押し倒した拍子にベッドの底が抜けてちょっと揉める学生のひめにこひめ
崩壊の瞬間は突如として訪れた――物理的な話だ。
珍しく日光くんがネコをやってもいいと自分で言いだしたので、その日のおれはすっかり気分があがっていた。だからといって、そんなにアクロバティックなことは誓ってしていない。ただ、いつもより多少勢いよくもつれこんだだけ――
だが、高校にあがって育ち盛りに突入したおれたちの合計重量は、ここ最近ではとうとう概ね0.2トンに達していた。おれが小四、山鳥毛が小二のころから使っている二段ベッドの天板にとって、これはちょっと耐えがたい衝撃だったわけだ。
「ここで相撲を取っていたことにしましょう」
天板をめきめき言わせながらどうにか脱出した日光くんは、俺をマットレスのあいだから引っ張り出すや、開口一番そう言い放った。
「相撲? 上の段でぇ?」
「昔はよくやっていらしたでしょう」
思わず顔をゆがめるおれをものともせず、日光くんは真剣な調子で言って眼鏡を押し上げた。準備はしてきました、とか言いながらおれの髪をほどいて乗っかってきたさっきまでとはまるで別人だ。
たしかに、このベッドを買ってもらった当時であれば、「なんか日光くんと相撲とってたらベッド壊れた」と言い張れば、大人も山鳥毛も納得はしただろう。あのころのおれは今よりずっと子どもで、上段のマットレスはレスリングのリング並に弾む、というスリル溢れる事実に魅了されており、友人たちを登らせてやっては取っ組み合いをしていた。日光くんは今と変わらず冷静沈着で口うるさかった。おれがごっちんとベッドの上で乱取りごっこをして大騒ぎしてたりすると、あとで「落ちて頭を打ったらどうするんですか」と日光くんに注意されたものである。だがまあ、そうはいっても日光くんだって、二段ベッドに興味はあるのだ。誰も見てない時に上に呼ぶと、やめてくださいとかいいながらも登ってきて、プロレスにもこっそり付き合ってくれた。
だが、そうして無邪気に遊べたのは、おれたちが小学校高学年になるまでの話だ。それ以降は俗に言うプロレスごっこ、もとい、いかがわしいことしかしていない。
これはかなりの部分でおれたちの性欲と好奇心の都合だが、おれたちの体格の問題も大きい。高学年になるころにはお互い背も伸びて、頭がつかえてまともにベッドの上に直立できなくなってきた。寝技中心でどーにか決着をつけようともつれあいすぎたおれたちは、ほどなくシックスナインを再発明するに至り――いや、それはまあいい。大事なのは、おれたちは、小6の時点ですでに、ベッドの上段で相撲(文字通りの意味の)をとることができなくなっていた、という話だ。
日光くんもそれは重々承知のはずだ――さっきだって、崩壊していくベッドの無事な部分にどうにか立とうとした日光くんは、天井に頭をぶつけてバランスを崩していたではないか。それでこけた日光くんが穴に足を突っ込んだことで、余計に崩壊が加速したのをおれはこの目でみたばかりだ。190センチになりそうな日光くんと、180センチを超えたおれがこれの上に立って相撲なんて、無理があるどころではない。
「……おれらがいまさら相撲はむりでしょ。そうゆうことをシてました、っつってるようなもんじゃない?」
山鳥毛の掛け布団の上に落ちたローションの容器を拾っていた日光くんは、あくまで真面目な顔で振り向くと、「昼から何を言っているんですか」とおれを見下ろした。
「とりあえずは頭に説明せねばなりませんが、彼にしてみれば、そもそも姫と俺がデキているなどとは信じたくもないはずです。俺と頭と姫の仲ですから、ここはどうにか」
側近と兄弟がズブズブの仲だと信じたくもないだろう、というのはまったくその通りだが、その仲だからこそやばいのである。
「まぁ、日光くんには、相撲だって信じたふりするかもしれないけどさぁ」
日光くんはだいぶむっとしたようになにか反論してきたが、おれは引かなかった。
小さい頃から散々日光くんに鼓舞激励され可愛がられてきた山鳥毛は、いまだに日光くんのまえでは物わかり良く振る舞いたがる。しかも最近は、おれが日光くんに手を出していると薄々察しがついてきたらしく、日光くんへのいたわりの態度は余計に強くなっていた。
実際にはおれのほうがえらいめにあわされていることだってあるわけだが、おれは絶対にそんなことは悟られたくもないから、誤解は放置するほかない。あいつとあつきも大概迂闊なところはあるし、やぶへびにならないように気をつけて、これまでどうにかやってきた。だというのに――。
