――」
 はっとする。
 そこで、彼女が初めてこっちを振り向いたのだ。
 パーカーにブレザーの彼女は、その理知的な瞳で私をまっすぐに見ていた。
 彼女は別に、怒ってはいなかった。
 ただまっすぐに事実を述べる。
「――や、有意義なのは勉強でしょう? その勉強が終わって帰ってるとこじゃん?」
 気まぐれに流行を追いかけて。
 思いつくままに遊びに手をつけて。
 そしてまた、気まぐれに投げ出して。
 そんな不毛とも思える繰り返しを、けれど彼女は悲観しない。
 ただただ純然と肯定していたのだ。
 夕陽の中で、屈託のない笑顔で告げる。
「帰り道が楽しいか退屈か。バスに乗ってる時間が楽しいか退屈か。これはそんな程度の話だと私は思うよ」
 画面を見ない時の彼女は、本当に賢くて。
 そういうの、メガネをはずせば美人みたいで本当にずるい。 

「――――誰も缶コーヒーに文学的価値は求めない。有意義でないとか、そんなのはさほど重要じゃない。楽しければそれでいいんだよ。私もキミも、やることやってるんだから」

 ……そんな、前向きな肯定だった。
 その影のなさに思わず顔をそむけてしまう。
 そして暗い私はねちねちと反論を考えるのだ。
 ――けれど、有意義でない時間は後悔を生む。
 もっと何か出来たのではないかとか、もっともっとやるべきことがあったのではないかとか。
 ただ遊んでるだけでは足りなかったんじゃないかとか。
 ただお喋りしてるだけでは本当は物足りなかったんじゃないかとか。
 あなたの限られた時間を、私の相手をさせることで奪っていたんじゃないかとか。
 もっともっと、あなたには本当はやりたいことがあったんじゃないか、とか。
「真面目だねぇ――相変わらず」
 たん、と彼女がまた一歩を踏み出す。
 その軽快さが残酷だった。
 思わず引き止めてしまいそうになった。
「そうやって、私と話すのが好きだったんでしょう? それはそれで十分な意味があったんじゃないかな」
 夕日の角度が変わり、目にオレンジが突き刺さる。
 思わず目をかばったあと、私は一人、歩道の真ん中に取り残されていた。
「………………」
 いつまでもいつまでも、一人だった。
 画面を見ながら歩く彼女はいない。
 時折こちらを振り返ってまっすぐな言葉をくれる彼女はいない。
「……そだね」
 あなたと話すのが好きだった。
 それは紛れもない事実で、それだけが薄っぺらな私の思い出の大半だった。

 飴細工の夕焼けを置き去りにするように、私は一人の通学路をまた歩き出す。
 ほどなくしてバスがやって来るだろう。
 私は一人でそれに乗り、一人で帰るのだ。


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