おれはあらためて部屋の惨状を眺めて、こればかりはおれがひとりでどうにかしないと、と思った。おれと日光くんのただならぬ仲を山鳥毛に明示したくはない。あいつだって、兄貴と従兄がナニをしてたのか決定的に思い知るのは御免だろう。あつきとあいつが最近妙に距離が近い件について、できるかぎりなにも知りたくないとおれが日頃から念じてるのと同じである。にしてもいったいどう切り出そうか。考えていると、日光くんがまた口を開いた。
「……修理代くらいは俺にも出させてください。10万までなら即金で出せます」
「は……? いや、別にいい」
どうせ買い換えるし、仮に直すにしても日光くんのなけなしのバイト代で足りるものか。だいたい父さんや則宗が出させるわけがない。日光くんはそれでは気が収まらないらしく、眉間に皺を寄せて言いつのった。
「ですが、それでは俺の責任が――」
「おれの寝床が壊れた話に、日光くんの責任が絡むほうがまずいよ」
他でもないおれと日光くんが、あの狭苦しい二段ベッドにいっしょに乗っていたことに、健全な言い訳なんかしようがない。日光くんはまだ諦めずに食い下がってくる。
「ですが貴方は昨晩も無事にあそこで休んだわけですよね。なにもなしにただ壊れたと言い張るのは無理でしょう。何か――そうですね、俺と電球を変えようとして、脚立を出さずに横着してベッドから乗り出したら、誤って踏み抜いたとか」
「ここLEDだから、あと三年くらいもつけど」
なんなら、今年山鳥毛が受験生になったのを機に、日光くんが自分でせっせと脚立を出して交換していたではないか。「十分に部屋を明るくして勉強しないと、俺のように視力が悪化しますよ」とか山鳥毛を諭した記憶が蘇ったらしい日光くんは、絶望したように首を振って、「やはり、かくなる上は相撲しかありません」とか蒸し返す。反論してもよかったが、そろそろ山鳥毛の模試が後半にさしかかる時間だ。おれはいったん日光くんを無視して片付けに取りかかった。
思い返せば、このベッドには本当に世話になってきた。毎晩寝ていたのは無論のこと、何度ここで日光くんと一緒に過ごしたことだろうか。
毎週日曜、山鳥毛があつきの学区の剣道場まではるばる出かけるのをいいことに、おれと日光くんは勉強会と称してこの部屋に集まり、大半の時間はこのベッドの上にいた。それがいまやこんな無残な残骸になっている。
見るからに危なそうな木の破片をよけていると、日光くんも無言で隣に来て、綿が飛び出しかけたマットレスをいとも軽々とかつぎ上げてどかしてくれた。
日光くんは本当に大きくなった――認めたくないが、体積で言ったらおれの1.25倍くらいでかい気がする。昔はおれのほうが体格がよかった時期すらあるし、地上での取っ組み合いでは(多少の日光くんからの忖度はあったにしても)だいたい勝っていた。その後、プロレスごっこが昂じて触りあうようになってしまった小六、中一ごろまではぎりぎり互角でいられたし、どうにか正常位で挿入に成功した14歳のころだって、日光くんはもっと細かった。15歳くらいからだんだんベッドが狭くなってきて、ここ最近はできる体位が限られるようになり、そして今日のこの事態だ。
「……日光くん、一番覚えてるのっていつのどれ? やっぱ初回?」
シーツをはがしながらおれは尋ねた。
おれにとって思い入れがあるのは、やっぱり、最初に挿入に挑戦した14歳の夏休みだ。山鳥毛が録画していたプロジェクトXのビデオを二人で見て、偉業を達成する人々を眺めるうちに、おれらも夏休みになにかやりとげねば、というテンションになってしまったのだ。
日光くんはなにかご立派なことを当初はのたまっていたが、おれは性欲に満ちあふれた中学生だったし、日光くんだって本当はそうである。話し合いの末、目標は肛門性交の完遂に定められた。庭でとった本気の相撲に勝った日光くんが迷わぬ瞳でタチを選び、悪戦苦闘を経てどうにか合体したものの、結合部をこの目で見ようとおれが身を起こした瞬間に日光くんが暴発して――あのときは険悪になったものだが、今思えば懐かしくすらある。
あれから3年、おれたちは本当に成長した。最近はさすがに止まりつつあるが、身長の伸びだって30センチちかい。当初よりはもつようになったし、体格や体重に至っては倍くらいになった。きしみながらも耐えてきたこのベッドが、まさか今回で臨終を迎えるとは――限界が近いと判っていたら、もうちょっと慎重にやったのに。むき出しになった天板のでかい穴をしみじみ眺めていると、日光くんはため息をついて、「なにをセンチになっているんですか」と言った。
「そりゃ、思い入れあるしぃ……逆にそっちはなんもないわけ?」
あんなにいっぱいエッチなことをしたのに。日光くんはあくまで真面目そうな顔で「昼日中からそのようなことを……」といさめてきた。だが、日中からそのようなことをしようとしていたのはおれだけではない。あらためて正面から見ると、日光くんはすごい格好をしている。脱出してから大急ぎで服を着たせいで、シャツのボタンが2段目以下全部ずれているし、ズボンはベルトが外れてジッパーも全開だ。さっきまで乱痴気騒ぎの渦中におりましたと言っているも同然である。
「……ていうか、ボタンすごいことなってるよ。社会の窓も」
日光くんは、ズボンのジッパーをすばやくあげて、照れ隠しのように眼鏡のブリッジを押し上げた。
「そちらも、御髪がひどいことに。……そうですね、俺は――」
おれが日光くんの腹のあたりのボタンをはずすのを手伝いながら「ん、いつ?」などと返答を促した、まさにその瞬間にドアが開き、塾用の鞄を手にした山鳥毛がそこに立っていた。日光くんは一瞬混乱したらしく、「お疲れ様です」と冷静に言い、それから状況に気づいて青くなった。
山鳥毛は黙っていた、というより絶句していたといったほうが正確だろう。上段が完全に崩壊しているロフトベッドの前で、髪をおろして上半身裸のおれが、甲斐甲斐しくも日光くんのシャツのボタンを直そうとしている(なんなら一見、脱がせようとしているところに見えたかもしれない)という状況が目の前にあれば、そうもなると思う。彼は口を開き、閉じた。それから、全てを察した顔で「怪我はなかっただろうな」と訊いた。
「その、すみません、頭――」
「怪我はだいじょうぶ」おれは日光くんが墓穴を掘る前に割って入った。「壊したのはおれ。則宗にも言っとく」
詳しく言えば「おれが日光くんに乗っかられるときに勢いよく後に倒れすぎたせいで壊した」のだが、言わないほうが互いのためになることも多々ある。ごめん、と謝ると、山鳥毛はそれ以上はなにも聞かなかった。聞きたくなかったのだろう。
上段の敷板が下段の自分のマットレスに突き刺さっているのを山鳥毛は冷静に検分して、「寿命だった面もあるさ」と、まあまあ穏やかな調子で言った。
「……前から思ってはいたんだが、我々は部屋を分けた方がいいかもしれないな」
山鳥毛は、核心には毛頭踏み込みたくないし、そちらも踏み込まれたくはないのはわかっているがこれだけは言いたい、という空気を漂わせながら慎重に言葉をつづけた。
「来年は姫鶴もまた受験だろう。そこも含めて則宗にかけあってくれないか。離れを整理したいと彼はここ五年ずっと言っているし」
「話を通しておきます」
生真面目な顔で誓う日光くんに、山鳥毛は幾分同情的に「頼む」とうなずき、「それにしても、今夜はどうしたものだろうな」とおれにちらっと視線をくれて言った。
「客間か、それか父さんたちの寝室も空いてはいるが――」
たぶん日光くんがしばらくは泊めてくれるだろう。それも、かなり喜んでだ。いいよね、と目を合わせると、日光くんはもはやおれには是とすら言わずに、「よろしければ頭もうちにおいでいただけませんか」と山鳥毛に訊き始めた。山鳥毛は苦笑して、「いや、私も心当たりをあたろう」と携帯を引っ張り出し、なにやら電話を掛けだす。
「……もしもし、私だ。いや、急で悪いが――」
あの弾んだ声からして、おそらく相手はあつきである。即座に同意を得られたらしく、山鳥毛は楽しそうに夕飯の話をしだした。その横で日光くんは、泊り支度を手伝っていますが何か、みたいな顔をしながら、ローションその他諸々の入ったコンビニ袋を自分のエナメルバッグに突っ込んでいる。こんなことになってもまだやる気なのだ。
明日か明後日にはきっと、日光くんに駆り出されて離れの片付けに付き合わされ、新たに山鳥毛の部屋となる空間を大掃除する羽目になる。そこはめんどくさいが、純和風の日光くんちで寝るのであれば、今夜はもうベッドを壊す心配はない。それはだいぶありがたいことに思えた――おれはおれで、どの回が日光くんにとって思い出深かったかについて、じっくり聞きたいと思ってはいたのだ。
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